SKY90-BINO (Mr. Tsuji)

 松本さんに双眼望遠鏡の構造をいろいろお聞きしたのが去年(2006年)9月。12月末にヘリコイド式EMS-Lを納品してい ただき、今年(2007年)4月になりようやくBINOとして覗ける形になりました。簡単ですがレポートを送ります。

催眠誘導?
三重の大台ヶ原で見かけたSky90-BINOが最初に目撃した松本式BINOでした。そのときは「ずいぶん凝っ てるね~」「調整大変そう」という程度で、失礼ながらそれ以上の関心は湧かなかったのです。その後 数年が過ぎ、所属している同好会の方が作製したNerius80-BINO(愛称ヘビーノ)で富士山の測候所跡な どを見上げる機会があり「けっこう行けてるね~」となり、同氏が作製した双眼ドブソニアン(愛称ド ビーノ)やその方から影響された方の10cm屈折BINOなどが誘引剤として作用し、いつしか「お気軽観望 用にBINOが欲しいな~・・・」と感化されていったのでした。

コンセプト
星見遠征での基本スタイルは写真撮影です。せっかくの星空も撮影の合間に手持ち双眼鏡で見上げるだ けともったいない状態でした。車に載せた撮影機材のすき間に大型の観望機材を押し込むこともでき ず、撮影を始めればヒマをもてあます・・・。これでは趣味として長続きしません。といったところが BINOのコンセプトを考える元になっています。

イ) 見た目カッコよく! 趣味は形から
ロ) 気軽に持ち出せる小型軽量機材
ハ) 月・惑星から星雲・星団まで何でも見えること
ニ) ずっと使える耐久性

構造
「お気楽でもちゃんと見える」をマジメにやるとなかなか大変です。さいわいなことに双眼望遠鏡の世 界は松本氏やBigBino服部氏のサイトなどで詳細に説明されていますので何度も眺め返すと、ストレス のないBINOの特徴は単眼でも良好な望遠鏡としっかりした足回りの組合せがキモらしいとわかります。

本機は90mmの小口径BINOですが、よいタイミングでEMSのヘリコイドがペンタックスからボーグに代 わったことにより筒外焦点距離の消費が減り選択しやすくなったのと、全体の軽量化と調整項目を減ら す目的から鏡筒固定タイプにしました。眼幅調整はEMS中間筒に設けられたヘリコイドによります。鏡 筒間隔をD=156mmとすることで67mmを中心にして60~74mmに対応しています。また、合焦装置をFeather Touch Focuser に換装することで難物のNaglarType4-22mmをヘリコイドが最も伸びた状態でも約6mmの 繰り出し量を確保して合焦させられました(写真4)。

左右鏡筒の光軸調整は接眼方向から向かって左側を基準鏡筒にして、右側の鏡筒をファインダーと同じ 要領で前後3ヶ所ずつの押しネジにより調整します。初期調整時には200倍まで調整しましたがアイピー スの抜き差し具合でもズレますのであまり神経質に調整しなくても問題はありません。固定枠はズレが 生じないよう強固に造りましたので「象が踏んでも・・・」というほどではないですが、私が踏んでし まっても大丈夫でした。

架台はユーザーレポートにあるWenglar氏作製のTeleVue140-BINOが理想です。しかし、これほど潔くは なれないため、カッコだけ真似て細かいギミックを付け足して逃げています。まず、TeleVue F2経緯台 から軸受け部分と側板を流用し、メガネ状の鏡筒固定枠を耳軸部で前後にスライドさせて重量バランス をとれるようにしました。架台を載せる足は1/2インチネジが使える軸受けをつくりタカハシのEM200赤 道儀用三脚を使っています。とても丈夫です。もとのF2経緯台の軸受けに戻せば3/8インチネジになり 大型のカメラ三脚も使えるようになりますので海外遠征などはカメラ三脚仕様で行く予定です。

観望

イ)初期調整

初期調整のために見た春がすみでモヤッと白んだ昼間の景色はやはり単眼とは大違いでした。白んだ空 気が対流で視野の中を移動していく立体感がわかってしまいます。ためしに同じ状態で片目をつぶると 「アレッ?」というほど立体感が失われます。

ロ)ファーストライト

4月中旬に富士山近郊でファーストライトを迎えました。明るいうちに現着してケースからBINOを取り 出すと右側のEMSがヘリコイドと第一ミラーケースのつなぎ目で回転しているのを発見。応急処置で視 野の回転を合わせましたが、左右の接眼筒の位置が多少斜めになって視野回転が合う状態に。さらに片 方のSky90がわずかに光軸不良なのも発見。カスミがひどいのと合わせてファーストライトは不発に終 わりました。

ハ)再調整

Sky90はメーカー送り。EMSは松本氏のHPを参考に調整治具を作製してミラーの原点復帰を行い、数キロ 先のビルを見ながら捻れ角も調整。はたして、元どおり?になったSky90-BINOは200倍の高倍率でも スッキリした視界が確保できるようになりました。

ニ)本領発揮?

a)天の川22mmのアイピースをつけて23倍ほどの倍率で天の川下りをすると、天の川沿いの散開星団、散光星雲、 球状星団が次々と視野に入り、双眼鏡でもドブソニアンでも出しにくい谷間の倍率が今までにない新鮮 な視界を創り出します。さらに、単眼では片目を開いても閉じても左右の視野の明るさがちぐはぐにな り長時間見続けるのは疲れますが、BINOでは長時間の観望が楽になり目を離さずに次々と対象を移動で きるためまさにクルーズ状態です。時間をかけて覗けることで暗黒星雲の切れ込みもハッキリと追いか けられます。また、アポ屈折のスッキリした星像のおかげで散開星団巡りにはおそらく最高の組合せで はないか?という気がします。やはりユーザーレポートで皆さんが言われるように、NaglarType4-22mm は双眼望遠鏡に特別にマッチするようです。

b)惑星
200倍で見る土星は輪の影がスパッとエッジの立った状態で土星本体に落ちているのがわかります。輪 の傾きが寝てきているのでカシニのすき間は1/4周ずつ両サイドに確認できるだけですが、両眼視によ る安定感から経緯台での追尾にもストレスは多くありません。今シーズン、南天低い木星はフェストー ンがうねうねとしているのが容易にわかります。模様のわかりやすさは20cmニュートン反射のMT200と ほぼ同じなのにはビックリです。さすがに口径が小さいので模様の色は淡いですが、これだけハッキリ 見えれば気が向いたときにサッと出せる機材としてはじゅうぶんです。

c)月
口径90mmともなればじゅうぶんに眩しい月が見え、それが双眼視によって色彩情報も昼間の景色のよう にハッキリと感じられるようになります。月の海にこんな色あったっけ?クレーターから伸びる光条ど こまで続いてるの?といった感想がでるほど色彩豊かな月面が広がります。クレーターの中を見るよう な高解像度は口径の限界で無理ですが、BINOによって得られる安定感とより確認しやすくなる多彩な色 によって飽きのこない楽しさが長続きします。片目で月を見ていた頃はアイピースから目を離すと効き 目だけ暗順応が無くなって違和感たっぷりだったのですが、BINOでは両目とも等しく暗順応が無くなる ので違和感無く周りが見えなくなります。

以上、長々と書いてまいりましたが、Sky90-BINO作製にあたり先達の方々のレポートや作例を参考にさ せていただけたおかげで、かなり満足できるBINOを完成させることができました。松本さんをはじめ参 考にさせていただいた皆様に感謝いたします。また、本レポートが次にBINOを作製される方の参考にな れば幸いです。ツジ

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写真の説明

●(写真7)富士山新五合目にてユーザーリポートに出られているスタークラウド宮野さんのMegrez90-BINO、 OkadaさんのSky90-BINOと偶然にも居合わせまして90mm-BINOを3台並べて記念写真を撮り、雑談などさ せていただきました。

●(写真6)同じ同好会の方のNerius80-BINO(愛称ヘビーノ)とツーショット

●(写真5)収納ケースに使用している東洋リビングのドライバッグF-47

Comment by Matsumoto/ 管理者のコメント;

 「Sky90-BINOを鏡筒固定のヘリコイド仕様で製作したい」、とのご希望を最初にツジさんからお聞きしたときには、 Sky90鏡筒の場合はバックフォーカスの確保が難しいことを理由に、標準の鏡筒平行移動方式をお勧めしました。しかし、その後の交信から、ご計画が無理解に基づく 単なる思い付きではなく、綿密なプランに基づかれたものであることを知り、了解いたしました。

 ツジさんが描かれた詳細で美しい図面を拝見し、私もご計画の成功を確信し、安心してお手伝い出来ました。 写真をご覧になってお分かりのように、実際に仕上がったBINOも見事な物です。BINOのメカに関心を持っておられる方には、説明は 不要かと思いますが、念のために少しコメントさせていただきます。

 耳軸がアリミゾになっており、BINO本体のアリガタとの接続位置を調整することで、前後バランスを瞬時に調整できるようになっています。 カウンターウェイト等の余分な構造や追加重量を排除した優れた方法です。 その他にも優れた工夫が詰まっていて、”見事”としか言いようが ありません。

 EMS-BINOの目幅調整は、鏡筒自体を平行移動する方式と、ツジさんの例のようにEMSの2つのユニットの間隔をヘリコイド等で伸縮させる方式の 2種類があります。 私としては、小型のBINOには前者が適し、大型のBINOには後者が適すると考えていますが、構造をよりシンプル にして軽量化を図る上では、諸条件が許せば後者が有利になるようです。ただし、後者の方式では、目幅調整でピントが移動しますので、 大勢で観察する場合は前者の方式の方が便利かも分かりません。
 剛性については、トータル的には作り方次第で、必ずしも どちらが有利というわけではないと思います。 ただ、市販のヘリコイド自体がそう頑丈な物ではありませんので、 大型のBINOについては、今後は目幅調整用のヘリコイドの代わりに、当方オリジナルのクレイフォード方式に移行する準備を具体的に進めています。

 ツジさん、素晴らしいリポートをありがとうございました。
  これからBINOに入門される方の中には、あまりに凄すぎて、ひるんでしまわれる方もあるかも分かりませんが、 何事も一朝一夕には実現しないものです。 理解度や工作技術の達成度に合わせて、無理の無いご計画を立てられることを お勧めします。具体的には、まずは標準の仕様のBINOをご計画になることをお勧めします。

12cmF5-BINO

 2004年12月に、SCHWARZ120S-BINOを松本さんに注文し 今までいろんな場所に持って行き星空を楽しんでいました。 見え味は、素晴しく自宅にある30cmの望遠鏡より使う回数が 多くなったかもしれません。 しかし、今まで使っていたBINOの合焦機構は、微妙な調整が出来て よかったのですが、アイピースの交換の時やフィルターの取り付けの時に 調整するのに意外と時間がかかっていたこともあり、せっかく新しい アイピースを買ってもあまり使うことができませんでした。そんな時、たまたま見た山内さんのHPで、新型のクレイフォードが私のBINOにも取り付け が出来ることを知り、これだったら私でも微妙な調整が出来るような気がして 早速、リフォームするために松本さんに注文いたしました。

 2週間ぐらいで届き、G.Wが終わった後に取り付けをしました。 松本さんから、「もしかしたら望遠鏡側の穴とクレイフォード側の穴がピッタリと合わない かもしれません。」と言われていましたので大丈夫かなぁと思っていました。 やはり、取り付けの時穴が合わなかったのですが、そんな大きなずれではなかったので 松本さんに言われていたとうりに望遠鏡側の穴を少し削り何とか取り付けることが出来ました。

 そんな時、星見仲間から連絡をいただき今年初めての蔵王坊平に星見に行ってきました。 リフォームしたばかりのBINOを使い、春の銀河を久しぶりに楽しんできました。

 今まであまり使っていなかったアイピースも使ってみましたが調整がとても楽になりました。 リフォームして正解でした。使い方は、前と同じなのですが私には新型のクレイフォードの方が 調整しやすいみたいです。操作もとてもスムーズです。倍率高めで見た球状星団とても綺麗でした。

 自宅にある30cmの望遠鏡で夏になると球状星団巡りをするのが大好きなのですが これからは、BINOで空のいい場所で球状星団を楽しむことが多くなりそうです。 ますます30cmを使うことが少なくなりそうです。

松本様、今回最優先で加工していただきありがとうございました。

稲村陽子

Comment by Matsumoto/ 管理者のコメント;

 稲村さんに第4世代のSCHWARZ120S-BINOを納品させていただいてから、2年半が経ちましたが、随分と長い期間のような、逆に短いような不思議な感じがいたします。 「EMS-BINOは常に進化しています。」と言えば一見格好良いのですが、私はもともと機械加工のプロではありません ので、以前の自分を振り返りますと、いつも顔が赤くなる思いです。本来なら、無償でリフォームをお引き受けすべき なくらいに思っているのですが、営業を考えると、残念ながらそういう訳にも行きません。^^; にもかかわらず、こうして パーツのみお送りし、ユーザーサイドで立派に取り付けて光軸を再現してくださったことに、敬意と感謝の気持ちで一杯です。

 写真をたくさん送ってくださいました。選んでくださいとのことでしたが、どれも意義のある写真でしたので、ほとんど全てを 掲載させていただきました。 稲村さんの観測室(写真1)を初めて見せていただきました。 スライディングルーフの観測室の 外にも広いベランダがあって、大変合理的で使いやすそうな観測所ですね。

PH130-BINO

 PH130-BINOを製作していただき、ありがとうございました。 完成から2ヶ月経ちGWに、やっとファーストライトとなりました。 この2ヶ月の間、出張の為ほとんど自宅にいない状態と、 いても(雨男ではないけど)晴れない男ぶりに感心してしまう状況でした。

 EMS-BINOを初めて知ったのは、今から3~4年程前でした。そのときに、” これが自分にとっての理想の望遠鏡” と思い、ネット上の関連した所を巡り、FL102をBINOにと思い貯金を開始し ましたが、FL102の販売中止・・・。 時が経つにつれ、いろんな事を考え始め100mmアポがいいか150mmアクロが いいか。それとも100mmをEDにして 150mmアクロと1つの架台で2種の鏡筒を使えるようにしてもらおうか。など妄 想していた頃にPH130の販売を知り、 FL102の事があったので、買わずに後悔するよりはという思いから購入し製作の お願いとなりました。

 届いたPH130-BINOの大きさは予想してはいましたが実際に見て持ってみる と大きいです。 2階の部屋から1階への持ち運びにちょっと苦労してます。 そして、最大の問題は車に入らないことです。無理な体勢なら入れることも出来るの ですがカーブ・ブレーキ等に対して 影響が有りそうで今の車ではダメです。車が変わるまでは移動しての観望はおあずけ となってしまいました・・・残念。

 ということでファーストライトは自宅前となり。1年半前までの自宅前は畑で空の条 件は良くはない けど人の目も気にせずにゆっくり観望できたのですが。今はアパートという条件悪の 場所となり、 アパートや駐車場の明かりとヘッドライトやテールランプによって浮かび上がるBI NOの雄姿が 艶やかに写し出され、アパートの住人がチラッと見ている視線を感じながら、まずは 30倍弱で見ると・・・空が白いです。

 仕方がないので惑星の観望に変更です。まずは土星に向けてみますとさすがに100 倍程度でもいい感じに見えますが、 高度が低くなってきており、覗きと間違えられるのもイヤなので木星に移動します。 200倍程度でみた木星は、イイです。 スゴイです。今まで小口径でしか見たことがなかったせいか、模様がこんなにもウネ ウネしていて衛星が木星表面に突入して いくし大赤斑が裏に隠れていくのを感動し見続けて、気がつくと木星だけで2時間以 上も経っていました(恐ろしいや)。 ちなみに気がついた原因はアパートの2階部屋の蛍光灯が点灯し光が差し込んできた せいで、カーテンが閉まる気配が無いので、 心の中で”何でカーテンを閉めないんだ~”と叫び撤退となりました。

 実際に使ってみて思ったことは、HF経緯台のリバウンドがちょっと大きい点(20 0倍程度までなら何とかなるんだけど) それと、左右の鏡筒に若干差を感じたのですが同時に見ると気にならない点です。 とにかく、EMS-BINOは自分にとって理想の望遠鏡になりそうです(車どうし ようかな・・・)。

横山

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 PH130は、凸玉にPHOTARONを使用した3枚玉だそうです。製造が中止されたのは、恐らく素材が入手できなく なったためかと思います。

  PHOTARONは、住田光学ガラスが製造したCaFK95と思われ、そうだとすると、凸玉は私の愛機の15cmホタロンと同じということに なります。CaFK95は、一般のEDガラスよりもフローライト(CaF2)に近い光学特性を持ち、従って光学性能もよりフローライトに近い ものが期待できます。

 私の愛機は2枚玉のF8ですが、横山さんのPH130は、F値は小さいものの、3枚玉ですので、少なくとも設計上は私の対物よりもさらに上の 性能が期待できるはずです。

  1991年、15cmPHOTARON-BINOを計画中に、私はポケコン(当時流行った電卓サイズのPC)のBASICで独学で光線追跡ソフトを作り、ビルトインの ミニロール紙プリンターで数値を打ち出し、それを手描きでグラフに表すという気の遠くなるような作業を経て 性能評価をしてみたことがありました。(当時のポケコンでは、1行の数値を打ち出すのに数秒かかりました。)

  相手ガラスで最高の結果を示したのはKzF5でしたが、その後にレンズメーカーに相談したところ、その硝材はすでに入手不可能であ ることと、たまたま、研磨、コーティング済みのKF3+CaFK95の15cmF8が2セット在庫ありとのことでしたので、 KzF5をKF3で妥協した組み合わせで計算してみました。
 すると、残存収差は理想値とは少し外れるものの、実用上問題ないレベルであることを確認し、 採用を決断したのでした。

  望遠鏡の性能が極限に迫るにつれて、架台も課題になって来ます。 フリーストップのフォーク式経緯台は、元来deep-skyを 低倍で流す前提での設計のようですが、私は、より高精度で大型の望遠鏡に対応できる汎用型のフォーク式経緯台を光学メーカーが 一日も早く発売してくれることを願って来ました。
 1991年に私が15cmPHOTARON-BINOを製作した時も、当時は信頼できる大型の自動追尾式 の架台として、ドイツ式赤道儀しか選択肢がなく、大がかりな回転装置を準備しなければなりませんでした。しかし、これから据え付けの 大型BINOを作る方には、2軸制御の経緯台をお勧めしています。

  光学メーカーは、十年一日のごとくドイツ式赤道儀の呪縛から逃れられないようですが、その目を覚ますには、消費者の方が 光学メーカーに対して、より強いメッセージを送ることが必要だと思います。 たとえば、望遠鏡のバックフォーカスやドローチューブ内径等に関しては、「ピントの出ない望遠鏡は買わない!」 くらいの強いご姿勢が求められると思います。  

盾と矛とをひさぐ者あり

「某鏡筒でEMS-Lは合焦しますか?」   これは当方に来るFAQ (Frequently Asked Questions) の筆頭である。

私がEMSの初期型を発売してからすでに16年を経過し、上記の状況に進歩がみられない原因を私なりに 解析してみた。

それは単純明快な事だった。つまり、市販鏡筒が変わっていないということだ。何が変わっていないのか。  バックフォーカスやドローチューブ内径が変わっていないのだ。

16年間という長い年月とインターネットの普及のお陰で、EMSの認知度がようやく上がって来たことに喜びと感謝 を感じるものの、変わらない現状に落胆させられるのも事実だ。

最近では、一部光学メーカーや販売店までがEMSを取り扱ってくださっており、当方には順風が吹き始めているかに 見えるが、上記現状に変化の兆しは全く見えない。それはどうしてだろうか。   それは、EMSが特殊な製品として認知されているからではないだろうか。つまり、従来の天頂プリズム等の一連の 周辺パーツの中の一つの特殊な製品としての扱いだということだ。

語源とは少し意味が異なるが、無敵の盾と無敵の矛とを同時に売る 矛盾がそこにはあるのだ。 私に言わせれば、それは固定観念の呪縛がなせるものであって、何らの根拠もないものな のだが。   私の価値観では、裏像の天頂プリズムはその本来意図された使用目的については不燃ゴミでしかない。 ジャンク ボックスの中にキャップもしないで突っ込んでいる。その出番は、実験やEMSとの比較説明の時だけだからだ。

ただ、実際には、合焦の問題は些細なことなのだ。大抵は接眼部の不適切に光路を消費するアダプターを交換する か、鏡筒を少し短縮すれば解決するからだ。 しかし、鏡筒を加工することに抵抗を示す消費者の方が意外に多いことに 驚かされる。 これもなぜだろうかと考える。 EMSの合焦のために市販鏡筒を少し改造することは、人間工学的に不完全 な鏡筒を加工して、使い道具として完全な物に改良する作業であると私は確信するのだが、それに抵抗を感じる方は、 ”新しい品物を壊す”、という感覚を持っておられるのではないだろうか。

光学メーカーは、十年一日のごとく裏像の天頂プリズムの使用を前提にして鏡筒を設計していて、それにブランド の権威を帯びさせているのだ。大半の消費者はその価値観を自然のうちにすり込まれているが、それに気付いていない。  つまり、未だに倒立像や裏像が権威を帯びていて、光学メーカーも消費者も、その呪縛から逃れていない、 ということだろう。

重い物は軽い物よりも速く落ちる、というアリストテレスの提唱をニュートンが否定するまでに2000年の年月を 要したように、一度確立した権威を否定するのは極めて難しい。

しかし、時代は違う。 より多くの方に早く目を見開い ていただきたいものだ。

 

楚人有鬻楯與矛者。
譽之曰、吾楯之堅、莫能陷也。
又譽其矛曰、吾矛之利、於物無不陷也。
或曰、以子之矛、陷子之楯何如。
其人弗能應也。

15cmF5-BINO

 昨年は、私の150S-BINOを製作していただき、その節は大変お世話になりました。 あらためてお礼申し上げます。すばらしい製品をありがとうございました。

 稲村さんとは山形天文同好会、小さな天文学者の会でご一緒しており、女性ながら 自宅にスライディングルーフ付きのミード30㎝を所有する、大変天文趣味に熱意を 持っていらっしゃる方と存じておりました。ビノビューも所有する双眼派です。

 私がマツモト式BINO(SCHWARZ150S-BINO)を注文したと言ったときから、届いたら是非見せて欲しいという 事でしたので、昨年の11月頃だったでしょうか、蔵王坊平高原(標高約1000m)に お誘いしました。

 その日はなかなか良く晴れており、O3フィルターを通して網状星雲、北アメリカ星雲 ~ペリカン星雲がよく見えており、今まで見えないと思っていた(思いこんでいた)星雲 がいとも簡単に見えてしまうBINOの性能にしきりに感嘆(笑)しておられました。

 同行した山形天文同好会のベテラン観測者の方々からも、「うわぁ~これはスゴイ」 「星像が針で突いたように鋭い」「久しぶりに眼視の醍醐味を堪能させてもらった」など 色々なお褒めの言葉を頂きました。EMSの操作性の良さにも関心しておられました。 そして約2.8度の実視野からあふれんばかりに見える伴銀河を伴ったアンドロメダ 銀河を見た瞬間に稲村さんの心は決まっていたのだと思います。

 後日、稲村さんからメールがあり「BINOを買いたいんだけど悩んでいます」との ことだったのですが、もうすでに決心しておられたようで、私の「背中押して欲しいん ですか?」との問いに「はい、そうです!」と返信されてきましたので、背中を押してあ げた次第でした(^^)

 先週の土曜日に稲村さん宅へお邪魔してBINOの調整を手伝ってまいりましたが、 改めてEMS-BINOのポテンシャルの高さに感心してしまいました。 と、言っても私自身BINOの調整がうまくできているかどうかは甚だ疑問なんですが(^^;) 視野円のズレや、像の倒れも感じることなく気持ちよく観望させて頂いていますので、うまく EMSの調整が出来ているのだと思っております。

 ただ、松本さんのHPにある”EMS-BINOの光軸調整講座”の通りに調整しているつもり なのですが、私と稲村さんで快適位置が違います。これは個人の癖による物なのでしょうか?

PS:

 当方、文才が全くありませんで、ユーザーリポートをお出しするのがおっくうになってしまい 今まで報告出来なかった事、お許し下さい。簡単ですがこのメールにてユーザーリポートと させて頂きます。稚拙な文章で申し訳ありません。

 現在、EMS-BINOを所有できる喜びに満ちあふれております。 本当にありがとうございました。

本野健二

Comment by Matsumoto/ 管理者のコメント;

 本野さん、お心のこもったメールをありがとうございました。 ともすればBINOを一人で作り続けておりますと、 倦怠に陥り勝ちなのですが、このようなメールをいただくと、また燃料をいただいた気分になります。

  謙遜なさっていますが、立派なユーザーリポートをいただきました。 またお陰で、 稲村さんのBINO注文に至られた経緯が良く分かりました。 稲村さんは最初から上手に光軸調整をされたそうで、 なかなかBINO使用の資質の高い方とお見受けしました。 最後のSCHWARZ120S-BINOのユーザーの方でもあり 稲村さんのことは長く記憶に残りそうです。

  光軸の快適位置の個人差については、確かにあると思います。ご自分で覗かれた時に、対象がだぶらず、視野円もほぼ一致していれば 十分に問題ないレベルの範囲ですので、自信をお持ちください。

  それでは、続報と写真をお待ちしています。 稲村さんからのユーザーリポートもお待ちしております。

(他筆)わたしが初めて世の中と出会ったとき

今日は女友達のRKさんが書いた文章をご紹介します。  1年ほど前にメールに添付していただいたこの文章に、私はいたく感動し、ご自身でサイトを立ち上げて公開されることをお 勧めしたのですが、「私は自分自身のために文章を書いています。」とのことでした。
しかし、どうしても皆さんにも読んでいただきたいと思い、この度、ご本人の許可を いただいて匿名で掲載させていただくことにしました。
後でお聞きしたのですが、この文章は、末期癌のお友達に送られた ものだそうです。
友達が末期であることを知って狼狽したRKさんを、そのお友達は静かに慰められたのだそうで、この 文章はそれに対するRKさんの万感の思いを込めた返信であり、その意味でこれはそのお友達の文章でもある と言っておられます。

 

わたしが初めて世の中と出会ったとき; by Ms.RK(2002/02/13)

小学校三年から高校を卒業するまで、私は岡山市下出石(しもいずし)町で暮らしました。子ども時代を過ご した町ですから、わたしには暮らした、というより、育った、というほうが実感に近いかもしれません。 旭川右岸に長細く上出石・中出石・下出石と並ぶ町で、旭川の中洲を利用した後楽園が川をはさんですぐ目の前に 見える川べりの町です。町内は竹屋さん、氷・薪屋さん、八百屋さん、お菓子屋さん、時計屋さん、薬屋さん、肉屋 さん、種物屋さん、お米屋さん、こんにゃく屋さん、お化粧品店、電気屋さん、瀬戸物屋さん、雑貨店、履物屋さん、 ふとん店、文房具屋さん、と通りに面して小さな商店が並び、裏道にはお勤めをしている家が並んでいました。 旭川の土手や河原は子どもたちの格好の遊び場所で、土手の石垣をよじ登ったり、どんこや糸なまずなどの小さな 魚を川ですくったり、彼岸花を摘んだり、水切りと呼ばれた石投げをしたり、本当に毎日時を忘れて遊びまわ りました。水切りというのは、平たい石を川面を掠めるように投げ、水面を3段とびのように次々と跳ねて飛ばす 遊びです。小学生低学年の頃は、上級生の男の子が遠くまで10回以上もジャンプさせて飛ばすのをただただ尊敬と 憧れの眼差しで見ていました。また、たとえどんこのようなちいさな魚でも、息をひそめてそうっと近づき、 さっと手づかみでつかまえるのは、子どもにとっては大抵の技術ではなく、私はひたすら取り逃がしては、次々と バケツに魚をすくいあげる男の子を尊敬の眼差しで見ながら、その子のバケツ持ちをしていました。

私たちのテリトリーは、上は町と後楽園とを結ぶ橋である鶴見橋のたもとから、下は後楽園の裏門と城跡と を結ぶ月見橋あたりまででした。現在、烏城は鉄筋コンクリートで再建されていますが、当時は戦災で焼け残った 月見櫓だけが残っていました。そのかなり広いテリトリーの中間あたりに岡山神社がありました。今は土手下にき れいに舗装された道が走っていますが、当時は土手まで全部神社の敷地になっていて土手に立つ大きな木 (今度岡山に帰ることがあったら何の木なのか、木の種類を調べておこうと思います。)は注連縄がかかった 御神木でした。神社が道路用地を市に提供したため、神社の敷地から離れて、ぽつんと土手の上に取り残されて立 つその木には、この前帰省の折に見たときには注連縄はなく、御神木の役目をはずされてしまったのかどうか、 これも今度尋ねてみたいと思っています。

さて、この岡山神社の敷地全体も私たちのテリトリーの一つでした。レンガを組み合わせて作った仕掛けで雀 を生け捕りにしたり、花崗岩で作られた実物大の馬にまたがって遊んでは神主さんに見つかって怒られたり、 夕方になるとこうもりの群れが飛び回り雰囲気十分のそれはそれはエキサイティングな遊び場だったのです。 ここでも、私は雀を捕まえることはできず、生け捕りに成功するのは決まって神社のすぐ近くにある家のかなり年上 の男の子でした。一度だけ私のしかけたわなに雀が掛かったことがありましたが、獲物は生け捕りではなく、 レンガに首をはさまれて死んでいて、そのことがあってからは、私は雀の生け捕りから足を洗いました。

そしてまた、岡山神社は我が家の躾の場所でもありました。ちょっとしたウソ言ったり、母のお財布から小銭を 掠めたことが見つかったり(これは主に弟がやっていました)、けんか両成敗で怒られては、「神様にちゃんとおこ とわり(お詫び)」をしてきなさい、と言って神社へ行くことを命じられました。親に叱られて家を閉め出されると、 大体この辺をぶらぶらして、馬にまたがってみたり(叱られたときにまたがってみても、なぜがちっとも楽しくあり ませんでした)したものです。もちろん、ちゃんと鈴とお賽銭箱のあるご神前で「ごめんなさい、もう悪いことは しません」とおことわりもしました。何十回となく頭を下げておことわりをした割には、私はあまりよい子には育た なかったようで、もしかしたら、私には高級官僚の素養が備わっていたのかもしれません。この事実に早く気がつい ていれば、もう少し一生懸命勉強してその道をめざしたのですが、残念ながら今となってはもう遅すぎるようです。

春、夏、秋・・・どういう暦にしたがって開かれていたのかは分かりませんが、神社でおまつりがあり、 夜店がたくさん並びました。金魚すくい、ヨーヨー吊り、りんごあめ、お面、風船、射的、今はもうあまり見かけなく なりましたが、柔らかいあめを吹いてガラス細工のように動物などを形作り、きれいに色をつけて売る人があ りました。買ったことはありませんが、白い玉から魔法のように次々と作品を作り出すその慣れた手際のあざや かさにただただ見とれて、いくら眺めていても飽きませんでした。アセチレンガスのにおいでなんとなく気分が 悪くなるのが潮時で、私はしぶしぶその場を離れたものです。いろいろな色のプラスチック(薄い下敷きのような板) を使ったきれいなケースにニッキや薄荷が入ったお菓子なども、その色の鮮やかさがいやが上にもお祭りの楽しさ を盛り上げていたように思います。それから、これは今も同じですが、イカやとうもろこしを焼くこげたお醤油のに おいが漂ってお祭りの雰囲気はいやがうえにも盛り上がっていました。

家の向かいの文房具屋さんのおばさんは、書道の腕前をいかして家の一室を習字教室にして家計の足しにし ていました。その書道教室にしばし入門していた私は、お祭りのころは、行燈にしたてる作品を練習しました。 社務所付近に飾られる行燈は、町内の子どもたちのミニ展覧会で、○の●ちゃん(山田のミドリちゃんという具合) はいつも上手いね、とか、△君の絵は今度はとても面白いね(発音どおりに表記すれば、「△君なー(△くんのは) 、こんだーぼっこうおもしれーのー」)など、近所の大人たちは町内の子どもたちの作品について品評会をしてい ました。当時はこんな言葉はありませんでしたが、こういう大人たちの評価、子供たちへの関心は、立派な 「地域の教育力」といえるのではないでしょうか。

さて、行燈にするお習字の作品をちゃんと練習した御褒美の意味もこめて、私たち兄弟は何がしかのお小 遣いをもらってお祭りに出かけました。そこで、私が遊ぶのは、きまって金魚すくい。それからヨーヨー吊り でした。口を真っ赤にしてりんご飴を食べる気にはなれず、食べ物関係はもっぱら眺めるだけ。射的なども見物人 で楽しみました。それからもうひとつというか、もう一人、いつも気にして探してみるのはひとりのお乞食さんで した。

その人は小児麻痺にかかったということで、手足と言葉が不自由でした。 「私は○才のときに小児麻痺にかかりました。」に始まって、歩くことも話すことも、 もちろん働くこともできないので、みなさんからのお慈悲にすがって生きるほかはありません、 といったようなことが書かれた札を莚の前におき、小銭を受ける真鍮の鉢を置き、そして自分はひたすらじっと 座っていました。時折お金が投げ入れられると、「ウー ウー」と言いながら頭を下げるのは、きっと「ありがとう ございました」と言っているのだろうと容易に想像がつきました。そして、私はお小遣いの残りをときどきこの鉢に 寄付して?いました。

お祭りのたびにその気の毒なお乞食さんはいました。あるときはお賽銭箱のすぐ近くに、あるときは鳥居 のすぐ横に。私はその気の毒な人は岡山神社からそう遠くないところに住んでいるのだろうな、と思いましたが、 いったいどのような暮らしを毎日しているのかについてまでは、想像をめぐらすことができるほど大人ではあり ませんでした。

あるとき、隣の中出石町に住む従姉妹(父は、この従姉妹たちの父親である伯父と共同で農機具の販売を始め、 私が小学校三年になったとき、下出石で独立した会社を始めたのです)から誘われたのだと思いますが、よその町の お祭りに寄りました。(寄るというのは寄せてもらう、つまり参加するという意味です)そして、私のテリトリーを 遠く外れた、学区の反対側のはずれの広瀬町の神社まで、「だんじり」(=山車)を引いていきました。あまり通った ことのない道、しかも夜の道をどんどん遠くへ歩いていくことは、それだけでとてもエキサイティングでした。 見たことのない街角の光景が次々と目の前に広がる様は、自分の世界が広がっていくようで、それは本当に胸がどき どきするような体験でした。

やっとだんじりがお祭りの開かれている神社に到着したときは、再び引き返して家に戻ったのが9時過ぎだった でしょうから、そんなに長時間たったわけではないはずだのに、私には地の果てまでたどり着いたような心地がし ました。

そこには岡山神社と同じような「おまつり」の光景がありました。岡山神社とは、参道のようす、境内の様子 なとが少しずつ違いますから、ちょうど、他所の家に遊びにいったとき、その家の階段、廊下、勝手口などのつくり がいちいちものめずらしいのと同じように、私は並んでいる屋台も含めて境内をものめずらしそうにじっくりと観察 したのです。

すると、どういうことでしょう。こんなに遠く離れた広瀬町のお祭りに、あのお乞食さんがいるのです。 私は跳び上がるほど驚きました。どうして岡山神社の近くに住むはずの、足の不自由なあの人が、ここにいるんだろう ? 第一、あの人はどうして、今日この神社でお祭りが開かれることを知っているのだろう。

私にとって、自分の世界が倍ほどにも広がったかに思えたエキサイティングなお祭りの経験は、そのお乞食 さんと出合うことによってさらに5倍ほど広がりました。そして、私の頭には、どうしてあの人があそこにいたのか、 という謎が住みつくようになりました。

次の岡山神社のお祭りの日、私は家を出るのをすこし遅らせました。出かけるのが遅ければ、帰りがちょっ と遅くなっても叱られないで大目に見てもらえるのではないか、という子どもなりの計算があったからです。頭に 住みついている不思議マークと一緒に、岡山神社に着いてみると、やはりその日もあのお乞食さんはいました。 茣蓙に座り、お鉢を置き、説明書きを前に広げていつもと同じように物乞いをしていました。

いつものように、ヨーヨー吊りをしたり、あめ作りを眺めたりしているうちに、だんだん人出が減ってくると、 まだ人がいるのに、ポツリポツリと屋台が店じまいを始めました。そうなると人は潮が引くようにいなくなり、 お祭りのにぎやかな様相は一変してみるみる跳ねた舞台のようになってきました。

私は何か用があるようなふりをしてその辺をうろうろしながら、お乞食さんの様子を窺っていました。 すると、ヨーヨーの店を片付け終わったおばさんが、そのお乞食さんのところへやってきて、鉢にたまったお金 を勘定し始めたのです。そして、なにやら手帳のようなものに書き込んで、説明がきや真鍮の鉢を片付け、 お乞食さんの世話を始めました。

そうです、そのお乞食さんの世話をして、彼をつれてきていたのはヨーヨー吊りのおばさんだったのです。 年の関係からみて、親子ではない(当時の私の子どもの目にそう映っただけかもしれないのですが)ないようでした。 お姉さんと弟のように思われました。

あのおばさんは、弟の世話があるから結婚していないんだろうなととても気の毒に思えました。 まだまだ戦後の貧しさの残っている時代です。行政は道を作ったり、学校を建てたりで精一杯で、きっとまだまだ 障害のある人の福祉にまでは今のような予算が出せていなかったのではないかと思います。おばさんは仕事のあいだ、 弟を自分の目の届くところに置くために自分の近くに座らせ、同じことならば、と彼に物乞いをさせていた のでしょう。

とにかく、そのお乞食さんの秘密がわかったとき、私は生きていくことがどういうことなのか少し分かった 気がしました。世の中の秘密を見たような気がしました。そして、ちょっぴりだけ大人になれたような気がしました。 漢字を覚えても、計算ができるようになっても感じることのなかった、「私は昨日までの私とは違う」という思いが 湧いてきました。そう、私はあのとき確かに「世の中」と出合ったのです。

何かつらいことがあると、お金を数えていたおばさんの姿を思い出します。弟を連れて縁日めぐりをして食べ ているおばさん。これは、あとでまた知ったのですが、手帳に書き付けてあったのは、何日にはどこで縁日がある のかという予定でした。わたしが、いつもヨーヨー吊りをするのを知って覚えてくれていたのでしょうか?  いつだったか、私が吊っていると、そっと水からゴムの輪を水槽のふちに引き上げて、紙のこよりを濡らさなくて も吊れるようにしてくれました。驚いておばさんの顔を見上げると、「それはオマケで吊っていいよ」というふうに 黙って目で合図してくれました。

「私は○才のとき小児麻痺にかかり・・・云々」の文言は、おばさんが自分で書いたのでしょうか?それとも善意 を頼んで、あるいはいくらかのお金を払って、他の人に書いてもらったのでしょうか?  それはかなづかいや助詞の使い方などにところどころ間違いのある文章でしたが、整った字で書かれていました。

お祭りのあれやこれやの詳細、紙芝居の絵のように次々と展開する一こま一こまの場面とともにあのおばさんと お乞食さんを思い出すとき、もう二度と手が届かない昔に過ぎ去った子ども時代へのたまらない懐かしさと、 「一生懸命生きなくてはおばさんに申し訳ない」という思いが心のそこから湧いてくるのです。

FS102-BINO

 奈良在住の”hama-san”です。ご無沙汰しております。 (9月初旬に、EMS-L中間筒の交換をお願いした者です)

 おかげさまでこの度、FS102-BINOが完成いたしました。 僭越ながら、下記HPに作製プロセスを公開しております。 http://www5f.biglobe.ne.jp/~hama-san/

 先週末(12月11日)、無事にファーストライトを済ませて参りました。 やはりEMS-BINOのヌケの良さは素晴らしく、 特に、散開星団の微光星の緻密な美しさは独特の世界でした。 さすがにFS102だけあって、星像が針で突いたように小さく、 星団の中に点在する、異なる色の星が印象的でした。 考えてみれば、無遮蔽の屈折光学系+反射2面という構成ですから、 最もロスのない正立の宇宙がそこにあるのだと言えるかもしれません。 私自身痛感したことですが、プリズム式の双眼鏡を使っておられる方が、 広視界&クリアな星像に歓声を上げておられたのが印象的でした。

 以前からドブソニアンを使っております経験上、 フリーストップがお気軽観望には必須だと考え、 鏡筒の前後のみならず、上下のバランスも考えて耳軸位置を設定しました。 また、耳軸は真鍮で作製していただき、結果として、 HF経緯台に載せただけ(さすがに危険ですが)でもフリーストップとなり、 200倍以上での惑星の観望も容易で、この点はこだわって正解でした。

 また、F8という無理の少ない光学系であるため、 ワイドスキャン30mmでも周辺まで十分満足のいく星像が得られ、 27倍、視界3度から280倍の惑星までこなす、 まさに一生モノの一台となりました。

 初めてEMS-BINOの存在を知ってから4年になりますが、 その間、ネットや観望会で知り合った方々のおかげで、 思いもよらずスムーズにBINOを組み上げることが出来ました。 まだ、鏡筒の長さから来る振動等、解決すべき問題はありますが、 それ以外は、現段階でも非常に満足しております。                              
hama-san
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Comment by Matsumoto? 管理者のコメント;

hama-san、素晴らしいリポートをありがとうございました。
 いやー、本当に立派なBINOが完成しましたね。 正直、驚きました。 各所が実に合理的で、しかも丁寧に加工されていて、本家の仕様が恥ずかしいくらいです。

  EMSのみをご提供した場合、最後まで見届けられない場合が多いので、こうして完成した姿を 見せていただくのは、この上ない喜びです。  

 HPを見せていただきましたが、製作プロセスが懇切に掲載してあり、これからBINOの製作を計画して いる方には、貴重なデータとなるでしょう。 物を作るということは、出来上がった”物”には見えて来ない苦労があるものです。製作者は 材料の調達から外注加工の依頼先まで開拓する必要があり、それらを全て含めて、hama-sanの快挙に 拍手を送りたいと思います。

TOA130S-BINO

 双眼望遠鏡の導入を本格的に検討し始めたのは昨年(2003年)の夏くらいでした。当初は松本さんのところでシュワルツ150S-BINOを購入しようかと思っておりまし た。F5はコンパクトでいいけどF8の方が高倍率での見え味はいいという話だし、 FS-128で作成してある方もいらっしゃるし、どうしようかと思っているときに井上さんの TOA130 BINO のレポートが松本さんのホームページに掲載されました。このレポー トを読んだときから、一気にTOA130 BINOへと流れが加速して行くことになったので した。

 私が所属している天文クラブ「ティコ」の内野会長のところに相談にいったとこ ろ、折角作るならばがんばってTOAにするほうがきっと満足いくものができるよとの 助言をもとに、TOAで検討を進めていきました。しかし私は金属加工はできない ので、どなたかに作成をお願いしないといけませんでしたが、TOA-130は鏡筒無改造で EMSが使用できること、EMSをヘリコイド式にして架台を簡素化するということ で、会長に作成をお願いしたところ快く引き受けて頂きました。

 作成において課題となるのは水平回転軸ということで、そこをどうするか検討し たところ、故障して使用していなかったミードLX200の架台を改造して使用する ことにしました。当初はフォークアーム部も使用する予定でしたが、フォーク部 は別途製作になりました。これで、大きな課題はクリアしましたので、11月初に 松本さんへEMSセットと取り付けアダプタ(タカハシ72mm→EMS65mm)の作成を依頼す るとともに鏡筒2本の注文を致しました。清水の舞台からの大々々ダイビングでし た。

  松本さんのほうにはお忙しい中、1月初にはEMSセットを送っていただきました。 鏡筒の方もほぼ同じくらいに届きました。そこからが、本格的な製作の開始と なります。実際の寸法や重さを調べて、フォーク部分の幅を決めて材料を注文し てと、会長の方でどんどんと進めていただき、私の方はああしたい、こうしたいと 注文ばかりを出しておりました。会長も忙しい中、鋭意製作のほうは進めて頂い たのですが、やはり、双眼望遠鏡の製作は初めてのことでもありましたし、LX200 の架台を利用するため制約があったり、更には度重なる台風の襲撃により、会長の 御実家が被害に遭われその修理も手がけながらの製作となられましたので、構想 からほぼ一年という時間を要しました。しかし、ゆっくりと時間をかけて検討し ながら慎重に進めて頂き、仕上げのほうも丁寧にしてもらってますので、非常に 満足のいく、世界に一台しかない双眼望遠鏡だと思います。

 EMSは非常に操作性が良く、X-Y光軸調整機能により簡単に光軸を調整できます。 初めての双眼望遠鏡ですが、全く問題もなく使えております。この双眼望遠鏡が 成り立っているのも松本さんのEMSのおかげであり、EMS無くしては存在していない でしょう。

 さて、実際の見栄味なのですが、それは予想を遥かに超えたものでした。 星野村天文台「星の文化館」の職員の皆さん、天文クラブのメンバーに見てもら いましたが、正立双眼視ということで、非常に見やすく時間をかけてじっくりと みることができ、たいへん好評でした。

 また、フリーストップの経緯台ということで、重さを全く感じさせない スムーズな動きと相まって誰でもすぐに扱えるすぐれものです。

 まだ、完成して間もないのであまり見れてはおりませんが、いくつか見たものの 見え方を書いてみます。アイピースは22mm(45倍)、40mm(25倍)を使用してます。 月以外は月がでていないときの印象です。

月(上弦)   コントラストが高く、くっきりと見えます。双眼視のためか、 変なまぶしさを感じません。月の前を雲が流れていくときなどは 風情があります。初めて月を見たときの感動が再現しました。 明るい月が出ているとあまり星を見ないようになっていましたが、 これからは月があれば月を楽しめるようになりました。

M1   そらし目をしないと見えないかと思ってましたが、そらし目を しなくても広がっているのが判ります。一緒に比較したわけでは 無いので正確ではないでしょうが、32cmドブソニアンの見え方と 同じような感じです。

M31   25倍 約2.5度の視界からはみ出てます。さすがに写真のようには 見えませんが雰囲気は近いものがあるような感じがします。今まで 見た中で一番の見え方です。

M37   小さい粒々がはっきり見えます。星はまさに点像です。

M45   視界一杯に広がって見えます。もう少し低倍率で視界がほしい ところです。星の周りにベールをまとっているように感じます。

M42   想像を遥かに超えるものです。ガスの濃淡が(疑似)立体的に見えま す。 中心部分は黄緑なのが判ります。トラペジウムも目のいい方はちゃ んと 6個見えているということでしたが、私には5個しか見えませんで した。

h-χ   明るい星が手前に、暗い星が奥に見えて、これも(疑似)立体的に見 えます。 星の色が判り、暗い星まで綺麗です。

NGC2024   今まで注意して見たことはなかったのですが、初めて見ました。 そらし目をせずとも、その濃淡がはっきりと見えます。

 天文にあまり詳しくなく、また鋭眼の持ち主でもない私にとっては、猫に小判的 な双眼望遠鏡ですが、その見え味のすばらしさは実感できます。 九州でも星見の集まりがいくつかありますので、この双眼望遠鏡で星を見て頂き 正立双眼の見やすさ、素晴らしさを少しでも伝えられたらと思っております。 松本さん、大変素晴らしいEMSをありがとうございました。

坂田 信
Makoto Sakata

Comment by Matsumoto/ 管理者のコメント;

 TOA130-BINO、素晴らしいですね。
内野さんによる金属加工も、緻密で綺麗に仕上がっていて、お見事です。

 坂田さんは謙虚に初心者を自認しておられますが、BINOについては、大抵はどなたも 初心者ですから、むしろその謙虚さが素直にBINOに溶け込めた要因でもあるのでしょうね。
 良い実例を作ってくださいました。

 観望リポートも、的確に対象の特徴を捉えておられ、大したものです。大きな決断 をなさいましたが、十分に報われましたね。

BORG45ED-BINO

2003年の双眼鏡・望遠鏡サミットにて決断致しました双眼望遠鏡です。 EMSセットを頼みまして半年が経とうとしておりましが、他の場所にてお願いして おりました鏡筒バンドの作製が大幅に遅れたため、いまだにツインになっており ませんでした。その間、EMSが手元に在りながら使えないことに歯がゆく思い、折 角だから何かおもしろいことをしようと即席で生まれたのがBORG45ED-Twinです。

即席の所以は実は片方の鏡筒は友人のもので2004石川町SLFの時の写真です。組み 合わせは鏡筒部に2インチホルダーSⅡ[7504]を使用することにより合焦します。 ただし2インチアイピースは合焦しません。他、着脱の簡易・迅速性を考慮して 架台部と鏡筒部の取り付けにはベルボンのクイックシュー(中判用)を介して使用 しております。

見え味に関してですが残念ながら星の方は見ておりません。風景を見た感じでは、 小さいながらも定評ある鏡筒だけあって、非常に抜けの良い綺麗な見え味を示して くれました。倍率を上げても色収差等は感じられません。実はこれは正立プリズム だとわずかに色収差が出たりしますが、ミラーを使っているEMSならではの「技」 と言えると思います。

以上、ショートレポートになってしまいましたが、現在作製中の双眼望遠鏡にて 再レポートを致します。この高いポテンシャルを秘めたEMSを使える日を今か今か と楽しみにしております。
OKADA

Comment by Matsumoto/ 管理者のコメント;

 可愛いTwinですね。
 本命鏡筒用の鏡筒バンドが間に合わなかった由、残念でした。  当方に気を使ってくださったのでしょうか、他に依頼されたのは。 私も責任を感じます。^^;

  確かに、市販鏡筒のバンドは、双眼使用など全く眼中になく、ヒンジ部等の干渉で 私も随分と泣かされて来ました。しかし、これも発想次第で、固定観念を捨てると、 結構簡単な解決法が見つかるものです。私が察するに、多分その下請け屋さん?は、 頭を捻りながら時間が過ぎて行ったのではないでしょうか。

  私がお勧めする解決法の一つは、バンドのヒンジ側を通常と反対の、鏡筒外側に 向け、ローレット付の締めボルト側が内側で対向するように持って来ることです。「これだと尚更出っ張って 干渉する!」ですか? ^^;・・・それが固定観念なんです。^^

  ヒンジ部を薄くするには、大手術が必要ですが、締め側ですと、ローレットボルトを 細めのキャップ(六角穴)ボルトに変更すれば、締め部の出っ張りの大半を切除することが 出来るのです。(元のボルト位置より内側にネジ穴加工を施す)その部分の構造により、ボルトはM5程度を1本か、M4を2本かを判断します。

(BORG鏡筒が素材であれば、鏡筒径が細いので、鏡筒バンド同士の干渉の心配はありません。)

  ともかく、バンドが早く完成し、本命の鏡筒が搭載できますことを祈っております。

MEADE178ED-BINO

百武彗星がきっかけで久しぶりに天文に復活し、偶然入手した2本の鏡筒を天頂ミラーにより双眼化して 1997年から使っていました。当時は架台を赤道儀にしておりました関係でBATTやPCまで含めると総重量は 200kgくらいあったと思います。 鏡筒回転機構のせいで極軸から距離があり、結果ウエイト軸にありったけのオモリをぶら下げている ことも災いしていました。それでも若かったせいか、ハァハァ言いながらもあまり気にせず使い続け ていました。(写真に写っている車にピラー脚以外は積みっぱなし)

 このところ体力の衰えというか、慢性的な運動不足とモチベーションの低下で稼働率が 下降線をたどり、昨年はとうとう2回となりました。「このままではイカン」と重い腰を上げた次第です。 自動導入はとりあえず諦め、軽量化のために経緯台とし、経緯台にはやっぱ専用のEMSだよなぁと、 4月末に松本さんにコンタクトをとりました。

 比較的軽くて丈夫な架台ということで構想当初からLB150用の経緯台と決めていました。CAD上で確認すると、 重心位置の関係で架台と鏡筒バンドの干渉が発生し、鏡筒ピッチが272mmとなってしまうことが分かり焦りま した。松本さんにまた怒られるかなぁ。。。と心配しながらも発注してしまいました。 (実は仮に架台側の制約を廃してもレンズセル径が10インチありますので、大して鏡筒ピッチを縮める ことは出来ないのですが) 今回の改造はほとんど市販品を用いており、とても簡単な工作で済みましたのでEMS到着の週末には 組み上げてテストすることができました。総重量も計算値で約100kgとなり、気合いを入れなくても稼働 できそうです。

EMS制作依頼時の仕様表

鏡筒側仕様
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・鏡筒ピッチ 272mm(固定)
・接続部 M89P1メス(ボーグHV1)、回転機構有り
・バックフォーカス 243-274mm
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EMS仕様
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・仕様 EMS-XL 大型第1ミラー仕様
・目巾調整 Pentax67接写ヘリコイド
・接眼フォーカス 接眼部ラック&ピニオン(短め)
・EMS(鋳造部) 白色塗装
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EMSは鏡筒と同じ白色、目幅調整は実物を比較して決めた67用ヘリコイドと少しわがままです。 (汗

良かった点
・接眼部フォーカーサー
 最も気に入ったのがこの機構です。フォーカスを手元(目元)で操作できることがこんなに便利だとは思い ませんでした。それから、あとで気付いたのですが、フォーカス調整による重心移動がほぼ皆無となります ので、アイピースの重量だけ統一してやれば観望時にバラストで調整を行う必要がありません。指一本でスル スルと鏡筒が向きを変えますので、操作ハンドルも廃しました。とにかく非常に快適です。

・鏡筒接続部の大口径化
 EMSでは鏡筒からのシフト量と2インチアイピースの重量によって常時かなり大きな回転モーメントが発生していますので、これを支えるには径で対応するのが一番だと思います。大口径化したことで観望中にEMSが回ってしまうこともなくなりました。 加えて脱着部を既製品(BORG)としたことで、脱着によってEMS自体に傷が付く心配がないので力いっぱい ネジを締めて固定することも出来ます。

・第一ミラーの大型化
 見た目のバランスもそうですが、2インチ長焦点アイピースを用いた場合でも周辺減光がほとんど感じ られない快適な視野を提供してくれます。

気になった点
・バヨネット脱着部のガタ
 実は大したことではなく、EMS上部を持って鏡筒を振り回すようなことをしなければいいだけのことです。

今後の課題
 改造後3回ほど観望に持ち出しました。架台により不動点が高くなってしまいましたので、ピラー脚を少し 短縮することを考えています。それから恒星追尾が手動なのでやはり高倍率での長時間観望はストレスが たまります。当初の軽量化の目的とは違ってきますが、将来的に電動化しようと妄想中です。水平軸はハーモ ニックギヤを使うことで機構全体を架台に内蔵できるのですが、垂直軸はクラッチを搭載するスペースが 無く面倒そうです。

最後に
 いろいろ注文をつけて松本さんには大変ご迷惑をおかけしてしまいました。 それでも、結果とてもいいものが出来上がって満足しています。 また機会がありましたらよろしくお願いします。 どうもありがとうございました。ございました。

神奈川のDamyanさん

Comment by Matsumoto/ 管理者のコメント;

DamyanさんのEMS-XL(6X7ヘリコイド仕様)は2004年の8月に紹介させていただいて いましたが、ついに完成したBINOの姿を見せてくださいました。Damyanさん、お見事です!   極めてシンプルで美しいスタイルです。 Fujinonの大型双眼鏡の架台を利用されたのでしょうか。  鏡筒間隔を広めに設定された理由も納得しました。

 ピラーを短縮されるご予定とのこと、私も賛成です。 一般に、ピラーや脚を必要以上に高めに設定される方が 多いように見受けます。 なるべく水平近くまで、踏み継ぎなしで覗ける高さに設定されることをお勧めします。   天頂付近は、座布団(それに近い低い椅子)を敷いてあぐらをかいて見るスタイルでも良いのです。

  規格外品の製作には結構時間と集中力を消耗するもので、標準規格品の順番待ちの方のことを思うと どうしても気持ちが焦ってしまい、Damyanさんには無意識に結構小言を申し上げていたのかも分かりません。  私こそ気を付けないといけませんね。^^;

  今度は観望リポートをお願いします。 (6X7ヘリコイドのバヨネット(雌)はラチェットの位置が調整できますので、ガタも治ります。ただ精密な 作業なので、注意して行ってください。ただ、発送時の状態がキープされていれば、問題ないレベルだと思いますよ。)