Stray cat / 迷い猫

今日は家族が一人増えた日なので、記録しておかないといけない。

午後3時半頃、昨日からこちらに滞在していた姪とその叔母(私の義兄の妹)を鳥取駅に送る時、(両親の)自宅玄関を開けた 駐車場に、まだ子猫と言うべき若い(満1歳未満か?)猫が迷い込んでいて、妙に人懐っこく甘えて来た。 家内を残して駅で来客を見送って帰宅 したら、なんと家内が店の中でその猫に鰹節(削り節)をやっていた。首輪も付けておらず、痩せこけてはいないものの随分と 食べていないようで、なんとも凄い食欲。

「駐車場から店まで付いて来たけど、店のシャッターを開ける音に驚いて逃げるだろうと思っていた。  ところが、シャッターが少し開くと、猫はスルっと店内に入ってしまった。」との家内の証言。  そうこうしている内に高3の娘も帰宅。 普段なら、心を鬼にして追い払うところながら、今回は不思議な縁で、家族全員満場一致でそ の子を受け入れることになった。 先月には両親を連れて因幡霊場で催された犬猫の合同慰霊祭(クーの一周忌)に参加して来たところでもあり、両親の心の 空洞を埋めるために機は熟したと言ったところのようだ。

諸条件から、両親の家で飼い、私たちもアシストすることにした。慌てて家内と一緒にホームショップに行ってトイレを 含む猫グッズを購入。 トイレのしつけの心配をしていたら、トイレに紙製の猫砂を入れるやいなや、彼(オス猫)は 待っていたように率先してご使用になった。まさに完璧な『猫』。 いずれ画像でご紹介します。(10/12 画像追加)

「このメガネ、皺(しわ)が見えます!」

中年期を過ぎて、それまで潜伏していた遠視が顕在化し始めた方は本当に扱いにくい。もともと視力には人一倍自信を持って 来た方ばかりなので、こちらに来店されるまでに相当痩せ我慢を続けられ、耐え切れなくなって、大嫌いなメガネ屋に来られたは ずなのに、皆さん、極めて往生際が悪い^^;。

正視の人が老眼になったのであれば、「近業時のみ、仕方なく嫌いなメガネを掛ける。」という選択も アリなのだが、遠視は残念ながら、そうは行かない。遠方視の際にも、近業用メガネ(老眼鏡)よりも少しプラス度数の弱いメガネ を装用しないといけない。 もちろん、それを装用しないと警察に捕まるわけでもなく、当人が納得しないなら放っておくしかない。
ただ、はっきりと言えるのは、掛けないとたちまち世界がボケて見えてしまう近視は、メガネを掛けなくても眼の調節機能には 全く負担をかけないが、掛けなくても遠方は結構見えてしまう遠視は、放置しておくと、生理的な負担が大きく、眼や体を蝕むと いうことだ。このパラドックスがなかなか理解してもらえない。

第一、主婦であれば、ある程度の遠視を放置したまま台所に立つことは、家族にとって不衛生極まりないということを自覚すべきなのだ。 また、いつまでも美しくありたいと思うのなら、まずは自らをはっきりと見つめないといけない。

頑固な遠視の初老のご婦人をやっとの思いで説得して、メガネを仕上げても、まだ全てのハードルを越えたわけではない。
仕上がった遠視のメガネを受け取りに見えた時がまた問題なのだ。メガネを掛けて店内の鏡を見たご婦人が悲鳴と共に、こう叫ばれる ことがあるからだ。

「キャーッ!! このメガネだめです。シワが見えます~!!!」

私はそれに対していつも手厳しく答える。

「気にしないでください。人には始めから見えています。ご自分が見えるだけです。」

だから、当店の本業はいつまでも発展しないのか??
(でも後でフォローもしますよ。「お友達のシワも見えるから、自信を持てますよ。」)

BORG 76/101ED-BINO

 「松本さんの双眼天体望遠鏡」と言えば充分聞き及んではいましたが、初めてそれを見たのは東京「あきる野市」にある スタークラウド宮野さんのショールーム(William Optics代理店)でした。雨模様のせいか2階からの景色はいまいちで したが、何よりびっくりしたのはZenithstar 80 EDの左側の鏡筒が何んとスルスルと嘘のように軽く左右に移動できること でした!
 これはただものではない、と直感しました。是非入手したいと考え、松本さんのHPで値段を調べると、とても2本の鏡筒 込みの値段とは思えないreasonableなものでした;しかし待てよ、うちには屈折が5本もある!これ以上新規に入手したら 部屋で座る場所もなくなるではないか?何とか手持ちの鏡筒を活かしたい。

 Scope Lifeの遊馬さんに相談したら、幸いにもボーグの77 EDと101 EDの「訳あり品」が1本づつ格安に入手できました。 Borgはレンズ交換式なので、これなら手持ちの鏡筒とあわせて二種類の双眼天体望遠鏡が一挙にできるかも知れない! 松本式のミラーは十数年前に買った手持ちがあります。メールで松本さんにお尋ねしたところ、問題なくそれを活かしてEMS セットとして頂けるとのこと・・・これで一応自作材料は揃ったようです。 勿論、松本さんの「クラフツマンシップ」に頼る方が無難なのですが、なぜか「作りたい」という衝動がおさえられません。

 はじめ無謀にも鏡筒スライド方式を考えましたが、素人がそんなムリをするより、EMSに目幅調節用のヘリコイドをつけてもら えば済むではないか、と考え直しました(ただし、焦点合わせを簡単にするためには本当はスライド方式の方が分があるように も思えますが・・?)。
 松本さんからはメールで懇切な指導が得られました! 鏡筒間隔は156ミリ程度が良いとのことで、早速近くのドイトに行って 材料を買い漁りました;まさに「クラフツマンシップ」ならぬ、「ドイトマンシップ」で作ったのが写真1の鏡筒台座です。 木板も3ミリのアルミアングルで補強するとかなりの強度が得られます。予め眼鏡に定規をあてがい鏡で眼幅の見当をつけて いたので、あとはEMSに内臓されているXY調節機能の助けを借りて意外に容易に「双眼視」が実現(!)しました。片目で見る のとは全く違う!

 一応、製作に先立つコンセプトとしては;
[1] レンズ交換式(77EDと101ED)にする場合、両者のレンズハウスの重量差を考慮すると運搬用の取っ手は前後にスライドお よび固定できることが好ましい(ドイトでは充分に長い金属取っ手は売っていないので)。
[2] その取っ手は観望中には不要だから、着脱式としてファインダーと交換できると面白い。
[3] ファインダーは「対空用」としては90度の正立ミラー(松本さんの31.7mm用の小型ミラーも所有していましたので)を使 用し、一方「地上用」としては普通の45度正立プリズムを付けたものをそれぞれ製作する。
[4] 見る対象によっては微動の利くTA経緯台の方が良い場合もあり得るので、HF経緯台との間で簡単に兼用可能とする。

 製作の手順としては;
A]アルミアングル材で補強した木板をHF汎用プレートに取り付け、その下から自作の木製アリガタでプレートをサンドイッチ 式にはさんで頑丈に固定。これで写真1のようなHF/TA兼用の鏡筒台ができました。なお、中央の長いアルミ材は「運搬用の 取っ手」または「ファインダー」をスライドさせるためのレールです。
B]このレールには写真2のAの「取っ手」およびBの「対空直角ファインダー(松本氏の小型ミラー装着)」のいずれかを 取り付けられます。なお、Cは45度プリズム付きの地上用ファインダーです(いずれも鏡筒部分は自作)。
C]あとは鏡筒バンドを取り付けて鏡筒をしっかり固定し、76EDまたは101EDのレンズハウスをねじ込むだけです。(とは言 え、光軸を物差しレベルで±0.1mm程度の精度で調整する必要があるのは勿論です。一旦調節すれば、あとは鏡筒バンドをゆ るめない限り、対物レンズを交換しても全く問題ありません)
D]一先ず完成です。写真3は76EDを付けたところ(運搬用取っ手が付いたままです)で、写真4は101EDに対空ファインダー をつけたところ、また写真5はHF経緯台からTA経緯台に移して地上用のファインダーを装着したところです。

 結構多目的に使えそうですが、まだ実は木星と月しか見ていません。アイピースは松本さんにお願いしてEWV 32mmを購入しま した。 反省点としては、台座が何分にも木製であるため、10cmクラスなら何ら問題ないのですが、15cmクラスではこの方法では強度 的に不安と思われます。また夜露に頻繁に晒される使用法の場合には耐久性も問題かと思われます。

 外観のスマートさから言っても松本製には遠く及びません。しかし何といっても「自作」は楽しいものです。家から車で5分 のところにドイトがあったので、助かりました。一日に何度もドイトに通ったのが楽しい思い出です。これからも「ドイトマ ン」として頑張ってみたいと思っています。
 何よりも矢張り、自分の考えで設計(?)し作ったものは大袈裟に言えば我が子のように可愛いものです。それにしても松本 さんのEMSと数々のアドバイスがなければ到底できなかったことです。同氏に深く感謝申し上げます。 これからもいろいろとご指導お願い致します。 

立川 四郎
Shiro Tachikawa
E-Mail
HP:ベランダで星空散歩

Comment by Matsumoto/ 管理者のコメント;

 立川さん、BINOの完成、おめでとうございます。
  立川さんとは、BINOのご計画段階で何度もメールを交換させていただいたのですが、EMSをお送りした後は、スムーズに組み立てを 完了され、初期調整方法についても特にご質問はなかったように記憶します。もともと単体EMSのユーザーでいらっしゃったのも、ご理解が 早かった理由かも分かりませんね。

 入手できるパーツと工作手段をうまく活用して製作されたと思います。自分の工作手段と入手可能な材料に従って設計を決める、という 点では、私が物作りをする時の方針と何ら変わりません。 鏡筒をBORGにされたのは、口径76mmと101mmの互換のメリットの他に、この鏡筒の徹底したmodule化による汎用性の高さ、応用性の 豊富さから、自作向きの鏡筒だったという点で正解だったと思います。ヘリコイドは眼視用のメインのfocuserとしては必ずしも操作性は 良くありませんが、これも他のlow-profileのcrayford式等と交換することも可能ですね。

  材料を、金属に限定されずに、利用できる工作手段を考慮されて、木材とアルミ材を組み合わされたのも正しいご選択だったと思います。  自作は、立川さんも書いておられるように、単に予算の節約ではなく、それによってしか得られないものが多くあると 思います。

  自分で作る事の喜びや、作った物への愛着があるのはもちろんですが、私は、『作ることで理解が深まる』という点が自作の最大の 意義だと思います。たとえば、望遠鏡業界には売るだけの立場の方も多いですが、そういう方には、どうしても到達できない 理解の壁のような物があると思います。 
 私は、売るだけの立場と、作る立場の両方を体験して来られた方を知っていますが、その方が、 昔を振り返られ、「あの頃は何も分かっていなかった。下請さんにも随分と無理を言っていた。赤面の至りだ。」というような 意味の事を述懐しておられたのが印象に残っています。私自身も、今でも物を作りながら、ほぼ毎日が新たな発見や反省の連続です。

 鏡筒の選択、材料の選択と、適切な判断をされましたが、眼幅調整の方式をヘリコイド式にされたことも、設計を簡素にする意味で 正解だったと思います。 私が今までに海外に供給した双眼用のEMSセットのほとんどはヘリコイド眼幅調整方式なのも同じ理由です。  ただ、リニアベアリング等の入手先をご存知であれば、自作でも平行移動方式はさほど難しいことはありませんが。

  完成した写真を見せていただきますと、ファインダーも絶妙な位置に配置され、全体も格好良く仕上がっています。確かに機能は 外観に表れると言った感じですね。木材と薄手のアルミアングルを組み合わせる方法は、強度と軽量を両立させる意味では優れた 方法かも分かりません。 そう言えば、”零戦”もアルミ合金材と木材が巧みに組み合わせてあったと聞いたことがあります。 これが、立川さんの初作のEMS-BINOですから、今後のさらなる進化を期待しております。また、観測リポートの方もお待ちしています。
 立川さん、詳細な自作リポートをありがとうございました。

タイムラグ(Time Lag)を考える

 タイムラグという言葉は、もはや日本語になっているが、a time lag というのは和製英語でなく、 れっきとした英語だ。”lag”は、lag behind~として使われることが多く、Genius英和辞典の例文には、 ~behind the rest of the nation in economic reforms. とある。 意味は、文字通り、“時間の遅れ”のことであるが、やはり“タイムラグ”の方がよりピンと来る。

 タイムラグというのは、どんな場合でももどかしいものであるが、人間が絡むと特に歯痒く、深刻になる。悪意は瞬時で伝 わるのだろうが、善意はなかなか伝わらないか、逆に誤解さえされ得るし、一旦誤解されたら、その誤解を解くには時には何十年 もかかるか、一生解けない。

 科学的な成果にしても、その時代の水準を超えて画期的な物であればあるほど、認められるのは後世を待つことになり、 数百年後にやっと認められるようなケースが希でないことを科学史が証明している。

 タイムラグということを、今の自分にからめて言うと、たとえば、1.新製品の構想と、2.その実験、試作、検証と、 3.Webでの公開と、4.一般への認知、までにはそれぞれの段階でタイムラグがあり、そのもどかしさはいつまでも埋まることは ない。

  ただただ、新たな成長の節目の到来の予感に、一人武者震いするしかない今日この頃…。   自分が常に進化しているということを主張し続けて、じっと時が来るのを待つしかないようだ。

Crystal of Snow / 雪の結晶

地区の問題に振り回されて過酷な?^^;毎日ながら、今日は高2の娘が英検準1級の二次に好成績で合格。 我が家にとって、久しぶりの明るいニュース。 目標に向けて精進するは楽しいばかりで はなく、むしろ苦しいこと多く、勝利の美酒を味わうも一瞬で、すぐに次のハードルが立ちはだかる。 しかし、そのかけがえのない美酒の味を早い段階で教えたことは、私の子育てへの加点かな?と思えども、 「今回はDadの世話にはなっていない。」と娘の正直な感想。

娘が高校に入ってから家庭教師を首になったのは父の計算外。お父ちゃん自身の学習motivationを削いだ要因 としては、地区の問題を上回る。^^;

ゲレンデのリフトで隣の娘の手袋に、
On the glove of my daughter in the Ski lift by my side,
希有に大きな雪の結晶。
Unusually large Crystal of Snow

その美しさとはかなさに、避けられない別れの宿命に、
The beauty and fragility threatened  me with the fate of farewell
おののきながらもまどろんで、
And dozing in the silence

超速 preview (プレビュー)した自分自身の臨終の、
To dream to see myself in the deathbed,
走馬燈の一コマに、
Watching a revolving lantern of my whole life,
再び現る雪の結晶。
To see the Crystal of Snow Again.

あれから7年、意外に早かった、来るべき別れのリハーサル、先輩方はいずれ戻ってくれると慰めてくれるが・・・^^;。

TSA102N-BINO

 12センチBINO(F5アクロマート)を購入して以来、いつかはアポ双眼を所有したいと考えて おりました。そうこうしているうちに新型15センチBINOの発売があり、 また、スノーさんのリポートを拝見してから物欲がどうしようもないくらいに 暴れ出し、最近弾かなくなったギター数本を売ってしまう等金策の後、15セ ンチBINOを注文しました。

 となると本来12センチの載っていた架台が遊 んでしまう。これはもったいない(?)。そこでこの際、アポ双眼にしようと 思いました。注文した15センチBINOとの兼ね合いから、ちょっとFの長 いのと思っていたのと、何人かの方の FS102-BINO のカッコイイのに憧 れ、TSA102N を思い切って2本購入しました。(ローンで~す) N(対物フード固定式)にしたのは特に意味はありません。今まで12センチBIN Oを収納していたケースにもぴったり入ります。値段の方も安いです。

 さて注文してから4日目の日曜日の朝、定休日の会社で息を凝らして(?)待 っていると、ヤマト運輸のトラックの例の「キーッ」と止まる音。とうとう来 ましたタカハシの箱2つ。実はタカハシの望遠鏡買うのは30年ぶりなんです。 フード周りのTAKAHASHI TSA102 の文字が緑色でなかなかです。

 さていよいよ換装です。特に難しいことはなく、落っことさないように気を付 けてと。鏡筒バンドはビクセン製ですが少し大きめだったので、バンド内側に 薄いウレタンを3点貼りにしました。2時間ほどで完成。うーんデカイ。架台 のハンドルはもう少し手前がいいな。(これは松本さんにお願いしました。) フォーカスノブは12センチBINOに付いていたのを使用。ファインダーは 国際光器の正立。ドットファインダーはスカイサーファーです。

 カッコついた ところで会社のガラス越しに遠くの木々を眺めます。よく見えます。ただ当日 は天気も悪く、ファーストライトは翌々日の夜となりました。まずはお月様。 EWV32を付けて見ました。さすがアポです。クレーターの彫りが深いです。 シャープです。12センチアクロには完勝です。エッジが切れ上がる感じです 。次は土星。ショートバローを追加して観望です。輪は鋭く、本体は丸く、何 というかいつぞやグラビアで見た伊東美咲のヒップラインの如しです。暫し見 とれておりました。(土星をです)。恒星は色がきらびやかです。

 総合的にみて、換装は成功と言えると思います。鏡筒を切断せずとも余裕で合 焦します。(例の<上がり>のええっと例のTYPE4-22ってやつでもOKで す)あとフェザータッチフォーカサーがあればと思いました。(また・・・)

 松本様にはいろいろとアドバイスしていただきました。ありがとうございまし た。15センチBINOの残金も使ってしまったので、出来上がりは遅れてもい いです。(嘘・・いや少し遅れる方が・・) また機会があれば、今度は空の暗いところでのレポートを送ります。

                             わかやまん

Comment by Matsumoto/ 管理者のコメント;

 ”わかやまん”さんが気取らずにさらっと書いてくださった原文をほぼそのまま 掲載させていただきました。 12cmF5-BINOから15cm-BINO発注、そして12cm-BINOの TSA102N鏡筒への換装と、筆者のエキサイティングな心情の動きがストレートに伝わって、楽しく 読ませていただきました。

 12cm-BINOが、確か納品から約半年という短命に終わりましたが、発展的なリフォームの結果ですので、 大いに歓迎いたします。 こうした、ユーザーの方自身によるリフォームやカスタマイズは、EMS-BINOを理解 する上での最高の教材であり、それに成功されたということは、”わかやまん”さんがかなりのレベルのEMS-BINO ユーザーになられたことの証明です。
 それでは、観測リポート、お待ちしています。

故足利先生に黙祷

 今日の地方紙で、恩師の足利先生が一昨日(2月4日)に亡くなっておられたことを知った。享年97歳だった。 ショックではあったが、実は 2005年の10月に先生と最後の握手を交わしていた時に、別れを覚悟していた。

 2005年の10月16日に、初老の紳士が来店された。「入院中の父親のメガネだが、レンズを読書用の度数に交換してもらいたい。」 と言われ、メガネを見るなり、足利先生のメガネだと直感し、お尋ねしたらやはりそうだった。足利先生は胃癌に罹患され、手術は 成功したものの、術後に脳梗塞が発症したとの息子さんの説明だった。

 私は万感の思いでメガネを仕上げると、病室の足利先生に届けた。先生は私を認識されたようで、堅い握手をして分かれた。 後で支払いに見えた息子さんに、今回は代金は頂かないことをお伝えすると、かなり遠慮されたが、今までの足利先生との 付き合いから、私の見舞いの気持ちであることを説明して理解していただいた。 足利先生は、メガネをお届けした日 に退院され、老人養護施設に入られた。 私は息子さんに名刺を渡したが、息子さんは自分の連絡先を語られることはなかった。

 その後、足利先生からの音信はなく、施設宛に出した年賀状も返信が来なかったので、こちらのことは、もう認識しておられなかったのかも知れない。  足利先生の最後のメガネを、私は写真に撮っていた。 大切な片身になった。

60度を折る ”サバイバル数学”

数学嫌いだった私が数学好きになって行ったのは、それが物を作ることや、物を理解する上で必要だったからです。  未だに、数学が得意だとは言える段階ではないのですが、自分に必要な数学は自然に身に付いて来たと思うし、 実用との接点を体感する醍醐味を知れたことを幸せに思っています。“survival mathematics”というのは私の造語か、 すでにどなたかが使っておられるのか知りませんが、私にとっての数学は、まさしくサバイバル数学なのです。

ですから、数学を勉強することに苦痛を感じている中高生を見ると、大変歯痒く、ついおせっかいをしてしまいた くなるのです。

古い話になりますが、20年以上前に自宅屋上にドームを製作した時には、幾何学的な基礎知識が大いに役立 ちました。正方形の観測室の土台の直角出しには(3:4:5)を利用しましたし、観測室の火打梁の設置には正方形から正八 角形を作図する方法が功を奏しました。

今日は、極めてシンプルで役に立つ”技”をお伝えしたいと思います。この手の分野に詳しい方は、すでにご存知かも分か りませんが、唸ってくださる方もおられるかと思います。便利だと思われたら、覚えておいて活用してください。  ただ、いきなり答えを言ってしまってはつまらないので、一応、各自でトライしていただきたいと思います。
分からなくても、24時間くらいは、我慢して解答をクリックしないでください。

問題: 長方形の紙を2回だけ折って60度を作ってください。 ただし、布団たたみのような3つ折りは禁止です。(3つ折りでは正確に折れません。)  また、折ってから開いても結構です。折れ線が2本までOKということです。

解答

解答では証明を省いています。証明は簡単ですので、各自でやってみてください。

数学関連日記
EMSの種明かし
懸賞ゲット
懸賞ゲット2
1立方センチの立方体
人類の至宝1
人類の至宝2
人類の至宝3

MEGREZ90-BINO

 2006年12月23日いつもお世話になっている北軽井沢のキャンプ 場でMegrez90BINOで星を見ました。 天の川が楽に見える素晴らしい環境です。 天気は時折曇った時もありましたが、概ね晴れていて星を堪 能する事が出来ました。

 Megrez90BINOで見る散開星団は星像が小さくシャープで、色も 忠実に再現されていて思わず「生きていて良かった!」と思い, しばし時を忘れてその美しさに見入ってしまいました。 松本さんや、BINOを紹介して頂いたスノーさんに感謝していま す。 Megrez90BINOで見るhχやすばるは素晴らしいです。

夜半過ぎは春の銀河観測に没頭しました。 M81、82、M108、フクロウ星雲、M106、M109、M101、M51、M63 、おとめ座銀河団など楽しみました。 9cmとは思えない成果で、生まれて初めて見た星雲もありまし た。

 明け方は水蒸気が多く、ソンブレロ星雲は確認できませんでし た。思ったよりも寒くなかったので、水蒸気が多かったのかも しれません。

 9cmだと銀河はやや迫力不足を感じました。 銀河用に12cm又は15cmBINOが欲しくなりました。  惑星・散開星団用にMegrez90BINO、星雲・銀河用に12cm又は15cmBINO を使い分けたいと思います。 フィルターも欲しくなりました。 こちらは研究課題です。

後日4mmのアイピースを使い155倍で金星を観測しました。 155倍でもEMSのXY調整を少し動かすだけで簡単に両目の星が合 致します。 素晴らしい機構です。これからも高倍率での惑星観測や低倍率の星雲星団観測を楽し みたいと思います。

 最後にBINOの素晴らしさを列挙します。

①長時間(一昼夜)観測していても大丈夫な位楽に観測できる。
②宇宙の奥行きを感じる事ができる。(3次元的に見えます)
③対空双眼鏡と比べて低倍率から高倍率まで使用できる。
④ミラー2枚で正立対空を実現している為非常に抜けが良い星像。
⑤EMSによって2本の望遠鏡の調整が簡単に短時間に出来る。

などがあげられます。

 BINOは宇宙を楽しむ究極のお気楽望遠鏡だと思います。 これからも宜しくお願いします。                         スタークラウド 宮野

Comment by Matsumoro/ 管理者のコメント;

 宮野さんは旺盛な情熱とエネルギーで頻繁に遠征観測なさっているので、 今後も体験を重ねてBINOのエキスパートになってくださることを期待します。
この度はすばらしいリポートをありがとうございました。

遷喬小学校創立134周年

一ヶ月ほど前に母校の遷喬小学校 の校長先生より電話があり、創立134周年記念式典での 講話を依頼されました。 こういう式典で話をするのは、少なくとも世間的に成功者と言える方の役目で、自分には無縁のことと思って いたので、当惑しましたが、校長先生の熱心な依頼に、思わず承諾してしまいました。

現校長先生は、私の死んだ姉と同じくらいの年齢の、とてもチャーミングな女性です。以前に一献交わす機会があり、 学童期に、お名前の”和江(むつえ)”を(当時の)先生に正しく呼ばれたことがなく、いつも”かずえ”と呼ばれて悲しかった こと等をお聞きしていたので、あのお優しいオーラは、挫折を知る者だけが持つ独特のものだと理解していました。
ということで、いくらでも適役がおられるとは思ったものの、意図あって挫折だらけの人生を歩んで来た私を選んでくださった のだと勝手に解釈して、講話をお引き受けすることにしたのです。

それでは、恥をしのんで、今朝発表させていただいた講話をご紹介します。

”あなたたちの未来は明るい”

おはようございます。遷喬小学校創立134周年、おめでとうございます。

私の名前は、『まつもと たつろう』と言います。 「たつ」は、お正月に揚(あ)げる凧によく書かれている、りゅう(龍)という漢字です。「ろう」は、たろう(太郎)、じろう(次郎)の郎です。 私は、遷喬小学校を昭和39年、1964年、今から42年前に卒業した、あなたたちの先輩です。多分、あなたたちのお父さんより 年上で、おじいちゃんより年下の、ちょうどその中間あたりの年齢だと思います。

今日はみなさんの前でお話をさせていただくことを、大変誇りに思い、感謝しています。

さて、みなさんは、多分、これから言う3つのグループのどれかに入ると思います。 Aのグループは、今最高に幸せで仕方がない人です。 そしてBのグループは、どちらとも言えない人、そしてCのグループは 不幸せな人です。実は、私は少年時代はBか、ともすればCのグループでしたが、今はとても幸せです。
今日は、Cのグループにいた私がどうやって今幸せになったかをお話したいと思います。

なぜ私が今幸せなのかと言うと、今から12年前に私は望遠鏡に関する発明をして特許を取り、その発明を利用した、 両眼で覗ける望遠鏡を作り始めたのですが、十年ほど前から広まったインターネットによって、お客さんが増え、日本や世界の 天文マニアの人が私の望遠鏡を注文してくれるようになったからです。

私が作っている天体望遠鏡は、上下左右がさかさまにならないで、とてもはっきり見えるもので、同じ様な望遠鏡やカメラ を作っている、ニコンやミノルタの社員の人でも、私に注文をして来ます。

望遠鏡の工作は、金属を切ったり削ったりするので、紙や木を切るように簡単ではありません。 私はそういう専門の大学を出たわ けではないのですが、全て大人になって社会に出てから自分で勉強して技術を身に付けました。また、海外からの問い合わせは 英語のメールを扱いますが、英語も自分で勉強し、今では辞書に全く頼らずに海外のマニアとメールを交換しています。

私の本業はメガネ屋ですが、星を見るという自分の趣味から始まった望遠鏡作りで、世界で自分しか作れない物を持った ことと、世界中の天文マニアの人たちから頼られることで、物作りの喜びを知り、今が一番幸せだと思っています。

あなたたちも、将来、物を作る仕事か、物を育てる仕事か、それらの人たちが作った物を売る仕事か、それらの人の手助けをする 仕事か、人に何かを教える仕事かのどれかの仕事に就くはずです。 どんな仕事に就いても、自分の働きが人の役に立っている、 という実感が持てたら、私たちはとても幸せになります。

私は姉二人を持つ末っ子として育ちました。小学校の頃から、二人の姉は勉強が良く出来ましたが、私は出来ませんでした。 成績はいつも中間辺りをうろうろしていたように記憶します。かと言って、スポーツでも、少し鉄棒が得意だったり、 短距離走が速かった程度で、それも一番だったことはありませんでした。 小学?年の時、リズム感が悪かった私は、 足踏みのリズムがおかしいと、担任の先生に皆の前で悪い見本でやらされ、先生に、「まるで芝居の“馬の足”だ」 と言われました。

私はそんな自分が嫌いでした。
小学校時代のそんな自分を作り変えようという強い決意で入った中学でしたが、陸上部に入部早々、苦手の長距離走でしごかれ、 1週間でケツを割ってしまいました。その後に入ったバスケットボール部でも長続きせず、勉強でも目立つことが出来ず、 二人の姉は鳥取西高に行ったのですが、姉弟で私一人が鳥取商業高校に進みました。

鳥商では、バック転も鉄棒の車輪も出来ない状態から器械体操を始めました。過酷な練習で、手の皮むけや筋肉痛が治る間はなく、 最初の1年は下痢が続き、3年間で3度も骨折し、体はボロボロになりましたが、今度はがんばり抜き、高校3年の時に、第24回 長崎国体に出場しました。挫折(ざせつ)と絶望(ぜつぼう)の少年時代でしたが、これがささやかで初めて見た一筋(ひとすじ) の光でした。

しかし、私の親は、私が家業の眼鏡屋を継ぐのが当然だと考えていましたので、ただ国体に出場したくらいでは、私を別の道に進ませる気はありませんでした。 当時の自分としても、いくら体操が好きだと言っても、体操で自分が理想とするところまで到達する自信はなかったので、 確実なレールが敷かれた家業を継ぐしかありませんでした。

こうして、また新たな挫折(ざせつ)を経て、家業に従事しながら始めた趣味が星を見ることであり、それがそれまでの天 体望遠鏡の使い勝手に疑問を持つきっかけとなり、さきほど紹介した天体望遠鏡関係の発明につながったわけです。

人生は、あなたたちが考えるよりずっと長いものです。今勝っている人がずっと勝っているとは限らないし、今負けている人がず っと負けているとは限りません。今勝っている人は、負けている人を思いやり、また、将来負けないようにがんばり、今負けてい る人は、将来必ず勝つチャンスがやって来ることを信じてがんばれば良いのです。

最近、小学生の自殺をよく耳にして、胸が痛みます。挫折(ざせつ)の連続の少年時代を過ごした私には、 彼らの気持ちが痛いほど良く分かります。さきほど説明したCのグループにいる人たちにとっては、少年時代ほどつらい 時期はないのかも分かりません。先が見えない将来は、ちょうど出口の見えないトンネルのように不安に感じるものです。
しかし、Cのグループの人たちには、今が一番つらいけど、それはずっと続くものではないこと、また、喉がからからに乾いた後 の水が美味しいように、その後に来る幸せは、Aのグループの人たちが味わえないほど素晴らしいものがあるということ を知って欲しいと、強く思います。

Aのグループの人たち、今最高に幸せな人は、家に帰ってから、どうして幸せなのかをよく考えてみてください。 今すぐ分かるか、何十年後に分かるか、わかりませんが、もし誰かのお陰であると分かったら、その人たちにお礼を言ってください。そして、幸せでないと思っている人たちを思いやってください。

そして、もし、あなたたちの中で、明日を見たくないほどつらい方がいたら、担任の先生か、あなたが一番話しやすい 先生と、自分の親につらい理由を話してください。
もし、どうしても回りに話せる人がいなかったら、いつでも私の所に来て、そのわけを話してください。私の家は、 市役所の前、岡本PTA会長の岡本自転車店の1軒置いた隣のメガネ屋です。

とても10分間では、お伝えたいことのほんの少ししかお話できませんでしたが、最後に、一番お伝えしたいことを繰り返して おきます。

子供時代はつらいものです。でも、永久に苦しいということは絶対にありません。また、あなたの親や先生はいつもあな たのことを想っているということです。それはたいてい、ずっと後になってから分かるものです。

私の研究が4年前に、スカイパーフェクTVの科学番組になって全国放送された時(ネットでは現在でも常時視聴可)に、 46年前に遷喬小学校で私のことを「まるで芝居の“馬の足”だ。」と言った先生がものすご く喜んで、祝ってくださいました。

大人になることは決して怖いことではありません。子供時代には体験できない、楽しいことがたくさんあります。ですから、 あなたたちの未来はとっても明るいということを知っておいてください。

今日は、私の下手な話を最後まで聞いてくれて、ありがとう。
さようなら。