メガネの度数

ホームページに眼やメガネのことを書いているせいか、ときどきご質問をいただく。

先日、覚えのない女性名で分厚い封筒が届き、密かな期待を持って開封したら、メガネで苦労して来られた経緯が詳細 に綴られてあった。

比較的最近、関東地方から、大手のメガネチェーン店で何度メガネを作っても満足できなかった男性が鳥取市の当店までメガネを 作りに見え、 「初めて満足がいくメガネが出来た。」と大変喜んでいただいた。 どうも、全国的に相当な割合で自分の メガネ(の度数)に満足しておられない方がおられるようだ。 しかも、よくお聞きしてみると、私が当然だと考えている 検査や検討を、メガネの度数を選定する段階で十分に受けておられないようだ。 これは、メガネ店だけでなく、 医療機関でも同様の傾向だった。

実は、この傾向は、当方がネットで情報を発信する前から、店頭でも体験していたことだ。  半世紀に渡って鳥取市で眼科医療に貢献されたO先生はすでに故人になられて久しいが、生前にO先生の眼の度 を測らせていただいていたのは私だ。現在、千葉県在住の奥さんは、メガネを作る度に私の所まで帰って来られる。 奥さんも「あらゆるメガネ店、医療機関を歩いたが、満足できなかった。」という意味の事を言われた。

現在は、他覚的な検査手段が発達しているので、器械による検査だけで、比較的正確な度数を把握することは、 素人でも出来る。 そこに巨大資本を持つ他業種の起業家が目を付け、医療器具であるはずのメガネを“雑貨品”として 量販展開をする。もともと他業者だから、医療品を扱うというプライドも自覚もない。 有名芸能人を使って集中豪雨的 に、主に価格に訴求したテレビ宣伝を流し、消費者を洗脳する。 芸能人は金になればどんなコマーシャルにも出るが、 門外の業界の価値を判断する能力を彼らに期待するのも酷なのかも知れない。

さきほど説明したように、概ね正確な眼の度数を測定するのは、そう難しくない。 問題は、正確なメガネと快適な メガネが同値ではないこと(大抵は相反する)にある。 正確?で不適切なメガネが氾濫して行く(しかも加速している ようだ)のは、隠れた社会問題だとさえ思える。メガネは両刃の剣。効果と副作用が拮抗する投薬や食物と同じ。いくら栄養があっても、 未調理のままでは腹を壊すので要注意だ。

もちろん、眼の検査の最初の仕事は正確な度数を把握することだ。前言を覆すようだが、実はこれも厳密にはそう 簡単な事ではない。後で被検者の装用感を打診しながら、さじ加減をする時の最初の基準なのだから、正確でないといけ ない。問題は、その後、快適さと求める矯正視力との妥協点を、被検者と同じ目線でじっくりと決定することが大切で、これ には、検者の熟練と根気を要するのである。

モンゴルから来たO君

朝青龍が7場所連続優勝を始め、数々の記録を塗り替える快挙を遂げた。
また、琴欧州が大関昇進に王手をかけた。

琴欧州は、関取になった時、交通事故で働けなく なったお父さんに新車をプレゼントした。 引退が決まった佐渡ケ嶽親方(元横綱琴桜、鳥取県出身)は、 琴欧州のことを「わしらの時代の力士が大切にしていた心を持っている。」と激賞している。

さて、最近、相撲、モンゴル、鳥取、というキーワードにヒットした、ちょっとした体験をしたのでご紹介したい。

2か月ほど前、すこぶる巨漢の高校生が店に入って来た。やや日本語が不自由そうだったので、咄嗟の直感で韓国からの留学生 かと思い、「ハングゲソオショスムニカ?」(韓国から来られたの?)と片言の韓国語で対応したら、きょとんとして、「モンゴルです。」 とのことだった。

そのモンゴル青年は鳥取市の相撲の名門校である鳥取城北高校の相撲部3年生だった。同校相撲部は今年の岡山国体で優勝している。 (琴光喜関も、愛知県出身ながら同校に相撲留学していたので、鳥取のローカルニュースでは毎日取り組みが放映される。)

モンゴルから来た0君は、この年末年始の帰郷に、お父さんに双眼鏡を買って帰りたいということだった。  彼がお気に入りのNIKONの双眼鏡はちょっと予算オーバー、でもお父さんには出来るだけ良い物を買って帰りたい。 事情を知るや、私もこれは商売抜きで一肌脱ごうと思って破格のdiscountを提示したのだけども、それでも何度か来店し て迷っていた0君。

その後、偶然、友人(1年先輩)である同校の先生が久しぶりに見えた(教頭先生になっていた)ので、O君のことを話したら、 「O君はとっても良い子だ。僕も援助したい。」と私に1万円を託した。 ということで、本人負担は八千円ということになり、先日 O君は喜んでその双眼鏡を買って帰った。

その時、0君はモンゴルや家族のことを少し話してくれた。 軍人のお父さんの趣味はハンティング、広大な大草原で獲物を見つけるには 高性能な双眼鏡が威力を発揮する。 広大な国土に対し、モンゴルの人口はわずか280万人、そのうち160万人はO君と同じウランバートル に住んでいるとのこと。
「南の国境線付近の土(つち)を中国人が買い占めていて、政府は無策に傍観している。」と憤慨していた O君。
「土(つち)を買ってどうするんだ。 それって”LAND”のことじゃない?」 と聞いたら、そうだった。^^;

話してみると、3年間でつち^^;かった彼の日本語は、なかなかのものだった。 日本語と英語、そしてもちろんモンゴル語と 片言のロシア語を話すO君は日本の大学に進学するそうで、将来の夢は大統領になることだそうだ。 彼なら本当になるかも知れないと 思った。

Kさんの 吉祥天

(精緻な彫りの実感までは伝わりませんが、裸眼立体視のペアにしてみました。上が交差法、下が平行法用)

Kさんのことは去年、”親思う心にまさる親心”で紹介させていただいたが、 昨日、白内障手術(一月前)後のメガネの更新をさせていただいた。

依頼(注文)に見えたのが4日ほど前、「これが最後だと思う。」とまじめに言われた80歳のKさんの言葉を一 笑に付すことはできなかった。 通常3年から5年というメガネの買い換えサイクルから見ると、それはあり得ないこと ではないからだ。 それはこちら側も同じこと。 まさに一期一会の言葉の通りだ。

Kさんは父の代からのお客さんだ。当時から大型店は派手な宣伝をしていた中で、今よりも零細だった当店をひいきにし てくださったお客には、一種の判官贔屓の心意気があったのだろうと、自分もこの年齢になって、遅まきながらも 感謝の念が身に染みる。

Kさんが4日前にメガネを注文して帰られるときに、私はそれまで見せるのを躊躇していた、上記エッセイ(親思う心にまさる親心)を 思い切ってプリントアウトしてKさんに手渡した。

そして昨日、メガネを受け取りに見えたKさんは提げ袋に何やら大きな物を入れて来られた。
それが、この吉祥天の木像だった。
「眼を悪くしていた頃に彫ったものだから、出来は良くないのです・・・。」という、いつもの謙虚な言葉には当たらない、 見事な木像で、デジタル平面画像では1/10も再現できないのが歯痒く、せめて工夫して立体写真にしてみた。 これで1/8くらいは伝わるかな。
Kさんによると、「NHKドラマの”義経”でもよく登場する毘沙門天の奥さんが吉祥天です・・・」 ということだ。

そして、この”吉祥天”を頂戴してしまった。 「はい、ありがとう。」と手を出すのも躊躇を覚えたが、 ”命”をいただくのだなあ、と思いながら受け取った。

自分の分身を託しながら、自慢話をされることもなく、わずか15分ほど話しただけで、あっけないほどいさぎよく 踵を返して帰られたKさんの背中を、今度は私が万感の思いで見送った。 なぜか引き止めるきっかけを失っていた。

なんだかあのエッセイで催促したようで悪かったなあ、と思ったが、後でKさんの奥さんも読んで涙を流してくださ ったことを知った。

懸賞ゲット(2)

去年に引き続き、今年も地元の進学高校の文化祭のプログラムに 載っていた懸賞問題に挑戦した。去年と違うところは、去年は中学生だった娘が同校の トップクラスに入っていることだ。

高一の娘は少し前から文化祭の準備と本番でかなり疲弊していたこともあってか、 あまり問題に集中せず、私と違う答えを出した。もっと考えるように言ったが、自分が正しいと言い張るので、 「勝手にしろ!」と言って父が一人で応募した。

同予備校のサイトから応募のフォームに入ったら、最初に”生徒名”という欄があって、 ちょっと顔が赤らんだが、下の学年の欄に”その他”があったので、遠慮なく入らせていただいた。^^;   先日、同予備校より正解の通知が来て、まずは父親の権威失墜を免れた次第だ。

この問題は落とし穴に入りやすい。これは簡単、とぬか喜びして、1/24とか、1/12とかいった答えを すぐに出してしまった生徒が多いのではないだろうか。x≦-1/4、y≦-1/6 より、xy≧1/24とするのは早計である。   珍問奇問ではなく、関数の本当の理解を促す問題なので、高校生はぜひ解いてみるべき問題だと思う。    問題を作った方に敬意を表したい。

My American Friend and the War(WW2) / 友達と戦争

8月9日は、広島の3日後に長崎に原爆が落とされた日。  アメリカでは、「原爆によって戦争の終結を早め、戦争が長引けば予想された、より多くの人命の損失を回避した。」 と教えている らしい。

旧約聖書には、神によって焼き払われた二つの邪悪な都市、ソドムとゴモラの話がある。 まずは非白人であり、 異教徒とみなしていた国民への仕打ちには、もともとその行為を正当化させるだけの文化的土壌のようなものが、当時の 連合国の間、特にアメリカ人の中にはあったのではないだろうか。

今日のテレビのニュースで、長崎の浦上天守堂での追悼ミサの状況が放映されていた。 被爆したマリア像の首を、 教会関係者がうやうやしく祭壇に掲げていた。 恐らく、日本にもキリスト教が根付いていること、 ましてこれだけ大きな礼拝堂があることを、当時はおろか、今でも知っている旧連合国民はほとんどいないだろう。  無惨に被爆したマリア像の首の映像を、アメリカの人々にぜひ見てもらいたいものだ。

二十年前にアメリカの友人を訪ねた時、友人は自分の地元の親友も招いていて、3人でこんな会話になった。

Mr.K: 「(太平洋戦争で)何でお前らはPearl Harborだけ攻撃して帰ってしまったのかいな。 本土に上陸してアメリカ人 を皆*しにすりゃあ良かったのに。」

私: 「そんな余裕も準備もあった訳がないでしょう。」
牧師にあるまじき投げかけに少し驚いたが、むしろ、そんな型破りのMr.Kを私は気に入っていた。  試されているような気もしたが、しどろもどろにまるで見て来たかのように答弁する自分自身に可笑しささえ感じていた。

Mr.K: 「それに、南の島ばかり取って何になるだい。」

私: 「資源が無いので、まずは足場を固めないと・・・」

それからMr.Kは地元の親友と、「日本の兵隊が世界で一番強い・・」という意味のことを話して、互いに納得していた。

Mr.Kは親日家という言葉では表せないほど、日本や日本人に対する思い入れは尋常ではなかった。 それは時にはうっと うしくなるほどであり、結果的に疎遠になってしまった原因ともなり、やがて音信不通になり、最近、彼の死がほぼ確定的 になるに至って、今や贖罪の念が私自身に重くのしかかっている。

Mr.Kは現地のレストランで私を接待しても、決してテーブルにチップを置かなかった。 それについて私が尋ねると、 「こんな生産性のないやつらにやる金はない。日本人ならいくらでもやる。」と聞こえよがしに言っていた。

Mr.Kは職が安定しなかった父親のために高校を卒業するまでに11回も転校させられた。 「自分の名は父が闇品売買で 刑務所に入っていた時の父の務所仲間の名だ。」と、自分の生い立ちをさらりと打ち明けた。

Mr.Kは高校を卒業すると、空軍に入り、配属されたのが日本だった。 大学に進学する学費を稼ぐためであり、実際、 除隊後に高校教師になり、牧師にもなった。 日本にいた数年の間にMr.Kは初めて、親友と言える友に巡り会う。 その日本人 の親友は、なぜか英語が流暢で、友に日本語を教えなかった。その日本人青年も、食卓で日本語を話すと父に箸箱で頭を叩かれ て育ったという希有な生い立ちを持っていた。 暗い陰を持つ、数年年上の日本人青年をMr.Kは師と仰ぎ、最愛の友とし、 心酔して行った。 しかし、日本人の親友は、妻がポリオを患う等の不運の末、自殺してしまう。若い頃のMr.Kと日本人青年が 一緒に写った写真を私は彼から貰って、今でも持っている。

Mr.Kにまつわる話には、それだけで小説が何冊も書けそうなほどのドラマがあるが、脱線がエスカレートしそうなので、 じっと我慢して本題に戻る。 そんなMr.Kが送ってくれていた現地のテレビのドキュメント番組のビデオを思い出したのだ。

それは広島に投下された原爆に関する特集番組であった。 何と、それは延々と1時間以上も続いていた。 ニューメキシ コ州のロスアラモス、砂漠の真ん中に原爆製造のための都市が作られた。 科学者と技術者を家族ごとそこに隔離し、学校や 病院等の施設まで作った。 わずか3年足らずで原爆の実験に成功し、1か月も待たずに広島と長崎に投下されたのだ。

番組の中でインタビューに答えていた(オッペンハイマーは番組制作時にはすでに他界していたはずなので、古い記録 だろう)、当時の原爆製造プロジェクトのリーダーだった、晩年のオッペンハイマーの深い眉間の皺が彼自身の苦悩を物語っ ていた。 また、日本から送られたであろう被爆者のインタビューも、原音入りで長時間に渡って流されていて、被爆者が直 接描いた生々しい絵も同時に紹介されながらの英語への同時通訳が興味深かった。 聞き取れない部分が多かったが、広島に 投下された原爆についての特集が、これだけ詳しくアメリカで放映されたことに一番驚いた。日本でもこれだけ詳しいドキュメ ントが作られたことが何度あったろう。

原爆投下を正当化するのもアメリカ人なら、極めて中立に原爆を描写しようとするアメリカ人もいる。 また、Mr.Kの ようなアメリカ人も。 多様性が日本よりは許容されている国と言えるのだろうか。

ただ、偏見も愛着も極めて危うい両刃の剣。 人が二人いれば社会が生まれる。 家族、地区、都市、県、国、スケール は異なるが、原点は人。

私がMr.Kを訪問している時に、彼はこんな話を自慢げにした。   「黒人の貧しい生徒の父親が死んだので、私がタダで葬式を出してやった。 その時、同僚の黒人の女先生がMr.Kに言った。 『あなた、そんな地区に行ったら殺されるわよ!』」
ところが、滞在中に彼と一緒にテネシー州に小旅行に行った時、ホテルの部屋で、廊下を話しながら通る3人ほどの客の 声を聞きながら、「おい、聞いてみろ。3人のうち二人は黒人だ。アクセントの違いで分かるんだ。」と言っていた彼の様子か ら、Mr.Kの偏見フリーの限界を見た。

私がMr.Kを訪問した次の年の夏に、今度は彼が私を訪問した。 後になって分かったことだが、Mr.Kの妻は日本に固執する 夫に、いみじくもこう吐き捨てたそうだ。
「そんなにまでしてジャップと地べたに座りたいの?!」

私がMr.K宅に滞在中、彼の妻は一通り親切にしてくれたものの、顔は微笑んでも目が笑っていなかったので、何となく歓迎 されていないことは分かっていた。洗濯物は私のパンツまで家族と同じ洗濯機で洗っていたが、火力発電所を見学して帰った時、 私の白に近い薄茶色のズボンの裾が石炭の粉で汚れていて、彼女が漂白したら、まだらに脱色してしまったことがあった。 彼女が手放しで笑ったのはその時だけだった。^^;

私の所を訪問して帰国した、牧師のMr.Kは長年連れ添った奥さんと離婚した。

125ED-BINO on Equatorial / 赤道儀仕様

松本さんから12.5BINOをうけとってから、約10年経過した今レポートを記すこととなりました。 そのきっかけは今年の3月に自宅を新築した際、思い切って観測室を設置したことです。 今までは自宅から歩いて3分の所の畑にスライデイングルーフ式の観測所があり、ここに設置していたのですが これで愛機と同居ということになりました。

場所は三重県の最南端で昨年世界遺産に指定された熊野地方です。この地区は日本の中で指折りの交通不便なところで、 それゆえ観光地でありながら乱開発されることなく自然が残り、星空の美しさも自慢の一つであります。特に天の川は クッキリと見え星々の集まりであることが肉眼でもよく分かります。 立地している場所は小高い山の頂上に位置し360度パノラマで東側に海があり、1年中日の出が見えます。

BINOは鏡筒がボーグ12.5 f8 アイピースはPENTAX LX7 14 28 40 赤道儀がミタカGN-170です。 性能の割には非常にコンパクトにまとまっており、楽に振りまわすことができ、 天頂を見る時は床にあぐらをかいた状態で接眼部が目の高さに来ます。 鏡筒は対物レンズ部と接眼部と回転装置部の3体に分解でき、それらを外して雲台プレートを乗せ替えること で写真赤道儀になります

肝心の見え味はシャープの一言です。ゆっくりと天の川の中を散策していると、二重星が多いことに驚かされます。 両目で見るということは微妙な部分がはっきり分かるものです。この部分の説明は他のリポーターの方達が充分されていま すので割愛させていただきます。

自宅に観測室があることのメリットは計り知れません。2階にある自分の部屋から階段を上って入ります。夜中でも明け方で も見たい時に最高の機材で見ることができることは幸せなことです。

写真で分かると思いますが10年経った今もバランスのよさ、美しさは変わりません 今となっては松本さんの作品の中で初期に分類されるものですが、ここに原点があるように思えます。

2005年8月8日   仲 賢

Comment by Matsumoto / 管理者のコメント

本日、三重県の仲さんより、お手紙と写真集入りのCDを郵便にて受け取りました。  ご連絡先が分からず、掲載の詳細を決められませんが、 あまりに写真集が素晴らしいので、先に写真だけを掲載させていただくことにいたしました。

ご投稿いただいたBORG125ED-BINO(赤道儀仕様)は、十年ほど前にお作りしたものですが、この度、お住まいの 新築と同時に観測所もご自宅に引っ越されたとのことで、改めてご投稿いただきました。 動画を含む多数の画像を お送りいただき、これだけに絞るのに大変苦労しました。似た写真もありますが、これ以上はどうしても割愛できませんでした。

このBINOは、私が今の工作手段の半分くらいしか持たない頃に、全身全霊を込めて製作したもので、久しぶりに対面させていただき、 感無量になりました。率直に言わせていただいて、今見ても、付け加える物は何もないほどの完成度です。 回転装置は、外リングだけを外注し、他は全て私が発案、加工したものですが、ガタは皆無で、ジャイロスコープのように 円滑に回転し、クランプ機構も備わっています。 最初は無垢の板材から大型旋盤でくり抜いてもらっていたリングでしたが、仲さんのモデル の頃からは木型を外注し、一皮大きなリングを鋳造してもらい、それを旋盤で加工するようにしていました。

(8月8日追記) 本日、仲さんよりリポートをいただきました。 改めて、十年の月日の早さにおののきます。   前のみかん畑の中の観測所も、BINOが美しく収まっていたのが印象に残っています。 本来なら、サイト開設時に真っ先 にリポートをお願いすべきだったのですが、日々の仕事に追われるまま、月日が経ってしまいました。

仲さんは富士山写真家としても有名で、最も遠い距離から撮影された記録保持者としてテレビ出演されたこともありました。 謙虚な方で、今回は具体的な観望の感想を割愛されましたが、機会がありましたら、またぜひ投稿をお願いしたいものです。   仲さん、懐かしいリポートを本当にありがとうございました。

SKY90-BINO

≪はじめに≫
 産業革命発祥の地、英国テムズ川にてビッグベンからグリニッジ天文台へ通ずる 遊覧船がある。たいそうな髭を生やした船長はジョークを交えながら語り、遊覧船 は煤けた大きなアーチの元をゆっくり進んでいく。 しかし、おおよそその地の裏、豪州では、白銀に光り輝く巨大なアーチが音もな く赤い大地をほのかに照らし、沈むことのない南十字がキリストの慈愛のごとく優 しく見つめている。ティーポットに映る対日照は朝食までの残り時間を知らせてく れ、巨人の舌のように天頂高く突き上げられた黄道光は、小さな星雲・星団達をこ とごとく一飲みにするほどの明るさであった。

 言葉にしても表現しきれないオーストラリアの空。日本ではどんなに空が良くて も残念なことに銀河中心部が天頂に来ることがありませんが、ここでは暗黒帯が複 雑に入り組んだ巨大なエッジオン銀河が横たわり、煌々たるバルジが天頂に来ます。 よく星明かりという言葉がありますが、驚いたことにこの地では天の川にて影が出 来るのです! 手のひらを銀マットにかざし動かすと、真下に影ができ同調して動くのです。こ んな最高の空の元でごろりと寝ころび、銀河浴を楽しめるのは星見を趣味とする我 々としては最高の至福の一時でありました。

≪完成まで≫
 この夜空の元でEMSで天の川下りをしたい。これが今回のSky90Twinを作製した理 由です。鏡筒選定にあたって、トラベル仕様にしたいため軽量であること、広視界 が得られること、出来るだけ口径は大きい方がよいという欲張った要求がありまし た。幸いにも松本様のユーザーリポートにも掲載されております尾形様のSky90-BI NOを覗ける機会があり、Sky90に決心することができました。また,架台はTeleVueの F2経緯台を想定しておりましたが、これまた幸いにもインターネットオークション にて自作の軽量経緯台が出ており、その経緯台をベースに作製を進めることとしま した。

 作製の手順は以下となります。
  1.鏡筒・EMSの入手
  2.鏡筒・EMS・アイピース関連のつじつま合わせ
  3.架台設計

 まずは、双眼作製のスタートとして鏡筒・EMSの入手を行いました。この辺のディ メンジョンがわからないと3.架台設計が進められないためです。鏡筒はちょっとし た小さなこだわりで双眼を意識し、ステッカーが対称になるよう一方の鏡筒を反対 側に貼って頂くよう販売店の方にお願いを致しました。またSky90はf値が小さいた め焦点位置がシビアとなることから、接眼部は頑張ってフェザータッチフォーカサー に変えることとしました。鏡筒との接続アダプターを出来る限り切りつめたことに よりNagler Type4-22mmでも20mmほどのバックフォーカスの余裕を設けることが出 来ました。

 さて架台設計に移るのですが、ここからが慎重に行う必要があることろです。方 式は設計が楽な平行スライド方式を採用することとしました。目幅調整を如何ほど にするのか。57-72mmとし、最小値はEMSの幅で決まり、最大値は双眼鏡の目幅を参 考にしました。そしてエドモンド社の微動送り(±10mm)を松本様ユーザーリポート にも掲載されております井上様より譲って頂き、上記数値を鑑みて設計値中心を62 mmになるように鏡筒取り付け位置を決定しました。その時の鏡筒間隔は私の使用し ておりますEMS-Lで136mmとなります(EMSの黒色中間リングの長さによって多少数値 が異なってくるのと、使用していて最大値が74mmほどあった方が良いようですので、 数値を参考にする方は各自実測するようお願い致します)。

 上下回転の中心位置は、鏡筒下周りの金物を軽量に行ったため鏡筒中心より上側 にしております。これは下重心にすることにより天頂を向けた時、鏡筒が人側に倒 れることを防止することと、Naglerのような重いレンズが重心位置を上げてしまう ためです。細かな計算はあまり参考になりませんので回転軸周りの設計コンセプト のみ簡単に記載すると、45°傾けた状態でアイピースが合焦する位置でモーメント 計算を行います。アイピース交換等でモーメント量が変化することがわかっている ことから回転軸の摩擦を振り分けできるようにという配慮です。また合焦位置で計 算するのは、小型望遠鏡の場合長さが短いため、焦点以外に持っていくだけでもバ ランスが崩れ易くなるためです。

 ただし、これらの誤差は製作後の鏡筒の前後である程度とれますし、最悪わから ない場合はベースプレートを横縫いにしておき、回転中心を鏡筒上数十mmほどにな るように作製すれば、後ほどの修正も側面板の穴あけ加工のみで済むかと思われま す(今回のSky90では10mm、鏡筒下回りが重いほど鏡筒中心に近づきます)。

 最後に軽量化に関してですが、鏡筒の連結が容易且つ軽量な手段として、マグネ シウム合金の中判カメラ用のクイックシュー (Velbon QRA-667L)を用いました。目 幅調整を行う都合、移動プレートとベースプレートが必要となりますが、通常は付 け足しの発想となりがちですが、ベースプレートをくり抜き、そこに移動プレート を入れました。また移動プレートを保持する要素として、松本様も採用されている リニアブッシュを採用するのが安価かつ精度も確実なのですが、重量が重いためリ ニアガイドを使用する方法を採りました。2本前後方向に配置することによりその 方向の倒れを押さえ、さらに2連のガイドブロックにすることにより左右方向の倒 れを拘束しています。

 移動プレートとベースプレートの連結は小型アルミブロックを介して前出の微動 送りと連結しています。また鏡筒バンドに関しては、既製品は非常に重い且つ横に 張り出しているため特別に作製をお願い致しました。それにより元重量の半分以下 にすることが出来たのと、架台部左右幅が350mm程に押さえることができました。

≪観望≫  スッーと滲んだ光が点になった瞬間、そこはまさに別天地でした。アイリスのよ うに煌びやかに咲くエータカリーナ星雲。砂粒を集めたようなオメガ星雲。長くた なびくNGC4945。フライフィッシングを楽しむ釣人NGC2547。視野いっぱいに広がる 大・小マゼラン。どれをとっても来て良かったと思わせる瞬間でした。いつまで見 ていても飽きることはありません。広がりがあるのに中心の集光が凄い球状星団NG C104、不気味なタランチュラ星雲(Sky90ではどちらかというとかわいい子蜘蛛)、 南天にはすばらしい天体がいっぱいあるのです。

 しかし北天も負けてはいません。いて座付近の散開・散光・球状をはじめ、ハー ト形のアンテナ銀河NGC4038/4039、鋭く切り裂かれたM104ソンブレロ、M13と双璧を なすM5などなど。90mmでもビノのおかげで余裕で見えるマルカリアンチェーン、う みへび座NGC3311付近(Abell1060)の銀河団ですらたった90mmで見えるほどの空でし た。

 北十字が昇る頃、乳白色に輝く天の川が頭上を通過しクライマックスを迎えます。 しばし経緯台はお休みし、銀マットに寝ころびながら壮大な天の川を見ていると、 自分の小ささを思い知らされます。天の川と平行に寝ころぶと、天の川の光に吸収 されそうな錯覚さえ覚えました。

 天の川が傾きを持った頃、大きな窓を持ったEMS双眼で、あたかも宮沢賢治の 銀河鉄道の夜を奏でたのでした。10°程度しか昇らない北アメリカ星雲やγ星付近 の散光星雲も、UHCフィルターを用いれば難なく見えてしまいました。徐々に高度を 上げると、白鳥区の終わりであるアルビレオの観測所に到着。二つの大きなサファ イアとトパースの玉はどこまでも透き通っています。黒い空間に突如とポッカリ浮 かぶM27,賢治のマントを掛けるCr399コートハンガー、天文学者泣かせのM71を通過 した後、鷲の停車場に着きます。

 盾の散開を通過する頃から銀河の一部なのか星雲・星団なのかわからないほどに なっていき、M17のオメガ星雲にさしかかる。倍率を上げるとまさしく白鳥が優雅に 漆黒の宇宙に浮かんでいるようです。バンビの横顔(私はお茶の水博士に見える)は 写真のように見え、珊瑚礁に囲まれた南の小島M8でしばしバカンスを楽しんだ後は、 ζ星と色の対比が美しいNGC6231がある蠍の尾に至ります。盾からの暗黒帯が複雑に 入り組んだこのあたりは本当にすばらしいの一言です。

 そして、祭壇に飾られた球状星団NGC6352,6397を恐る恐る眺めた後、力強くもオ レンジ色に光り輝く二重星ケンタウルスαに目を奪われていると、そこはまもなく 終着駅の南十字星。漆黒なるコールサックの脇に輝く、決して手にすることは出来 ない宝石箱を眺めながらカムパネルラとジョバンニの旅は終わるのです。

≪主な仕様≫
鏡  筒:Takahashi Sky90 (f500mm、F5.6)
接 眼 部:Starlight Instruments, Feather Touch Focuser 2.0″ Travel
双眼装置:EMS-L
ファインダー :等倍ファインダー (Baader Planetarium, Sky SurferⅢ)
架  台:平行スライド方式(二連リニアガイド仕様)
目幅調整:57~72mm
上下範囲:-5°程~100程°
微動装置:フリクション固定、ネジ押し式 (上下・水平共)
三  脚:Berlebach, Report2042 (Vixen開止付)
使用接眼:Meade UW8.8、TeleVue NaglerType4-12mm、22mm、WideScan TypeⅢ 30mm、
Pentax XL40
総 重 量:15kg(三脚込、アイピース別)

≪謝辞≫  本双眼望遠鏡を作製するにあたってアドバイス等頂きました井上様、快く見せて 頂きました尾形様、加工部品の作製にご協力頂きましたコプティック星座館、遊馬 様、唐沢様にはこの場を借りまして心よりお礼を申し上げます。
 また、本オーストラリア旅行を本当に楽しい旅行にして頂きましたトラさん、村 山さん、同行した皆様、そして現地の皆様、心より感謝致します。

Okada

Comment by Matsumoto/ 管理者のコメント;

 Okadaさんが、オーストラリア遠征記を持参されたSky90-BINOの製作記を兼ねた、非常に 内容の濃いリポートをくださいました。 非常にコンパクトかつ優秀なBINOで、台座の精密な メカの写真からもOkadaさんの意気込みが伝わって来ます。

  一緒にお送りいただいた銀河の写真もインパクトがありますね。 実際にその中に浸れば、 人生観までもが変わりそうですね。 多大なエネルギーを傾注して遠征される意義が分かるような 気がします。

SKY90-BINO (Mr. Tsuji)

 松本さんに双眼望遠鏡の構造をいろいろお聞きしたのが去年(2006年)9月。12月末にヘリコイド式EMS-Lを納品してい ただき、今年(2007年)4月になりようやくBINOとして覗ける形になりました。簡単ですがレポートを送ります。

催眠誘導?
三重の大台ヶ原で見かけたSky90-BINOが最初に目撃した松本式BINOでした。そのときは「ずいぶん凝っ てるね~」「調整大変そう」という程度で、失礼ながらそれ以上の関心は湧かなかったのです。その後 数年が過ぎ、所属している同好会の方が作製したNerius80-BINO(愛称ヘビーノ)で富士山の測候所跡な どを見上げる機会があり「けっこう行けてるね~」となり、同氏が作製した双眼ドブソニアン(愛称ド ビーノ)やその方から影響された方の10cm屈折BINOなどが誘引剤として作用し、いつしか「お気軽観望 用にBINOが欲しいな~・・・」と感化されていったのでした。

コンセプト
星見遠征での基本スタイルは写真撮影です。せっかくの星空も撮影の合間に手持ち双眼鏡で見上げるだ けともったいない状態でした。車に載せた撮影機材のすき間に大型の観望機材を押し込むこともでき ず、撮影を始めればヒマをもてあます・・・。これでは趣味として長続きしません。といったところが BINOのコンセプトを考える元になっています。

イ) 見た目カッコよく! 趣味は形から
ロ) 気軽に持ち出せる小型軽量機材
ハ) 月・惑星から星雲・星団まで何でも見えること
ニ) ずっと使える耐久性

構造
「お気楽でもちゃんと見える」をマジメにやるとなかなか大変です。さいわいなことに双眼望遠鏡の世 界は松本氏やBigBino服部氏のサイトなどで詳細に説明されていますので何度も眺め返すと、ストレス のないBINOの特徴は単眼でも良好な望遠鏡としっかりした足回りの組合せがキモらしいとわかります。

本機は90mmの小口径BINOですが、よいタイミングでEMSのヘリコイドがペンタックスからボーグに代 わったことにより筒外焦点距離の消費が減り選択しやすくなったのと、全体の軽量化と調整項目を減ら す目的から鏡筒固定タイプにしました。眼幅調整はEMS中間筒に設けられたヘリコイドによります。鏡 筒間隔をD=156mmとすることで67mmを中心にして60~74mmに対応しています。また、合焦装置をFeather Touch Focuser に換装することで難物のNaglarType4-22mmをヘリコイドが最も伸びた状態でも約6mmの 繰り出し量を確保して合焦させられました(写真4)。

左右鏡筒の光軸調整は接眼方向から向かって左側を基準鏡筒にして、右側の鏡筒をファインダーと同じ 要領で前後3ヶ所ずつの押しネジにより調整します。初期調整時には200倍まで調整しましたがアイピー スの抜き差し具合でもズレますのであまり神経質に調整しなくても問題はありません。固定枠はズレが 生じないよう強固に造りましたので「象が踏んでも・・・」というほどではないですが、私が踏んでし まっても大丈夫でした。

架台はユーザーレポートにあるWenglar氏作製のTeleVue140-BINOが理想です。しかし、これほど潔くは なれないため、カッコだけ真似て細かいギミックを付け足して逃げています。まず、TeleVue F2経緯台 から軸受け部分と側板を流用し、メガネ状の鏡筒固定枠を耳軸部で前後にスライドさせて重量バランス をとれるようにしました。架台を載せる足は1/2インチネジが使える軸受けをつくりタカハシのEM200赤 道儀用三脚を使っています。とても丈夫です。もとのF2経緯台の軸受けに戻せば3/8インチネジになり 大型のカメラ三脚も使えるようになりますので海外遠征などはカメラ三脚仕様で行く予定です。

観望

イ)初期調整

初期調整のために見た春がすみでモヤッと白んだ昼間の景色はやはり単眼とは大違いでした。白んだ空 気が対流で視野の中を移動していく立体感がわかってしまいます。ためしに同じ状態で片目をつぶると 「アレッ?」というほど立体感が失われます。

ロ)ファーストライト

4月中旬に富士山近郊でファーストライトを迎えました。明るいうちに現着してケースからBINOを取り 出すと右側のEMSがヘリコイドと第一ミラーケースのつなぎ目で回転しているのを発見。応急処置で視 野の回転を合わせましたが、左右の接眼筒の位置が多少斜めになって視野回転が合う状態に。さらに片 方のSky90がわずかに光軸不良なのも発見。カスミがひどいのと合わせてファーストライトは不発に終 わりました。

ハ)再調整

Sky90はメーカー送り。EMSは松本氏のHPを参考に調整治具を作製してミラーの原点復帰を行い、数キロ 先のビルを見ながら捻れ角も調整。はたして、元どおり?になったSky90-BINOは200倍の高倍率でも スッキリした視界が確保できるようになりました。

ニ)本領発揮?

a)天の川22mmのアイピースをつけて23倍ほどの倍率で天の川下りをすると、天の川沿いの散開星団、散光星雲、 球状星団が次々と視野に入り、双眼鏡でもドブソニアンでも出しにくい谷間の倍率が今までにない新鮮 な視界を創り出します。さらに、単眼では片目を開いても閉じても左右の視野の明るさがちぐはぐにな り長時間見続けるのは疲れますが、BINOでは長時間の観望が楽になり目を離さずに次々と対象を移動で きるためまさにクルーズ状態です。時間をかけて覗けることで暗黒星雲の切れ込みもハッキリと追いか けられます。また、アポ屈折のスッキリした星像のおかげで散開星団巡りにはおそらく最高の組合せで はないか?という気がします。やはりユーザーレポートで皆さんが言われるように、NaglarType4-22mm は双眼望遠鏡に特別にマッチするようです。

b)惑星
200倍で見る土星は輪の影がスパッとエッジの立った状態で土星本体に落ちているのがわかります。輪 の傾きが寝てきているのでカシニのすき間は1/4周ずつ両サイドに確認できるだけですが、両眼視によ る安定感から経緯台での追尾にもストレスは多くありません。今シーズン、南天低い木星はフェストー ンがうねうねとしているのが容易にわかります。模様のわかりやすさは20cmニュートン反射のMT200と ほぼ同じなのにはビックリです。さすがに口径が小さいので模様の色は淡いですが、これだけハッキリ 見えれば気が向いたときにサッと出せる機材としてはじゅうぶんです。

c)月
口径90mmともなればじゅうぶんに眩しい月が見え、それが双眼視によって色彩情報も昼間の景色のよう にハッキリと感じられるようになります。月の海にこんな色あったっけ?クレーターから伸びる光条ど こまで続いてるの?といった感想がでるほど色彩豊かな月面が広がります。クレーターの中を見るよう な高解像度は口径の限界で無理ですが、BINOによって得られる安定感とより確認しやすくなる多彩な色 によって飽きのこない楽しさが長続きします。片目で月を見ていた頃はアイピースから目を離すと効き 目だけ暗順応が無くなって違和感たっぷりだったのですが、BINOでは両目とも等しく暗順応が無くなる ので違和感無く周りが見えなくなります。

以上、長々と書いてまいりましたが、Sky90-BINO作製にあたり先達の方々のレポートや作例を参考にさ せていただけたおかげで、かなり満足できるBINOを完成させることができました。松本さんをはじめ参 考にさせていただいた皆様に感謝いたします。また、本レポートが次にBINOを作製される方の参考にな れば幸いです。ツジ

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写真の説明

●(写真7)富士山新五合目にてユーザーリポートに出られているスタークラウド宮野さんのMegrez90-BINO、 OkadaさんのSky90-BINOと偶然にも居合わせまして90mm-BINOを3台並べて記念写真を撮り、雑談などさ せていただきました。

●(写真6)同じ同好会の方のNerius80-BINO(愛称ヘビーノ)とツーショット

●(写真5)収納ケースに使用している東洋リビングのドライバッグF-47

Comment by Matsumoto/ 管理者のコメント;

 「Sky90-BINOを鏡筒固定のヘリコイド仕様で製作したい」、とのご希望を最初にツジさんからお聞きしたときには、 Sky90鏡筒の場合はバックフォーカスの確保が難しいことを理由に、標準の鏡筒平行移動方式をお勧めしました。しかし、その後の交信から、ご計画が無理解に基づく 単なる思い付きではなく、綿密なプランに基づかれたものであることを知り、了解いたしました。

 ツジさんが描かれた詳細で美しい図面を拝見し、私もご計画の成功を確信し、安心してお手伝い出来ました。 写真をご覧になってお分かりのように、実際に仕上がったBINOも見事な物です。BINOのメカに関心を持っておられる方には、説明は 不要かと思いますが、念のために少しコメントさせていただきます。

 耳軸がアリミゾになっており、BINO本体のアリガタとの接続位置を調整することで、前後バランスを瞬時に調整できるようになっています。 カウンターウェイト等の余分な構造や追加重量を排除した優れた方法です。 その他にも優れた工夫が詰まっていて、”見事”としか言いようが ありません。

 EMS-BINOの目幅調整は、鏡筒自体を平行移動する方式と、ツジさんの例のようにEMSの2つのユニットの間隔をヘリコイド等で伸縮させる方式の 2種類があります。 私としては、小型のBINOには前者が適し、大型のBINOには後者が適すると考えていますが、構造をよりシンプル にして軽量化を図る上では、諸条件が許せば後者が有利になるようです。ただし、後者の方式では、目幅調整でピントが移動しますので、 大勢で観察する場合は前者の方式の方が便利かも分かりません。
 剛性については、トータル的には作り方次第で、必ずしも どちらが有利というわけではないと思います。 ただ、市販のヘリコイド自体がそう頑丈な物ではありませんので、 大型のBINOについては、今後は目幅調整用のヘリコイドの代わりに、当方オリジナルのクレイフォード方式に移行する準備を具体的に進めています。

 ツジさん、素晴らしいリポートをありがとうございました。
  これからBINOに入門される方の中には、あまりに凄すぎて、ひるんでしまわれる方もあるかも分かりませんが、 何事も一朝一夕には実現しないものです。 理解度や工作技術の達成度に合わせて、無理の無いご計画を立てられることを お勧めします。具体的には、まずは標準の仕様のBINOをご計画になることをお勧めします。

12cmF5-BINO

 2004年12月に、SCHWARZ120S-BINOを松本さんに注文し 今までいろんな場所に持って行き星空を楽しんでいました。 見え味は、素晴しく自宅にある30cmの望遠鏡より使う回数が 多くなったかもしれません。 しかし、今まで使っていたBINOの合焦機構は、微妙な調整が出来て よかったのですが、アイピースの交換の時やフィルターの取り付けの時に 調整するのに意外と時間がかかっていたこともあり、せっかく新しい アイピースを買ってもあまり使うことができませんでした。そんな時、たまたま見た山内さんのHPで、新型のクレイフォードが私のBINOにも取り付け が出来ることを知り、これだったら私でも微妙な調整が出来るような気がして 早速、リフォームするために松本さんに注文いたしました。

 2週間ぐらいで届き、G.Wが終わった後に取り付けをしました。 松本さんから、「もしかしたら望遠鏡側の穴とクレイフォード側の穴がピッタリと合わない かもしれません。」と言われていましたので大丈夫かなぁと思っていました。 やはり、取り付けの時穴が合わなかったのですが、そんな大きなずれではなかったので 松本さんに言われていたとうりに望遠鏡側の穴を少し削り何とか取り付けることが出来ました。

 そんな時、星見仲間から連絡をいただき今年初めての蔵王坊平に星見に行ってきました。 リフォームしたばかりのBINOを使い、春の銀河を久しぶりに楽しんできました。

 今まであまり使っていなかったアイピースも使ってみましたが調整がとても楽になりました。 リフォームして正解でした。使い方は、前と同じなのですが私には新型のクレイフォードの方が 調整しやすいみたいです。操作もとてもスムーズです。倍率高めで見た球状星団とても綺麗でした。

 自宅にある30cmの望遠鏡で夏になると球状星団巡りをするのが大好きなのですが これからは、BINOで空のいい場所で球状星団を楽しむことが多くなりそうです。 ますます30cmを使うことが少なくなりそうです。

松本様、今回最優先で加工していただきありがとうございました。

稲村陽子

Comment by Matsumoto/ 管理者のコメント;

 稲村さんに第4世代のSCHWARZ120S-BINOを納品させていただいてから、2年半が経ちましたが、随分と長い期間のような、逆に短いような不思議な感じがいたします。 「EMS-BINOは常に進化しています。」と言えば一見格好良いのですが、私はもともと機械加工のプロではありません ので、以前の自分を振り返りますと、いつも顔が赤くなる思いです。本来なら、無償でリフォームをお引き受けすべき なくらいに思っているのですが、営業を考えると、残念ながらそういう訳にも行きません。^^; にもかかわらず、こうして パーツのみお送りし、ユーザーサイドで立派に取り付けて光軸を再現してくださったことに、敬意と感謝の気持ちで一杯です。

 写真をたくさん送ってくださいました。選んでくださいとのことでしたが、どれも意義のある写真でしたので、ほとんど全てを 掲載させていただきました。 稲村さんの観測室(写真1)を初めて見せていただきました。 スライディングルーフの観測室の 外にも広いベランダがあって、大変合理的で使いやすそうな観測所ですね。