仕事柄、日々眼に関する質問を受けるが、「乱視って、どんな目ですか?」という質問は来ても、近視や正視のことを質問する方はいなかった。酷いのは、「視力0.9以下が近視でしょう?」とか、「遠くが見えないのが近視で、遠くが見えすぎるのが遠視でしょう?」というのもある。
視力にからめて理解しようとするのが間違いで、上記の屈折異常と視力は無関係なのです。
ちょっと詳しい人は、平行光線が眼底の手前や向こうで結像する屈折異常のモデル図を覚えておられるかも知れませんが、その手の光路図を100年眺めても、屈折異常の定量的な理解には至りません。
網膜の中心窩(視線の中心)から発して眼外に射出する光束がどこで焦点を結ぶか?を考えることで、矯正するためのレンズ度数が特定できるわけです。若い水晶体は容易に膨らむ(調節する)ので、屈折異常も正視も、全て、水晶体が調節を完全に解除した状態であることが前提です。
近視は、中心窩から発した光束が眼前の有限距離に結像する眼です。その点のことを遠点と言います。(以下、省略)
その遠点を焦点とする凹レンズを眼前に装着させれば、その近視は完全矯正できるわけです。
眼底(中心窩)から発した光束は、眼球内の光学エレメント(硝子体、水晶体、房水、角膜)で収斂されて眼外に出るわけですが、近視は屈折力が過剰なために、平行を通り越して余計に収斂して、有限距離に結像してしまうわけです。
眼の屈折異常を視力にからめて理解(誤解)している方にとっては、遠視は難解のようです。しかし、眼底(中心窩)から逆進する光路をイメージすると、明瞭に理解することが出来ます。
遠視は、さきほどの近視とは逆で、眼の屈折系による収斂力が足りないため、眼の外に出る光束が平行光線になり切らずに、やや発散した光束で出て行くものです。ピントが合わない点では近視と同じなのですが、若い眼は容易に調節して、上の正視に偽装できる(もちろん無意識、自律的に)ため、当人はほぼ自覚せず、周囲にも分からないことが多いわけです。
近視の場合は、偽装する手立てがない(水晶体は膨れるのが専門)ので、矯正を放置していても疲れることは少ないのですが、割とよく見える遠視の方が、常に偽装しているので疲れることが多いわけです。特に、幼時の遠視を放置するといけないのは、過度の偽装(調節)をする際に、脳が輻輳(より眼にする)の信号を出し、複視を避けるために、効き目でない方の情報を遮断し、いずれその遮断された眼は弱視になって、成長後には復帰しなくなるからです。そうした事例にずっとかかわって来ましたが、それを正確に理解しているご家族はほぼ皆無でした。「何年眼科に通っても、遠視が治らない!」と言われる保護者の方が多くいました。
遠視のメガネは遠視を治すためではなく、それを放置することによる弱視化を防ぐものなのです。
まとめますと、屈折異常というのは、遠点が前方(もしくは後方)の無限遠以外にある眼のことです。近視は、眼前の有限距離。 遠視は頭の後ろの有限距離です。頭の後ろに遠点、というのは、初心者には理解し難いかも分かりませんね。眼の眼底より後ろに向かう収斂光線でないと網膜に結像しない眼です。そういう収斂光線は自然界には存在しませんから、無調節では、遠視は遠くも見えず、近くはさらに見にくい眼だと言えます。(若いと偽装(調節)するので、自覚はないのが普通)
レンズによる矯正は、その遠点の虚像を、眼前のレンズで前方無限遠に作ってやることです。
”老眼” を屈折異常と混同してはいけませんね。身長と体重を混同するくらいに的が外れています。大人が、体重が2kg増えたから、身長も2cm増えただろう!”と思うくらいの誤解です。
老眼は、水晶体が十分に膨らまなくなることなので、水晶体が一番薄い状態(無調節状態)での屈折状態を議論する屈折異常とは次元が異なるわけです。
つまり、正視も、近視も、遠視も老眼になります。近視の方が、「俺はメガネなしで近くがばっちり見える!」と自慢するのは、単なるトリックで、遠方用のメガネを掛けたら、たちまち化けの皮が剥げます。凹レンズである近視メガネを外す行為は、それを打ち消す凸レンズをメガネの上に装用するのと同値だからです。
遠視の方は、一番悲惨で、遠方矯正用の基本度数の凸レンズに、老眼分の凸を加算しないといけないため、近用メガネは凸+凸の分厚い凸となるわけです。
(適当な度数の)近視の方は、基本の凹レンズの上に凸レンズを加算する考え方なので、見かけ上打ち消されて0(ゼロ)度数で近くが快適に見えることが多いわけです。