My friend in heaven

One of my dearest friend passed away on the morning of 17th that happened to be the day of my new EMS housing planned to be casted for the first lot.

She was so amazing that I had never heard of her complaining of her health despite that she has had cancer for as long as ten years.

I have just come home from her funeral carried out by Christian style.

The preach of the minister was,
JOB: 19-25 to 27;
PSALM: 23-1 TO 6.

We sang number 189,LITTLE BROWN CHURCH that she liked to sing.

かけがえのない友を失いました。

彼女が癌をかかえていたことを知ったのはほんの最近なのに、喪主の挨拶から、10年も闘病しておられたことを 知りました。

市民運動の戦友でもあった彼女の知力と行動力は半端でなく、健康上の愚痴など、一度も彼女の口から聞いた ことはありませんでした。大きな仕事をしていた夫を支えながら6人の子供を育て上げた、見事な生き様でした。

わたしが初めて世の中と出会ったとき

いつかこの日が来ることは覚悟していました。 メールが来なくなって久しいので、心配していましたが、 逝く時は黙って逝く方だと予想していた通りでした。 最後まで弱みを見せなかった彼女のやつれた顔は見たく なかったし、彼女も見せたくなかったはず。 結局一度も見舞いに行かず終いでした。

私もメールの返信は早いことで定評がありますが、彼女の作文のスピードは桁外れでした。 こちらがピンポン玉を投げれば野球ボールが返って来て、野球ボールを投げればバスケットボールが返って来ました。

膨大な交換メールが大切な遺品となりました。  以下は、最後頃にいただいたメールです。

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先日はヒョンなことからメールをやりとりすることになり、お馬鹿な話もご紹介して しまいました。

そこで、今日はお口直し。
中目黒教会の友人が送ってくれましたので、彼女の文章を早速おすそ分けです。

KKさんの中目黒教会報への寄稿から。

時折海外の友人から、興味のある文章がインターネットで送られてくる。ユーモア たっぷりの小ばなしもあるし、宗教的、精神的な意味深い文もある。だいたいどの文 の終わりにも、「あなたのお友だちにも、これを送ってね。」と書き加えられてい る。今月ご紹介するお話もその一つである。キリスト教的コメントは何も含まれてい ないが、この話を読んだ私は、欠けたところの多い私をそのまま受け入れて、役立た せてくださる神様の存在を思ったのである。

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ひびが入ったかめ

中国のおばあさんが肩にかけた天秤棒の両端に、一つずつカメをぶら下げて水を運 んでいました。一つのカメは完全無欠で、入れた水全部を運ぶことができましたが、 もう一つのカメにはひびが入っていました。

小川からの長い道のりを家まで歩いてくると、ひびの入ったかめの水は半分に減っ ていました。おばあさんが一杯半の水を運ぶ毎日が二年間続きました。

完全なかめはもちろん自分の功績を自慢しておりました。しかしかわいそうにひび が入ったかめは、自分の不完全さを恥じ、本来なら一杯の水を運ぶために作られたの に、半分しか運べないことを嘆いていました。

苦い失敗と思われた二年の後、ある日このかめは小川のほとりでおばあさんに言い ました。
「わたしは恥ずかしい。わきについたひびのおかげで、家に着くまでに半分も水が 漏れてしまうのですから。」
おばあさんはにっこり笑って言いました。
「お前さんの側の道に沢山の花が咲いているのに気がつかないかい?反対側の道に は花なんか何も咲いていないのに。
わたしはお前さんのひびにはずっと前から気がついていたのだよ。だからお前さん のカメの側の道に花の種を蒔いておいたのさ。毎日帰りの道にお前さんが水をやって いたのだよ。だから二年間テーブルに飾る花が沢山摘めたのさ。
ひび割れの状態のそのままでいてくれたお前さんがいなければ、家の中を優雅に飾 るお花はなかったのさ。」

私たち一人ひとり、それぞれ欠けたところを持っています。でもこの欠けやひびが 一緒になって、私たちの人生を非常に興味深く、価値あるものにしてくれるのです。 私たちは一人ひとりをあるがままの姿で受け入れ、その人たちの長所を見つけなけれ ばいけません。

さて、ひび割れを持つお友達や家族のみなさん、今日もよい日でありますように。 そしてあなたの行く道の傍らに咲く花の香をかぐことを忘れないでね。

この文を誰でも好きな人に送ってください。そしてこれをあなたにお送りしたひび 割れのかめを忘れないでね。

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ステレオタイプ(stereotype)の呪縛 / Spell of the Stereotype

 ”天体望遠鏡=倒立像”、というのも一つのステレオタイプであって、世間一般的には未だに抜け出せていないもの だと言えますが、この辺までですと、当サイトをご訪問くださる方々はすでに問題意識を持たれて長く、とっくの 昔に脱ぎ捨てられたステレオタイプかと存じます。 しかし、このステレオタイプにも段階があって、さらに上の、またその上の階層でも、それは存在するわけです。 私たちが未だに抜け出し難い、(屈折式の)天体望遠鏡の構造のステレオタイプは、外観から言いますと、筒先 から、対物フード →(中に)対物レンズ(セル&対物側フランジ) → 鏡筒パイプ → (フランジ&)繰 り出し装置(ドローチューブ)→ 接眼アダプター の順に構成されるもので、実際、これから逸脱した市販の天体望遠鏡は皆無であると言っても過言ではありません。

そして、望遠鏡メーカーには、天体望遠鏡は直視で見るのが基本だという意識が猛烈に強くあって、アイピースと 望遠鏡接眼部との間には、せいぜい天頂プリズム(ミラー)が1個介在するくらいの認識しかありません。 です から、たまに双眼装置等に気を使った、極端にバックフォーカスの長い鏡筒を出したとしても、上記、直視(もし くは天頂プリズム1個)での合焦とを両立させようとするものだから、どうしても極端に長いドローチューブを 一緒に装備してしまうことになるわけです。

そして、その長い管路(ドローチューブ)の末端に、これまた長い同等管路を持つ双眼装置やEMSを装着して、 ドローチューブをうんと繰り入れて使用していたわけです。

合焦しない場合は、やむなく鏡筒のカット等を行って長い総管路のフルシステムをさらに対物側に繰り入れ、鏡筒カットを 免れて合焦する場合も上記のジレンマを背負うわけです。(特に小口径の鏡筒では、ドローチューブの後端が対物レンズ後面 に当たりそうになることも珍しくありません。 ドローチューブもカットすれば状況は緩和しますが、往々にして 内径が細い物が多いので、抜本的な解決に至らないのが普通です。)

望遠鏡メーカーが、“直視(もしくは天頂ミラー1個)での合焦”の呪縛から解き放たれない限り、EMSの都合と 市販鏡筒が完璧に折り合うことは今後もあり得ない、ということに気付くのに、あまりに長い年月を要しましたが、 ようやく最近になって、そのことを明確に認識できるようになりました。 つまり、私自身も、『望遠鏡パーツは、ドローチューブ末端のアダプターに挿入するもの』というステレオタイプ の呪縛に縛られていた、というわけです。

長いドローチューブの末端に、さらに長い光路長の光学アタッチメントを装着することの矛盾は、単に光学的な側 面ばかりではありません。視度補正や、規格が統一されていないアイピースのピント位置のばらつき《これはアジ ャストリング等の外部的な工夫で克服できる》を補償するためだけに、ドローチューブ+光学アタッチメント+重 量級アイピース、という巨大な総質量を大掛かりな手段で以って常に動かし続ける、という、力学的な矛盾でもあ るのです。

上記ステレオタイプから開放された先に、どんな正解が待っているかと言いますと、それは、『メインフォーカ サー(+長いドローチューブ)を撤去した鏡筒、またはフランジにEMSの第一(望遠鏡側)ユニットを直結する。』 ということです。
(もちろん、今度は余るバックフォーカスに相当した延長管を要する場合もありますが、市販鏡筒の現状からすると、それは不要か、せいぜい極短い物でしょう。 特に小口径の場合は、重量構成比が大きいメインフォーカサー の撤去は、軽量化という極めて大きな副産物ももたらしてくれます。また、今までEMS-BINOの素材として 却下して来た、繰り出し装置の先にレンズ後群が配置されたphoto-visualタイプの鏡筒も 射程に入ることになります。)

ただし、それを美しい形で実現するには、いくつかの課題をクリヤーする必要があります。当サイトを注意深く 見てくださっていた方は、私がそれらの一つ一つを克服して行った過程を思い出してくださっていることと思い ます。

まず、メインフォーカサーを撤去するわけですから、別の設置箇所を決めて、代替フォーカサーを設置しないとい けません。先述の趣旨からして、設置箇所は当然アイピースのごく近傍になるわけですが、2インチサイズのアイピースを使用する前提に於いて、58㎜くらいの目幅制限を満たすための外径制限があるので、low-profileの要求 と相俟って、これだけでも十分、計画を断念するに足るハードルがあったわけです。

曲折を経て、最小目幅の障害にならないアイフォーカサーの基礎的な実験に成功したことは、すでにここで発表し ています。

次に、フォーカサーをアイピースの根元に移動したことで、第一ミラーユニットを少し大きくする必要が生じま す。 これは単に光学的な要求ばかりではなく、鏡筒→フランジ→EMSの第一ユニットに至るアウトラインが極力 段差なく美しい流線型となって繋がるためにも、十分な大きさ(開口径)の第一ミラーユニットを準備することの 意義は大きいのです。

これは、現状でも口径12cmクラスくらいから窮屈だったEMSの第一ミラーハウジングを、いよいよ大きくす るための機が熟したということです。

目下、20年来の懸案だった新型の大型ミラーハウジングを、満を持して開発中であり、それが完成すると、 EMSがこれまでの諸々のジレンマから開放され、いよいよ次のステージに向けて大きく進化するわけです。

数ヶ月以内には、ここで重大発表をさせていただくことになるでしょう。


2009年5月25日

MOROHA NO TSURUGI (両刃の剣)

“MOROHA” maeans “double-edged” in Japanese, and “NO” is for “of” , and “TSURUGI” is for “sword”. The order of the words is reversed in Japanese. So, the title means ” DOUBLE-EDGED SWORD”. Japanese use the term expressing contradictive resort that can bring us both the blessing and curse.

A video of EMS-BINO was submitted to “YOU TUBE” by an Italian user. I firstly welcomed the fact that the VIDEO of my EMS-BINO is being released to all over the world, and put the link on top of my website. But, stop to think of it, I thougt at the same time of the concern of MOROHA NO TSURUGI both in the field and in its contents itself. I know that there is no harm meant by the submitter, but he treats my EMS-BINO as if it were of the same level of product as the commercial binoculars. So, I withdrew the link of it on the top of my website.

イタリアのユーザーが”YOU TUBE”にEMS-BINOの動画を投稿してくれたので、一時トップページに リンクを貼ったものの、国内のユーザーの方のアドバイスもあり、また自分自身の危惧もあったので、取り下げました。 常に新鮮な情報を発信し続けるのには莫大な時間とエネルギーを費やすのですが、一方で情報発信は 両刃の剣の側面を持ち、何ともやっかいなものです。

投稿者には悪意はなく、業者さんでもあるので、市販の大型双眼鏡も売らないと経営が成り立たない 事情も分かりますが、撮りかたから、氏の本音の価値観が自ずと読み取れます。 ここはおおらかに受け止めるのも一つの選択肢 ではあると思いますが、好意的な第三者の目にも違和感があったということは、やはり”blessing”を抑えこむ”curse” の部分が無視できないのだろうと判断しました。また、すぐ隣にこんなふざけた投稿が並んでいるような”YOU TUBE” という玉石混交のメディア自体についても慎重になる必要があるようです。

EMSを扱いながら、横に裏像の天頂ミラーを並べる販売店も、営業のために仕方なくという雰囲気ではなく、 積極的に裏像の天頂ミラーを推販していることに矛盾を見ますが、今後どの辺で線を引くのか、 難しい判断を迫られることが多くなると思っています。

Coo became a Cinderella Boy!! / 玉の輿に乗ったクー

Coo is enjoying blissful days with his new keeper. He won the freedom of playing out at his leisure through his personal entrance door that was made by his kind keeper, and the warm room of the perfect shelter at a time.

クーが玉の輿に乗りました。新しい飼い主は私の友人で、とても信頼の置ける方。車で数時間かけて、今月の 初旬に婿入りしました。無理解なご近所のために家の中に幽閉されたクーでしたが、一度ノラの生活を 経験したクーには耐え難いことでした。 決して元の飼い主の母が薄情だったのではなく、私たちとクーが 今後の人生を幸せに過ごせるかどうかの、ぎりぎりの判断をした結果なのです。

クーは、星が見える広々とした里の個人天文台の主猫になり、晴耕雨読ではなく、晴遊雨寝の極楽を 味わっています。^^ それにしても、運の強い猫です。 人間でも、路頭に迷う運命の人もいるのに、 クーは自らの強運で、いつでも外で自由に遊べる環境と、暖かい自分の個室と、新しい飼い主の深い 愛情の全てを手中にしたのです。

クーの近況

クー帰る (Coo came home!)

クーが家出 (Coo ran away!)

クーちゃん、ごめんよ。(Forgive me, “Coo”.)

Coo became a Cinderella Boy!! (玉の輿に乗ったクー)

Coo is enjoying blissful days with his new keeper. He won the freedom of playing out at his leisure through his personal entrance door that was made by his kind keeper, and the warm room of the perfect shelter at a time.

クーが玉の輿に乗りました。新しい飼い主は私の友人で、とても信頼の置ける方。車で数時間かけて、今月の 初旬に婿入りしました。無理解なご近所のために家の中に幽閉されたクーでしたが、一度ノラの生活を 経験したクーには耐え難いことでした。 決して元の飼い主の母が薄情だったのではなく、私たちとクーが 今後の人生を幸せに過ごせるかどうかの、ぎりぎりの判断をした結果なのです。

クーは、星が見える広々とした里の個人天文台の主猫になり、晴耕雨読ではなく、晴遊雨寝の極楽を 味わっています。^^ それにしても、運の強い猫です。 人間でも、路頭に迷う運命の人もいるのに、 クーは自らの強運で、いつでも外で自由に遊べる環境と、暖かい自分の個室と、新しい飼い主の深い 愛情の全てを手中にしたのです。

クーの近況(2008,12/13)
クー帰る(2008,2/4) (Coo camehome!)
クーが家出(2008,2/3) (Coo ran away!)
クーちゃん、ごめんよ。(2008,1/10)(Forgive me, “Coo”.)

クーの近況

こんにちは。 クーです。松本家に飛び込んで早、一年と2か月、大方は満足で、まあ狙いは ほぼ当たりだったかな。 でも外に出られないのはちょっと息が詰まる。

一度、一週間ほど朝だけ外出させてもらっておったら、前のお宅の爺さんから文句(前庭に糞をするとか、オレは 身に覚えがないが)が出てまた元通りの監禁生活になっちまった。 朝、店の主人が屋上で30分ほど遊ばせてくれるのと、 夜中に婆ちゃんちでドタバタ暴れて何とか鬱憤晴らしをしとる。

それはそうと、何とも寛容性の低い地域社会になったもんだ。 この間の新聞に写真家の岩合光昭さんが、「猫が幸せで ない町は人間も幸せではない・・・」ちゅうような良いこと書いとったが、あのジジイに読ませてやりてえ。(=゚з゚=)ムー

・・・とクーは申しております。もっとも、野良猫に餌を無制限に与えて、地区で異常繁殖→糞害憤慨という のは論外ですが、去勢したオス猫が朝の1時間ほどだけ家の近所を自由に散歩することすら許されないというのも、心外ですな。

EMSと特許

 EMSと特許との関係について、一部に誤解があるようなのでご説明しておきます。

 私が平成元年に出願し、平成6年に許可された特許の「発明の名称」は、“正立ミラー”でも“EMS”でもありません。  その名称は『正立プリズム』であり、正立ミラーは、その反射面をミラーで代用した応用例に過ぎません。

 識者?の一部の方がEMSの特許に否定的な理由は、「アミチプリズムという既存のプリズムがまず存在し、 単にその反射面をミラーで代用したのがEMSである」、という認識からだと思います。その理解の出発点で誤解がある わけです。

 「アミチプリズムの光路を解析すれば、必然的にたどり付く方法」という意見は、まさに「後出しジャンケン」 の卑怯な論法であります。その時点で“公知”だったかどうか、ということは、常に特許関係の論争で問題になる点 ですが、その時点でEMSのような製品が公知と言えるほど普及していなかったことは元より、その原理を具体的に広く 公開していた実例はありませんでした。

 少なくとも、特許庁は、公知でなかったと判断し、さらに一定の公開期間に、根拠ある異議申し立てもなかった ために、実際に特許として認定されたわけです。

 私の『正立プリズム』は、唯一の反射面を持つ2つの光学素子で構成された90度対空用の正立系であり、入射角 を規定することで、既存のポロプリズム等との違いも明瞭にしています。まして、一つだけの光学素子で構成される アミチプリズムについては、特許庁の審査での比較対象(拒絶理由)にすら上りませんでした。

 つまり、私は全く新規な「正立プリズム」を発明したのであって、そのプリズムのミラー代用系がEMSであると いうことです。

 「特許請求の範囲」では、構成ミラーをまとめて一つのケースに収納したものと、独立したケースに収納して連 結した物を区別しておらず、つまり、初期のワンボックスタイプのEMSも包含された形で特許となったわけです。

 特許庁の電子図書館の検索メニューで、→「特許・実用新案検索」→「公報テキスト検索」を開き、上の公報種 別の「特許公報」にチェックし、出願人の名前に「松本龍郎」を入れて検索されれば、私の特許「正立プリズム」の詳細が 参照できます。(「初心者向け検索」では、平成5年出願以降しか出て来ないようです。)

Knowing nothing is better than knowing things by halves.(衒学者にご注意を!)

Knowing nothing is better than knowing things by halves.
Never trust any second hand information about EMS in the web.

There are too many pedants in the web who believe themselves to be the perfect masters of the principle of the EMS. But, in most cases, they only regard my EMS just as an analogue of the Amici’s Prism and never understand the real meaning of it.

It is a shameful dilemma for them to deny the originality of the EMS, while appealing themselves to be pioneers or something by attributing the principle of the EMS to the traditional optical theory, as if it is a “scoop” or something.

 人はどうやら二次情報や三次情報の方に、より耳を傾ける傾向があるのかも知れない。 しかし、あらゆる分野の情報をwebに求めてみると、その大半は全くの出鱈目か、信憑性を装った不完全なものである。 前者のように、誰が見ても出鱈目がバレているのは、不快ながらもむしろ罪は軽いのだが、問題はむしろ大半を占め る後者の情報だ。後者の情報は、社会への害毒だ。

 しかし、なぜストレートに一次情報を取りに来ない方が多いのだろう。手を受けて待っているのに。 医者がいても、 側にいる看護士の方が話しやすいということだろうか。

 “Knowing nothing is better than knowing things by halves.” という英語圏の諺があるが、EMSのオリジナリティ を否定する衒学者の方々には肝に銘じて欲しい言葉だ。

 15年以上前に某国立大学の名誉教授の先生(光学)とFAXで長い文書を一定期間に渡って応酬したことがあった。この 先生も御多分に漏れず、EMSは単なるアミチアナログという短絡的なご理解であって、ミラーの間隔を調整して目幅調整が出来ること等を理解していただくのに随分と骨を折った。 しかし、最後には兜を脱がれ、鳥取の当方まで見学に見え、自分用のEMS-BINOも注文された。 最後には理解して認められるところが本物の学者先生の偉いところ、ただの衒学 者とは大きな違いだ。

 EMSを既存の原理に帰着させ、そのオリジナリティを否定するのは衒学者の一般的な傾向であり、その意見を発表され るのも自由ではあるが、実は、EMSの新規性を公然と否定してみせることで、自らの知識?をひけらかし、つまりは 自らの新規性をアピールしている姿は大きな“矛盾”であり、私の目には実に滑稽に映るのである。

Decisive Parting / 別れの決断

My parents and my family ate out tonight. The occasion was a farewell dinner for my daughter who will join the medical faculty at the University tomorrow.

It also means I will not have my daughter around to succeed me since she will probably become a Medical Doctor.

“Parting with good grace even in sorrow” has been my policy. Although I have made another decision to part with my Double Barrel Binoscope in my observatory dome on top of my shop, parting with my pride and joy instrument is sorrowful.

The home made dome was constructed 24 years ago and is in need of repairs of which I have no extra time to pursue. Moreover, I have no time to even open the dome because I have numerous back orders to fill for my amateur astronomer customers. So I have made a decision to hand it over to an amateur who I believe will take good care of it and will also appreciate it.

We are never free form parting. So, l will part with my beloved partner with good grace while she is still attractive.

今晩は医学科に進学して行く娘の家庭内送別会のため、 爺さん、婆さんを交えて一家5人で外食をした。 娘が幼時より決めていたコースであったが、これで自分の仕事が子供によって後継されないことが明確となった。

”別れは潔く”がモットーなのだが、もう一つの別れも近付いた。EMSやBINOの製作が本格化してから、屋上のドームが 『開かずの間』になって久しいが、築24年のドームは、さすがにスリット開閉部の老朽化が著しく、主砲のシェルターの役目を全うできない ことが明白になった。中のBINOシステムは全く問題ないのに、ドームがダメになったら、ほぼ一瞬でBINOシステムもダメになる。 それより怖いのは、強風で飛散したドームが通行人に被害を与えること。 かと言って本格的なドーム補修にかける時間も集中力も残っていない。
ということで、この際、中のBINOシステムを希望者に譲り、スリット部は 建築業者に依頼して新たな板金加工で密封し、ドームは物置にすることにした。

別れはいつかは来るのだから、まだBINOの新鮮さが完全に失われない内に、潔く別れよう。

(行き先は決まっています。)

Coo came home! / クー帰る

昼過ぎに2階の家内から内線コール。「アーケードの方からクーの鳴き声が聞こえる!」とのことで、アーケードの屋根に 出て見たが、クーの姿はなし。また階下に降りて外を見回してもどこにもいない。気のせいじゃないか、と私が言ったが、 確実に聞こえたと家内は言う。

アーケードの屋根を叩いてみたら、今度ははっきりと”ニャーニャー”とクーの悲壮な声^^;。何と、二層になっているアーケードの 屋根の段差の通気用の鉄板のフィンの、人間の拳が入らないくらいの隙間から入って、屋根板と天井板の空間にクーは居た。

中に入ったのだから、どこか隙間が広くなっている場所があるはず、と思い、6店舗くらいの間口分を覗いてみたが、どこも 広くない、その間、私の移動をクーが必死で追って鳴きながら助けを求める。この間、結構な雨。大型のスパナを取りに降りたが、 それでも隙間がこじ開けられない。クーが見付かった旨を裏の母に内線し、適当な角材を持って来させる。

片手で角材をフィンの隙間に入れて開きながらクーを引っ張ろうとするが、隙間は十分に開かず、クーも怖がってうまく行かない。 家内に角材を持たせ、 何とかクーを引っ張り出した頃には私はどっぷりと雨に濡れてしまっていた。

一昼夜アーケードの中にいて薄汚くなったクーは今、一日ぶりの食事をしっかり食べ、平和にスヤスヤ眠っている。^^

Coo ran away! / クーが家出

人間で言えば高校生くらいの、推定満一歳のオス猫クーは、日増しに活発になり、外に出たくてしようが なかった。ただ、町中で放すと交通事故が待っている。だから戸締りをする夜以外は、大抵リードに繋がれていたクー。 でも十分に長いリードだったので、そんなに拘束したつもりはなかった。

それでも可愛そうに思い、二階の窓から商店街のアーケードの屋根に出して遊ばせたのがいけなかった。3mの高さは猫にとって、というか 外の世界を希求するクーにとってはさほどの高さではなかったらしい。 昼過ぎにアーケードに出してほんの数分、眼を離した時には クーの姿は見えず、いつ飛び降りたのやら。21時現在、帰って来ない。

いくら猫でもアーケードは飛び降りるにそう低くない。クーよ、お前は満腹と自由を天秤にかけて決めたのだな。しばらく頭を冷やして、 自分の生き方を決めればよい。帰らなくても探さないし、帰ってくれば好物が待っているよ。