小学校の3年生まで、担任は女の先生が1年ごとに交代した。
当時の私は、生意気だったのか、女の先生のお遊技的スタンスが嫌でならず、先生の指導と うまく噛み合わなかった。もっとも、私は授業を妨害するような生徒ではなかったが、正直に言って、幸せな低学年を送った記憶がない。
?年生の時に、リズムに合わせた足踏みがうまく出来ず、皆の前で悪い見本でやらされ、先生に、
「まるで芝居の馬の足だ。」
と言われ、級友の喝采?を浴びた。
先日、その女先生が数年ぶりに見えたら、数年前に肺癌で肺の大半を切除しておられ た。早期発見で転移が無かったとのことで、外観は非常にお元気そうだった。
帰られる時に、 私のテレビ番組(夢をつむぐ人々)のビデオを渡した。
それから10日ほど経った今日、先生が見終えたビデオテープにお祝いの祝儀袋を添えて返しに来てくださった。 両親にも、同じ小学校に世話になった、一昨年に他界した姉へのお供えにお悔やみの手紙を添付してくださった。
ビデオの件は、先生は大変喜び、心から賞賛してくれた。 以前から”たっちゃん”と呼んでくださり、お客さんになっていただいていたので、小学校時代のわだかまりは すでに消えていたが、(お祝いをいただいて言うのではないが^^;)、この度改めて先生のありがたさを知った。
先生についての想い出に、二つの強烈なシーンが浮かぶ。
一つは、先生の豊満な”オッパイ”だ。山に遠足に行った日、気の合った友達同士で昼食を取りながら、 先生の姿が見えないのに気付いた。 2,3人の級友と一緒に先生を捜していたら、山道から外れた人目につかない所で、 先生がしゃがんでオッパイを出していた。吸引器のような物で白いお乳を吸い出しておられ、皆、目が点になった。 先生は慌てることもなく、
「オッパイが張るけえ、こうして吸いださんといけんだが。恥ずかしいけえ、誰にも言ったらいけんで。」
と言いながら、その作業?を続け、私たちは最後までそれを見届けた。 先生は、その年、幼い子供さんを交通事故で亡くされていた。 その時は聞いたはずだと思うのだが、印象に残っていなかった。
もう一つ、鮮烈に浮かぶシーンは、ガキ大将の生徒が先生に突き飛ばされているところだ。背丈は小柄な先生に匹敵する悪ガキが、 「かかって来い!」と言う先生に泣き震いで突進するが、何度突進しても先生にはかなわない。
まさに体当たりの先生だった。 多くの親が自分の子供を育てるだけで顎を出している昨今だが、多くの人の子を育てて来た先生の偉大さを今さらながら 知らされた。