Front-Lever 2021,9/8/ フロントレバー

 これが ”フロントレバー” です。
68歳4か月で練習を始め、69歳8か月で成功しました。
24回長崎国体に出場した時点(17歳)では出来なかった技ですので、当時より体重が10㎏近くアップしていることも考慮すると、当時よりも(無酸素の)身体能力がアップしていることになります。 褒めていただけますか? ^^;
 高齢になるにつれて、軽い有酸素運動が推奨されますが、私は、無酸素運動能力こそ、高齢者の真骨頂だという信念があり、自ら実証して見せるつもりでおります。筋肉は死ぬまで発達する!
(この時節は、通常は下着のパンツ一丁で練習するのですがね。そのまま公開すると家内がうるさいので、トレパンを履いています。トレパンでも、下半身の重りとして効くので、結構辛い。^^;)

Demolition work of the old city hall (after two months) /旧市庁舎、解体始まって2か月

 7月1日に始まった解体工事、2か月が過ぎた。外見上の変化は、玄関口に続くアーケードが撤去された以外は、識別できない。素人には分からない作業があるのだろう。

 ↑ この管理事務所、着手初日の7月1日に一挙に組み上がった。事前に聞いてなかったので、ショックを受けた。地上目線だと、空の下半分に蓋をされたような印象だ。店の前で気軽に星を見ようとするモチベーションが劇下がりだ。
 後期予定だと、これが1年間続くことになる。

 これは着手前の状態。 今となっては、実にすがすがしい眺め。

Front-lever to Muscle-up with no rubber aid (2021,8/26)

 今年の5月下旬からずっと練習して来た、フロントレバー姿勢からのマッスルアップ、ゴムチューブのアシストなしで出来るようになりました。
 あの後すぐに動画のチューブが切れ、1/3くらいの細いゴムチューブでずっと練習、最近は二回連続が時々出来るようになっていました。
 見てれば、何の変哲もない、イージーなパフォーマンスに見えますがね。^^;
引きの力よりも、むしろ後半の三頭筋への瞬間的な負荷が半端ではありません。
 自分の感覚だと、多分、体重の2倍近く、片腕には体重近い負荷が三頭筋にかかっている気がします。
 このディップスバー、元来、ディップス用ですが、あらゆる自重トレに使用でき、お勧めですよ。昨日まで不可能だったことが今日は出来る、薄紙を剥がすような感じですが、少しずつでも向上していく醍醐味、もう離せませんね。

Received the second shot of the Corona Vaccine/ コロナワクチン、2回目接種

現時点では、予防対策協賛店認定とワクチン接種はリンクしていませんが、必要なことだと思っています。

I received the second shot of the Corona Vaccine on 30th of July.
Happily,there were no vaccine side reactions at all, and my evening workout was as intense as usual.

7/30に無事、2回目のコロナワクチン接種を終えました。
副反応は接種部位の違和感を含めて一切なく、毎日の激しい自重筋トレも継続できました。
もっとも、副反応は若い方ほど顕著らしいので、自慢になりませんけどね。^^;

祝 東京五輪 体操個人総合 金メダル、橋本大輝選手

 内村航平選手のまさかの早期敗退を払拭するように、日本体操界の次世代を
担う橋本大輝さんが快挙を成し遂げた。

 若い一時期に体操に没頭していた私としては、こうした場面を見るごとに、本当に血が騒ぐ。
五輪体操はローマ五輪(1960)から見て来たけど、この60年の体操の技の進歩は本当に信じられないほどだ。
 私が体操に没頭していた高校時代は、1967~1970年なので、レジェンドとして憧れた選手はそれ以前に活躍された方々で、小野喬さんや遠藤幸雄さんだった。 高2の時だったか、米子市の体育館で遠藤幸雄さんの指導会があって、私が代表して遠藤さんの前で床の規定演技をしたこと、散会後に鞍馬の指導をしてもらったことが忘れられない。
 遠藤さんに、まず旋回して見ろと言われ、通常の右旋回を何回も回っているところを、遠藤さんはじっと真ん前で見つめ、「悪い所が分かったぞ!」と言われ、指導の金言は以下の通りだった。「腰が引けている。足先は低くて良いから、腰を前に出す練習をしなさい。」

 1960年代までは、まだ精神主義が闊歩していた時代だったと思う。高1だったか、顧問の先生が高3で部長だった先輩に、これを読め、と渡したのは、小野喬選手の自伝本だった。それを部長は、お前も読め、と私に又貸しした。^^;
 詳細は記憶しないが、器具インフラの乏しい環境からスタートされた努力の結晶が綴られていて、大いに感動したのでした。
ただ、今振り返ると、そのことで、過度にストイックに走ってしまったことは、自分にとって正解だったかどうか、疑問に思ってる。
 もっと冷静、科学的なスタンスは無かったか?と思えど、時すでに遅し。

 当時の体操は、日本とソビエト連邦がしのぎを削っていて、中国はまだ台頭していなかった。
 1960年のローマ五輪での個人総合の王者はソビエトのシャハリンで、日本の小野喬さんは銀メダル(種目別の鉄棒、跳馬で金)だった。(団体は金)
 そして、1964年の東京五輪で遠藤幸雄さんがそのシャハリンに雪辱して見事個人総合の金メダルを奪取した!
 現在の体操の技は、当時と比べると、まさにSFの領域で、当時は想像だにしなかったような技が当然のように行われている。
 昔の体操との違いをごくざっくりと言うと、静止系、力技系よりも振動系の離れ業の進歩が著しい。 だから、選手の体型も変わって来た。多分、器具や補装具の進化(特化)も相乗的に加担して来たに違いない。 具体的には、昔の体操選手の方が筋肉が発達していたように思う。ソビエトのシャハリン選手などはその典型で、上水平時の三角筋の筋繊維の浮き上がりは圧巻だった。
 多分、一般の方が当時の体操の演技の録画を見たら、技のしょぼさに失笑するかも知れないけど、私は、昔の体操も大好きで、敬意と感動しか湧いて来ない。

 次のメキシコ五輪(1968)では、若き加藤澤男選手が優勝候補のボローニン(ソビエト)を下す番狂わせで快挙を遂げた。
 優勝を確信していたボローニンが、鞍馬の旋回でひっかかってしまい、泣き崩れたシーンが目に焼き付いている。当時の共産圏の選手の国を背負う重圧には悲壮感さえあった。
 次のミュンヘン五輪では、加藤澤男が二連覇、さらに監物永三、中山彰規と、金、銀、銅を独占したのが、日本体操の1960年代の黄金期のピークだった。

腕時計の電池交換について

 当方、現在はメガネ専門店なのですが、父の代に時計も並行して扱っていたなごりで、今でも腕時計の電池交換は、責任上続けています。
 ただ、電池交換に関する、お客様との意識の齟齬に当惑することも少なくなく、以下のような説明文を用意しています。
**********************************

腕時計の電池交換について

電池交換は交換後の時計の(機能)余命を保証するものではございません。

当方では、お持込になった時計の古い電池の電圧を測定し、電圧があまり下がっていない場合は、時計自体の不調の可能性が高いと判断し、電池交換をお断りしておりますが、古い電池が放電していた場合は、一応時計は正常と予想して新しい電池と交換し、さらに針が始動することを確認してお渡ししています。

ただし、(工場出荷後)数年以上未清掃(分解掃除)、未注油でご使用の時計は、いつ停止しても不思議はありません。(数日後あるいは当日でも停止することもあり得ます。予測もできません。)

発信装置が電子化される以前(50年以上前)は、腕時計は貴重品であり、精密機械として、定期的なメンテ(理想的には毎年の分解掃除)が必要なことが広く一般に認知されていました。 ところが、腕時計が電池で駆動するようになり、平均単価も急激に下がった結果、精密機械という認識が忘れられ、懐中電灯のように電池交換だけで継続使用されるのが一般的になって来ました。 それは、腕時計の単価と修理技術者の工賃のアンバランスが生じ、修理代で新品が買えてしまうという、やむを得ない事情もございます。

 ただ、2回も3回も電池交換のみで使用している腕時計は、工場出荷時から少なくとも4~6年は経過しており、いつ停止してもおかしくないことは、ご認識いただく必要がございます。 電池で強引に動かしている状態なのです。(発信部が電子化されても、アナログウォッチは精密機械には違いありません。腕時計は、ミクロのゴミでも簡単に停止してしまう、極めてデリケートなメカなのです。)

                       メガネのマツモト
                          松本龍郎

Practice of “Front-Lever to Muscle-Up” / フロントレバー→マッスルアップの練習

 フロントレバーは、去年ご紹介したバックレバー(背面水平懸垂)とはけた違いにハードルが高いです。今回は、フロントレバーからマッスルアップに繋げる練習です。
 自分の趣味を他人に押し付けるのは良くないですが、このディップススタンド、コロナ下で自宅トレするのに好適ですよ。