Example of the rotative device for a binoscope on an equatorial. / モデュール化した回転装置の利用例

I have just received the acknowledge e-mail with some photos from the lucky guy who got the first moduled rotative mechanism for an equatorial mount.He has proved the success of the modularity of my rotative mechanism for a binoscope on an quatorial mount. Because, he could set his EDT80mm OTA onto the system to form an equatorial version of the fine binoscope, just as easily as a piece of cake.

最新型の回転装置を get された方から、さっそく、感激のメールと共に画像が送られて来ました。 全く何の問題もなくEDT80mm(通常は汎用スライドマウントで経緯台モードでご使用;鏡筒は元の段階で40mm短縮加工済み)をセットされ、新型回転装置のモデュール化の成功を証明してくださいました。

モデュール化とは、各々のパーツが光軸精度に責任を分担する方法のことです。従来の考え方は、複雑に組み立てたBINOの光軸の平行度の(誤差の)収支を最終的にゼロにすれば良いという発想でしたが、最近の私の考え方は、構成パーツそれぞれに光軸の精度を最大限確保させる(責任を持たせる)ものです。

たとえば、鏡筒にアリガタを何らかの方法でセットするとしましょう。 そのアリガタが鏡筒の光軸と極力平行になるように、設計上も工作上も(再現可能な範囲で)最大限の努力をするわけです。 他の全ての構成パーツがそういうふうであれば、それらを組み合わせても、BINOに組み立てた時の最終的な光軸は、最初からかなりの精度で収束することになり(経験的に立証された)、EMSのX-Y調整の安全圏に納まる、というわけです。 このことを、ここ数年(喉を枯らして)私はモデュール化、と言って来たのですが、やっとお分かりになったでしょうか。^^;

Equatorial rotative module / 赤道義用回転装置(BINO用)

Now it is ready to be shipped. The inner parts were anodized from the stage of 6/7 article.

出直しのために作り直しとなった回転装置ですが、パーツのアルマイトが完了し、明日ラッキーな方の元に嫁ぎます。^^;(モデュール化(汎用化)タイプの回転装置、第1号機)

ある日の「医師当直日誌」より(I さん筆)

先週、外来に出ている時、二六歳の青年が診察を受けに来た。一年前から胸痛、 動悸、喉頭狭窄感等の症状があり、近くの病院にかかっていたという。父の交通事故死 などのショックもあり、会社もほとんど休みがちであった。病院でいろいろ精査したが 特別の異常もなく「精神的なものでしょう」と言われ精神安定剤等の投与を受けていた。 診察してみて確かに不安神経症的な病であろうと思われた。カルテの住所を見るとH市で ある。勤務先も確かK市で盛岡と関係ない。「どうして当院へいらしたのですか」と訊く と、県立中央病院時代の私のことを聞いて来たのだという。私はすっかり感激してしま った。医師冥利に尽きるとはこのことである。患者さんは有難いものだとつくづく思った。 H市から医大や県立中央病院へ行くのでなく、そこを素通りしてはるばるこの盛岡の外れの地 まで来てくれる……。その患者の心を想い責任の重さを痛感しないわけにはいかなかった。
その晩、県立中央病院時代のことをあれこれ考えた。当時の受持患者は今の四分の一 以下。検査や外来で忙しかったが、患者と話す時間も結構多くとれた。心身症のよう な患者もいて、ベッドサイドに腰掛けて話し込んだり、家族や職場の上司と面談した りしたものだ。入院している高校生の勉強がおくれるのが気の毒で数学を教えたりも した。確かに「手のかかる」患者達で、努力が実を結ばないこともあったが、無駄な 苦労をさせられたという感じはない。彼等は私に医師としての道を指し示してくれ たという想いが強い。
初心忘るるべからず
私を訪ねて来てくれた青年の顔を思い浮べながら、改めてそのことを肝に銘じた次第。

(1987年8月3日)

日誌に書いた二六歳の青年Aさんは、その後もキチンと二週おきに通って来てくれ ている。漢方薬が効いたのか症状も軽くなり、会社にも行けるようになった。 「胸が苦しくったって、 動悸がしたって、『これがオレの生きている姿なんだ。 文句あっか』と思うといい」とか「私の好きな宮本輝という作家も君と全く同じ病気。 価値のある立派な人がなる病気だと私は思う」と話したりしている。Aさんも病気がよく なれば私の所には来なくなるだろう。それが悲しくもあり、医師としての喜びでもある。

その人との出逢いに運命的なものを感じさせられる存在を人誰しも持っていると思う。 私が県立中央病院時代に出逢った患者のBさんは、そのような一人であった。Bさんは、 循環器科病棟に入院していた四六歳の女性(当時)で、トイレ歩行も困難な程の重症の 心臓弁膜症を患っていた。この人がある時から腹痛を訴え出し、消化器科の医師に精査してもらったが原因がわからず、やむなく各種精神安定剤や鎮痛剤を試みたが効きめがなく、ついには月何十本もの麻薬のモルヒネの注射を受けていた。しかし、それでも痛みのコントロールは不可能であった。食止めにして点滴だけで栄養を取る方法も試みられたようだが、やはり効きめがない。当時私は医師になって二年目で、研修医として循環器科病棟に配属されたばかりであった。科長回診に従いていって、初めて出逢ったBさんの峻しい表情に私は強烈な印象を受けた。怒り、諦め、苛立ち、哀願……ありとあらゆる複雑な感情がその表情にこめられていた。私は主治医にBさんの腹痛にアプローチさせてくれるようにたのんだ。医師や看護婦が彼女の訴えに真剣に耳を傾けていないように思われたし、漢方薬なら何とかなるかもしれないという期待もあった。病状の把握が難しく治療は困難を窮めたが、漢方薬開始後、麻薬や鎮痛剤の投与は一切不用となった。しかし、腹痛の訴えはかなり執拗であった。一年にもわたる腹痛が簡単に治るはずはなかった。Bさんのベッドのわきに腰を下ろし、彼女の話に耳を傾けるのが私の日課であった。心臓弁膜症による心不全症状が出たのが二十代、その頃手術を受けたが症状の改善に至る程の効果はなかった。結婚をしたが、子供をつくるのは医師から止められた。ずっと入退院の繰り返しで、夫に妻らしいことは何一つしてやれなかった……。そのような話をしている最中にも痛みのため顔は歪んでくる。Bさんのお腹をさすってあげながら話を聞くこともあった。こうして何回か訪室するうちにBさんの顔も次第に穏やかになり、ある時から私を笑顔で迎えてくれるようになった。腹痛の方も次第に軽くなり、三、四ヶ月でほぼ軽快した。そしてその頃私も、他の病棟に配属替えとなった。

その後何ヶ月かして、Bさんが腹痛を再び訴えるようになったと聞いた。漢方薬が止め られたことと、ある看護婦の心ない対応(「本当にあなたお腹が痛いの」と言ったこと)が その原因であったと思っている。私はBさんのことが気懸りで、県立中央病院を辞めたあと も何度か見舞った。私を見た瞬間、彼女の顔がパッと明るくなり笑顔がこぼれる。しかし、 やはり腹痛で苦しんでいた。私はもはや主治医でも何でもなく、ただ彼女を励ますことしか できなかった。その彼女も悲しいかな今はこの世の人ではない。心不全が悪化し昨年の夏亡 くなってしまった。事情があって彼女を自分の病院で看取ってあげられなかったことは、 痛恨の極みと言うほかはない。しかし、Bさんとの出逢いから私が学んだことははかり しれないものがある。自分はどのような仕事をすべくして生れて来たのか、どのような医師 であるべきかを、Bさんは笑顔で私に語ってくれるのである。私は彼女の笑顔を生涯忘れな いだろう。

私は自分が勤務した病院で機会ある毎にBさんのことを話して来た。ベットサイドに腰を 下ろし患者と同じ眼の高さで、患者と等身大の人間として話し合うことの大切さを訴えている。 何故私がこのようなことを強調するかと言えば、私自身生れながらにして病める者、 障害をもつ者であるからである。母は私を身ごもった時、胆石症を病んだ。その疝痛発作を 止めるために医師が打った一本のモルヒネが私の左眼の視力を奪った。(それが事実かどうか 不明であるが、少なくとも私はそのように言われて育った。) これが実に私の医学と医師との 出逢いなのである。何という刻印を医学は私の体に遺したのか。この障害のために私がどのよう に悲しい少年時代を送ったか、どのように屈辱的な体験をさせられて来たかについては、ここで 述べるつもりはない。ただ、そのことで私は我が身の不幸を嘆いたことはないし、この世に生 を受けたことを悔んだこともない。そのような体験があるからこそ、私は患者の心がわかる のだし、BさんやAさんのような人に巡り逢うことができたのだと思う。眼は一つしか与えられ なかったが心にもう一つの眼を持つことができたような気がするし、本当のものを見て死にた いという生涯の願いも叶えられそうな気がする。医師になって本当に良かったと思っている。


手作りは楽し(I さん筆)

小さい頃、私は「破壊屋」と呼ばれていた。何でも物心がつく頃、家の自転車をまるごと解体 してしまったのだそうだ。当の私には全然記憶がない。ただ、スパナを持ってあちこちの機械類 のボルトを外して回ったことはうっすら覚えているから、自転車を解体したのもおそらく事実なの だろう。三歳か四歳頃の出来事と思われる。こうしたこともあって、私は周囲から将来機械屋に なるだろうと思われていた。その通りにはならなかったが、小さい頃からメカニズムには強い関心 があった。もののしくみや働きが知りたくて、どうしてもそれを分解したくなってしまう。 ところが一度分解したものを元通りに組み立てるのは遥かに難しく、かなりの習熟を要する。 それに挫折し、それこそ分解が破壊に終わってしまうことが多かったわけである。

しかしながら、私は物を壊してばかりいたのではない。ものを作ることにも大いに熱中した。 コマ、竹馬、チャンバラの刀など、遊び道具は大概自分で作った。腰に鉈をぶら下げ、山を歩き回 って材料を見つけてくるのである。極め付きは木の橇であった。適当な木を選び、鉈と鋸と金槌を 使い半日がかりで「愛馬」を仕上げる。郷里釜石はほとんど雪が降らないので、テカテカに固めた 土の斜面を滑るのであるが、傾斜によっては恐怖感を覚えるほどのスピードが出、実に爽快で あった。

このようなわけで、大工仕事や、金属を加工する仕事には今でも関心がある。工房を構え、 レンズや反射鏡を磨き、金属を削り出して手作りの天体望遠鏡を作ったり、自らの力で一軒の家を拵え るのが生涯の夢である。望遠鏡を作るのはもしかしたら実現可能かもしれないが、家はおそらく無理 であろう。昔、近所の棟梁が息子一人を助手にして家を建て上げたのを見て感嘆したことがあり、自分 もいつかはと思ってきたのであるが、それこそ叶わぬ夢であろう。

私は、医者にならなかったら、大工か旋盤工になっていたかもしれないと人に語ったことがある。 それほど私は、ものを作るのが好きだし、ものを作る人々を心から尊敬しているのである。イギリス には家具の修理を専門とする職人がおり、ヴィクトリア朝などの古い家具を修理する仕事が立派に職業 として成り立っている。そのような職人に私は憧れている。いつかNHKの「手仕事にっぽん」という 番組で、壊れた腕時計を修理する職人が紹介されたことがある。折れた歯車の歯の修理の際に、廃品の 歯車の歯を切り取り、それをハンダ付けして再生するという非常に細かな作業であった。修理が見事に 成功し時計が再びチチチチと動く音がとても感動的であった。また、東京の南部の町工場には、 素晴らしい金型職人や自分の指先でミクロン単位の違いが分かる旋盤工がいる。このような人達こそ、 国の宝と言わずしてなんと言おうか。額に汗し泥や油にまみれてものを作り出す仕事こそが価値がある のだ。もの作りへの関心を失い、濡れ手に泡式の金儲けに走るこの国は一体どこへ行くのだろうか。

大層偉そうな話になってしまったが、もの作りが好きだといっても、私自身は非常に不器用な人間 である。ただ、何故かものを作るのが楽しく途中で投げ出したりしないだけである。小学や中学の頃は 技術の時間が少なく、「手本」通りに作ることを要求されたり、自分の作品を他人と比較されたりする ことがなかった。学校教育には功罪両面がある。自分のもの作りへの情熱が学校教育でスポイルされ なかったのは幸いであった。

いつだったか、病棟の輸液ポンプの把手付きのボルト(ポンプをポールに固定するボルト) を修理する機会があった。プラスチックの把手が割れ、ボルトが曲がっていた。業者に修理を依頼して いるが埒があかないという。それではと修理を買って出た。ボルトの径は九ミリ。ボルトにはネジのピ ッチが異なる二つの規格があるが、そのどちらとも違う特別の規格らしい。曲がったボルトを使うしか ない。万力に一方の端を固定しモンキーレンチで他端を挟み力任せでどうにか曲がりを修正した。把手 には、望遠鏡メーカーののみの市で入手したアルミ部品を使うことにした。精確にセンタリングし、 卓上ボール盤を使ってシャフトに九ミリの穴を掘った。それに垂直にわ き側方から三ミリの穴をシ ャフトに開け、ネジ穴を切る(タッピングという)。把手をボルトに固定するネジ穴である。把手を回 しやすいように四隅にヤスリで円形の切れ込みを入れ、ボルトに横ネジで固定して完成。正味四時間。 久しぶりに創作の喜びを味わうことができた。

私は、このような仕事が全然苦にならない。家でも、ちょっとした修理や障子張り、網戸張り などは自分でする。かくして、女房に「医者をやめても食べていけるわね」と適当におだてられながら 便利屋を務めることになるのである。

 

I wonder how many astronomy manias would know the initial type of my EMS I had released in 1989 in Japan. This Amici-analogue type of EMS was originally made by me before 1980, and my article appeared in November,1982 issue of Sky and Telescope magazine.

Catering to the order of initial type of EMS user, I made a 36.4mm-thread to 2-inch adapter, and I had touching gratitude e-mails from him with some attachment of his moving essays that impressed me so much. I am sorry that I can share them with only those who can read Japanese. But, if you can, please try it to read.

DIY is Fun

From ” My Diary on duty at the Hospital”

Here are the related articles concering to the initial or next-initial EMS.

125ED-BINO & EMS-1

Handy EMS-BINO

A folding wheel chair

You can see the anatomy of the initial EMS in my TV program below.(in Japanese only)

Dream chaser(Challenge to the stereotype…)

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6月5日に、「36.4ネジ(望遠鏡)接続タイプの小型EMS用に、”36.4ネジ→50.8φ差込”の アダプター製作」のご依頼を、岩手県の I さんという方からいただきました。

最初にピンと来たのが、10年以上前に製作したことがあった、箱型のEMS-Sでしたが、よくお聞きしたところ、 それではなく、何と、一番初期のアミチプリズム型のEMSではありませんか。 それをずっと今日まで愛用してくださって いることに加え、最近、代理店さん経由でEMS-ULも追加購入してくださっていました。(左の写真の下の隙間からEMS-ULが少し見えます。) もちろん、今忙しいから・・と、 とても断ることは出来ませんでした。^^;(横のアルマイト未処理のアダプター単体は、当初にお作りしていたPENTAX(105EDHF)用です。)

感激はそれで終わりではありませんでした。 完成したパーツの納品後にいただいたメールには、アダプター製作を 喜んでくださったお気持ちが綴られていたわけですが、添付いただいた以下の2つのワードファイルには 大層心揺さぶられ、I さんに無理を言って、ここで紹介させていただく次第です。

手作りは楽し

ある日の「医師当直日誌」より

どんな職業でもそうだと思いますが、日々の仕事は、ややもすればストレスが溜まるものではないでしょうか。 地道な誠意は伝わりにくく、派手なパフォーマンスをする世渡り上手は脚光を浴びやすかったりします。

しかし、こうしてたまに遭遇する、心の琴線に響く client との出会いが、歩き続ける元気を与えて くれるのだと実感させられます。 振り返ると、実際そうでした。

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初期(と準初期)のEMSに関係した日記とリポート

125ED-BINOとEMS-1

Handy EMS-BINO

折りたたみ式車椅子

また、以下のテレビ番組の中でも、初期のEMS(正立ミラーシステム;EMS-1)の内部構造を分解してお示し しています。

夢をつむぐ人々(常識への挑戦・・)

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人生はうたかたの夢。初期のEMSを開発してから、あっという間に過ぎ去った時間が折り返した頃には、私はすでにこの世に いないか、いたとしても、もうこの仕事はしていないでしょう。 想い出も、またかかわった人たちも、いずれは消えて行く宿命 ではありますが、臨終に思い出すであろう甘美な出会いに恵まれたこと(多分これからも)を改めて幸せに思います。

Rotative mechanism (FSQ106-BINO) / FSQ106-BINO用の回転装置-1

 

 

This is the combination of the moduled rotative mechanism and the slide unit I had developed before. Note the XYZ axised penetrations of the columns that have resulted in the simplest structure inattaining the double function.

モデュール化した回転装置と、すでにモデュール化に成功している新型のスライドユニットが合体しました。(というか、一部がその機能を兼ねます。) 3本のジュラルミン丸棒による XYZ-軸状の(擬似)相貫構造が、本来の回転子と鏡筒の水平保持ベース(スライド機構)を極めてシンプルに達成していることにご注目ください。