Here is one of the common American friends of my Dad and Uncle. This photo is provied by my cousin, but I have also his shot with my Dad, which I have not yet scanned. The shutter of the camera must have pushed by my father. The right photo seems to be his wife and children. Those two photo was found separately by my cousin and I found they are his families because of the names written on the rear side of the photo.
終戦後に進駐軍が鳥取に入った初日、ほとんどの商店が固く店を閉ざしていた中で、父の店(時計メガネ店)と叔父の店(電器店)(隣同士)だけは開店して待ち構えていました。 父と叔父は、叔父が作った短波受信機で客観的な戦況を常に(隠れて^^;)傍受していたので、終戦をより冷静に受け止めることが 出来ました。
左の写真は父と叔父の共通の米兵の友人で、これは叔父と写っていますが、父と写った写真が当家にも ありました。 (後日探してスキャンする予定です。) 奥さんと子供さんの写真は叔父が持っていたものです。 大切な家族の写真を託すほどの信頼関係を進駐軍の兵士との間に、短期間に構築していた父と叔父に新鮮な驚きを覚えます。 撮影場所は鳥取市内の 久松公園です。 友人の家族の写真は、もちろん米国内で撮ったものでしょう。(友人の写真と家族の写真は全く別の (従弟から借りた)アルバムで見つけましたが、家族写真の裏書から関係を突き止めました。)
私が子供の頃に父から聞かされた この時期のエピソードは山ほどありますが、長くなるので、今日は書くのをやめておきます。