一ヶ月ほど前に母校の遷喬小学校 の校長先生より電話があり、創立134周年記念式典での 講話を依頼されました。 こういう式典で話をするのは、少なくとも世間的に成功者と言える方の役目で、自分には無縁のことと思って いたので、当惑しましたが、校長先生の熱心な依頼に、思わず承諾してしまいました。
現校長先生は、私の死んだ姉と同じくらいの年齢の、とてもチャーミングな女性です。以前に一献交わす機会があり、 学童期に、お名前の”和江(むつえ)”を(当時の)先生に正しく呼ばれたことがなく、いつも”かずえ”と呼ばれて悲しかった こと等をお聞きしていたので、あのお優しいオーラは、挫折を知る者だけが持つ独特のものだと理解していました。
ということで、いくらでも適役がおられるとは思ったものの、意図あって挫折だらけの人生を歩んで来た私を選んでくださった のだと勝手に解釈して、講話をお引き受けすることにしたのです。
それでは、恥をしのんで、今朝発表させていただいた講話をご紹介します。
”あなたたちの未来は明るい”
おはようございます。遷喬小学校創立134周年、おめでとうございます。
私の名前は、『まつもと たつろう』と言います。 「たつ」は、お正月に揚(あ)げる凧によく書かれている、りゅう(龍)という漢字です。「ろう」は、たろう(太郎)、じろう(次郎)の郎です。 私は、遷喬小学校を昭和39年、1964年、今から42年前に卒業した、あなたたちの先輩です。多分、あなたたちのお父さんより 年上で、おじいちゃんより年下の、ちょうどその中間あたりの年齢だと思います。
今日はみなさんの前でお話をさせていただくことを、大変誇りに思い、感謝しています。
さて、みなさんは、多分、これから言う3つのグループのどれかに入ると思います。 Aのグループは、今最高に幸せで仕方がない人です。 そしてBのグループは、どちらとも言えない人、そしてCのグループは 不幸せな人です。実は、私は少年時代はBか、ともすればCのグループでしたが、今はとても幸せです。
今日は、Cのグループにいた私がどうやって今幸せになったかをお話したいと思います。
なぜ私が今幸せなのかと言うと、今から12年前に私は望遠鏡に関する発明をして特許を取り、その発明を利用した、 両眼で覗ける望遠鏡を作り始めたのですが、十年ほど前から広まったインターネットによって、お客さんが増え、日本や世界の 天文マニアの人が私の望遠鏡を注文してくれるようになったからです。
私が作っている天体望遠鏡は、上下左右がさかさまにならないで、とてもはっきり見えるもので、同じ様な望遠鏡やカメラ を作っている、ニコンやミノルタの社員の人でも、私に注文をして来ます。
望遠鏡の工作は、金属を切ったり削ったりするので、紙や木を切るように簡単ではありません。 私はそういう専門の大学を出たわ けではないのですが、全て大人になって社会に出てから自分で勉強して技術を身に付けました。また、海外からの問い合わせは 英語のメールを扱いますが、英語も自分で勉強し、今では辞書に全く頼らずに海外のマニアとメールを交換しています。
私の本業はメガネ屋ですが、星を見るという自分の趣味から始まった望遠鏡作りで、世界で自分しか作れない物を持った ことと、世界中の天文マニアの人たちから頼られることで、物作りの喜びを知り、今が一番幸せだと思っています。
あなたたちも、将来、物を作る仕事か、物を育てる仕事か、それらの人たちが作った物を売る仕事か、それらの人の手助けをする 仕事か、人に何かを教える仕事かのどれかの仕事に就くはずです。 どんな仕事に就いても、自分の働きが人の役に立っている、 という実感が持てたら、私たちはとても幸せになります。
私は姉二人を持つ末っ子として育ちました。小学校の頃から、二人の姉は勉強が良く出来ましたが、私は出来ませんでした。 成績はいつも中間辺りをうろうろしていたように記憶します。かと言って、スポーツでも、少し鉄棒が得意だったり、 短距離走が速かった程度で、それも一番だったことはありませんでした。 小学?年の時、リズム感が悪かった私は、 足踏みのリズムがおかしいと、担任の先生に皆の前で悪い見本でやらされ、先生に、「まるで芝居の“馬の足”だ」 と言われました。
私はそんな自分が嫌いでした。
小学校時代のそんな自分を作り変えようという強い決意で入った中学でしたが、陸上部に入部早々、苦手の長距離走でしごかれ、 1週間でケツを割ってしまいました。その後に入ったバスケットボール部でも長続きせず、勉強でも目立つことが出来ず、 二人の姉は鳥取西高に行ったのですが、姉弟で私一人が鳥取商業高校に進みました。
鳥商では、バック転も鉄棒の車輪も出来ない状態から器械体操を始めました。過酷な練習で、手の皮むけや筋肉痛が治る間はなく、 最初の1年は下痢が続き、3年間で3度も骨折し、体はボロボロになりましたが、今度はがんばり抜き、高校3年の時に、第24回 長崎国体に出場しました。挫折(ざせつ)と絶望(ぜつぼう)の少年時代でしたが、これがささやかで初めて見た一筋(ひとすじ) の光でした。
しかし、私の親は、私が家業の眼鏡屋を継ぐのが当然だと考えていましたので、ただ国体に出場したくらいでは、私を別の道に進ませる気はありませんでした。 当時の自分としても、いくら体操が好きだと言っても、体操で自分が理想とするところまで到達する自信はなかったので、 確実なレールが敷かれた家業を継ぐしかありませんでした。
こうして、また新たな挫折(ざせつ)を経て、家業に従事しながら始めた趣味が星を見ることであり、それがそれまでの天 体望遠鏡の使い勝手に疑問を持つきっかけとなり、さきほど紹介した天体望遠鏡関係の発明につながったわけです。
人生は、あなたたちが考えるよりずっと長いものです。今勝っている人がずっと勝っているとは限らないし、今負けている人がず っと負けているとは限りません。今勝っている人は、負けている人を思いやり、また、将来負けないようにがんばり、今負けてい る人は、将来必ず勝つチャンスがやって来ることを信じてがんばれば良いのです。
最近、小学生の自殺をよく耳にして、胸が痛みます。挫折(ざせつ)の連続の少年時代を過ごした私には、 彼らの気持ちが痛いほど良く分かります。さきほど説明したCのグループにいる人たちにとっては、少年時代ほどつらい 時期はないのかも分かりません。先が見えない将来は、ちょうど出口の見えないトンネルのように不安に感じるものです。
しかし、Cのグループの人たちには、今が一番つらいけど、それはずっと続くものではないこと、また、喉がからからに乾いた後 の水が美味しいように、その後に来る幸せは、Aのグループの人たちが味わえないほど素晴らしいものがあるということ を知って欲しいと、強く思います。
Aのグループの人たち、今最高に幸せな人は、家に帰ってから、どうして幸せなのかをよく考えてみてください。 今すぐ分かるか、何十年後に分かるか、わかりませんが、もし誰かのお陰であると分かったら、その人たちにお礼を言ってください。そして、幸せでないと思っている人たちを思いやってください。
そして、もし、あなたたちの中で、明日を見たくないほどつらい方がいたら、担任の先生か、あなたが一番話しやすい 先生と、自分の親につらい理由を話してください。
もし、どうしても回りに話せる人がいなかったら、いつでも私の所に来て、そのわけを話してください。私の家は、 市役所の前、岡本PTA会長の岡本自転車店の1軒置いた隣のメガネ屋です。
とても10分間では、お伝えたいことのほんの少ししかお話できませんでしたが、最後に、一番お伝えしたいことを繰り返して おきます。
子供時代はつらいものです。でも、永久に苦しいということは絶対にありません。また、あなたの親や先生はいつもあな たのことを想っているということです。それはたいてい、ずっと後になってから分かるものです。
私の研究が4年前に、スカイパーフェクTVの科学番組になって全国放送された時(ネットでは現在でも常時視聴可)に、 46年前に遷喬小学校で私のことを「まるで芝居の“馬の足”だ。」と言った先生がものすご く喜んで、祝ってくださいました。
大人になることは決して怖いことではありません。子供時代には体験できない、楽しいことがたくさんあります。ですから、 あなたたちの未来はとっても明るいということを知っておいてください。
今日は、私の下手な話を最後まで聞いてくれて、ありがとう。
さようなら。