The second monthly return of my father’s death is over, two days ago. Time has lapsed very rapidly because there were so many tasks to deal with after his death.
I had thought to write about his agony and chagrin through his life that he could not express in his lifetime. But, I could write only a kind of prelude that seems to be no offense to anybody.
I might be wrong to think of any kind of revenge for my father, but I should just pray for his welfare in heaven.
早いもので、父の2回目の月命日が過ぎました。
私が父と離れて暮らしたのは高校卒業後に大阪の眼鏡の専門学校に行った時のみで、現代では、むしろ特異なケースかも知れません。
父の創業期の苦労を共有したことはもとより、私は父の少青年期の苦難や無念を当人の口から直接聞いて育ったので、父が「単なる温厚な眼鏡屋の主人…」という周りの認識にある種の歯痒さを感じていました。 むしろ、父の闇の部分をさらけてこそ、父を真に理解してもらえることだと考えたのですが、結果的には、2回目の月命日が過ぎても、本論に入ることが出来ませんでした。 筆(キー)が重くて進まないのです。 それと、そんな重い話は誰も聞きたくないのだろうな、ということが漠然と分かってきたこともあります。 本当は、娘や、甥姪等の親族には聞かせておきたいことなのですが、まだその機が熟していないのかも知れません。