Coo came home! / クー帰る

昼過ぎに2階の家内から内線コール。「アーケードの方からクーの鳴き声が聞こえる!」とのことで、アーケードの屋根に 出て見たが、クーの姿はなし。また階下に降りて外を見回してもどこにもいない。気のせいじゃないか、と私が言ったが、 確実に聞こえたと家内は言う。

アーケードの屋根を叩いてみたら、今度ははっきりと”ニャーニャー”とクーの悲壮な声^^;。何と、二層になっているアーケードの 屋根の段差の通気用の鉄板のフィンの、人間の拳が入らないくらいの隙間から入って、屋根板と天井板の空間にクーは居た。

中に入ったのだから、どこか隙間が広くなっている場所があるはず、と思い、6店舗くらいの間口分を覗いてみたが、どこも 広くない、その間、私の移動をクーが必死で追って鳴きながら助けを求める。この間、結構な雨。大型のスパナを取りに降りたが、 それでも隙間がこじ開けられない。クーが見付かった旨を裏の母に内線し、適当な角材を持って来させる。

片手で角材をフィンの隙間に入れて開きながらクーを引っ張ろうとするが、隙間は十分に開かず、クーも怖がってうまく行かない。 家内に角材を持たせ、 何とかクーを引っ張り出した頃には私はどっぷりと雨に濡れてしまっていた。

一昼夜アーケードの中にいて薄汚くなったクーは今、一日ぶりの食事をしっかり食べ、平和にスヤスヤ眠っている。^^

Coo ran away! / クーが家出

人間で言えば高校生くらいの、推定満一歳のオス猫クーは、日増しに活発になり、外に出たくてしようが なかった。ただ、町中で放すと交通事故が待っている。だから戸締りをする夜以外は、大抵リードに繋がれていたクー。 でも十分に長いリードだったので、そんなに拘束したつもりはなかった。

それでも可愛そうに思い、二階の窓から商店街のアーケードの屋根に出して遊ばせたのがいけなかった。3mの高さは猫にとって、というか 外の世界を希求するクーにとってはさほどの高さではなかったらしい。 昼過ぎにアーケードに出してほんの数分、眼を離した時には クーの姿は見えず、いつ飛び降りたのやら。21時現在、帰って来ない。

いくら猫でもアーケードは飛び降りるにそう低くない。クーよ、お前は満腹と自由を天秤にかけて決めたのだな。しばらく頭を冷やして、 自分の生き方を決めればよい。帰らなくても探さないし、帰ってくれば好物が待っているよ。

Forgive me, “Coo”. / クーちゃん、ごめんよ。

 

昨年の10月に当家に迷い込んだオスの子(中)猫は、娘が『空也』(クーヤ)と名付けた(迷い込んだ子猫に父(祖父)が 思わず「クーや」と呼びかけたのを娘が聞いたのが由来)ので、一昨年に他界した犬のクーと同じ、”クーちゃん”となった。

賢く?綺麗な猫ながら、人間で言うと高校生くらいのやんちゃ盛り、母の体力の限界を超えるほどの暴君ぶりに母も辟易。

昨今の家猫(オス)では半ば一般化した”去勢”なるものを考えざるを得なくなり、11月30日に手術。

「”去勢”は人間の身勝手。それは少女監禁の変質者と同じ行い。」とまで思って悩んだけれど、現実に町なかでオス 猫と共生するには、どうも避けがたいことのよう。

クーちゃん、ごめんね。 見方によれば、法と規範に縛られた僕たち人間も似たようなものだから我慢して。 宦官になっちゃったけど、子供の時に敵に捕らわれて宦官にされながらも、新たな国で重臣となって尊敬を集めた王子もいたように聞いているし・・・。

この前の大雪の日、電気カーペットの上でとろけて寝ていたクーちゃんを見て、ノラになってあの恐ろしい寒さ、ひもじさに 耐えるよりはマシだよな、と勝手に思った。

でも、ばあちゃんの料理は旨いだろう。 松葉ガニには特に目がないクー。 グルメ三昧で、2.5kgだった体重が今や5kg。 デブネコ にならないでね。

2007年を振り返って

 Sky&Telescope誌の1982年11月号で自作の8cm双眼望遠鏡が紹介されてから、25年もの歳月が 流れましたが、私の到達点と一般マニアや望遠鏡業界、天文誌、一般人それぞれとの 理解度、認識レベルのタイムラグは広がりこそすれ、一向に縮まないことを痛感せざるを得ません。

 EMSの開発史の年表を作るとすると、81年頃のAmici Analogue(一体ケース型)のEMSの発案、90年頃の60度偏角 ミラーユニットの採用、95年頃のミラーチルトによるX-Y光軸調整の実現と続き、今年は、(鏡筒固定で)ピント移動のない 眼幅調整(focus compensator)の実現で、少なくとも原理的な部分では、ほぼ積年の懸案をクリヤーした、特別な年だったと言えると思います。

 とは言うものの、ごく一部ながら、EMS-BINOの理解者やユーザーの方々が増えて来たことも事実です。
 そして、恐れていた悲しい別れもやって来ました。 3月にはユーザーリポートも投稿してくださっていたSさんが 、そして12月には、ユーザーサイトとしてリンクさせていただいていたMさんが亡くなられました。
 ご両名のご冥福を心よりお祈りします。また、来年からもEMS-BINOの完成度をさらに高めるべく 精進していくことが、天国にいるご両名に喜んでいただくことだと思っています。

Stray cat / 迷い猫

今日は家族が一人増えた日なので、記録しておかないといけない。

午後3時半頃、昨日からこちらに滞在していた姪とその叔母(私の義兄の妹)を鳥取駅に送る時、(両親の)自宅玄関を開けた 駐車場に、まだ子猫と言うべき若い(満1歳未満か?)猫が迷い込んでいて、妙に人懐っこく甘えて来た。 家内を残して駅で来客を見送って帰宅 したら、なんと家内が店の中でその猫に鰹節(削り節)をやっていた。首輪も付けておらず、痩せこけてはいないものの随分と 食べていないようで、なんとも凄い食欲。

「駐車場から店まで付いて来たけど、店のシャッターを開ける音に驚いて逃げるだろうと思っていた。  ところが、シャッターが少し開くと、猫はスルっと店内に入ってしまった。」との家内の証言。  そうこうしている内に高3の娘も帰宅。 普段なら、心を鬼にして追い払うところながら、今回は不思議な縁で、家族全員満場一致でそ の子を受け入れることになった。 先月には両親を連れて因幡霊場で催された犬猫の合同慰霊祭(クーの一周忌)に参加して来たところでもあり、両親の心の 空洞を埋めるために機は熟したと言ったところのようだ。

諸条件から、両親の家で飼い、私たちもアシストすることにした。慌てて家内と一緒にホームショップに行ってトイレを 含む猫グッズを購入。 トイレのしつけの心配をしていたら、トイレに紙製の猫砂を入れるやいなや、彼(オス猫)は 待っていたように率先してご使用になった。まさに完璧な『猫』。 いずれ画像でご紹介します。(10/12 画像追加)

「このメガネ、皺(しわ)が見えます!」

中年期を過ぎて、それまで潜伏していた遠視が顕在化し始めた方は本当に扱いにくい。もともと視力には人一倍自信を持って 来た方ばかりなので、こちらに来店されるまでに相当痩せ我慢を続けられ、耐え切れなくなって、大嫌いなメガネ屋に来られたは ずなのに、皆さん、極めて往生際が悪い^^;。

正視の人が老眼になったのであれば、「近業時のみ、仕方なく嫌いなメガネを掛ける。」という選択も アリなのだが、遠視は残念ながら、そうは行かない。遠方視の際にも、近業用メガネ(老眼鏡)よりも少しプラス度数の弱いメガネ を装用しないといけない。 もちろん、それを装用しないと警察に捕まるわけでもなく、当人が納得しないなら放っておくしかない。
ただ、はっきりと言えるのは、掛けないとたちまち世界がボケて見えてしまう近視は、メガネを掛けなくても眼の調節機能には 全く負担をかけないが、掛けなくても遠方は結構見えてしまう遠視は、放置しておくと、生理的な負担が大きく、眼や体を蝕むと いうことだ。このパラドックスがなかなか理解してもらえない。

第一、主婦であれば、ある程度の遠視を放置したまま台所に立つことは、家族にとって不衛生極まりないということを自覚すべきなのだ。 また、いつまでも美しくありたいと思うのなら、まずは自らをはっきりと見つめないといけない。

頑固な遠視の初老のご婦人をやっとの思いで説得して、メガネを仕上げても、まだ全てのハードルを越えたわけではない。
仕上がった遠視のメガネを受け取りに見えた時がまた問題なのだ。メガネを掛けて店内の鏡を見たご婦人が悲鳴と共に、こう叫ばれる ことがあるからだ。

「キャーッ!! このメガネだめです。シワが見えます~!!!」

私はそれに対していつも手厳しく答える。

「気にしないでください。人には始めから見えています。ご自分が見えるだけです。」

だから、当店の本業はいつまでも発展しないのか??
(でも後でフォローもしますよ。「お友達のシワも見えるから、自信を持てますよ。」)

タイムラグ(Time Lag)を考える

 タイムラグという言葉は、もはや日本語になっているが、a time lag というのは和製英語でなく、 れっきとした英語だ。”lag”は、lag behind~として使われることが多く、Genius英和辞典の例文には、 ~behind the rest of the nation in economic reforms. とある。 意味は、文字通り、“時間の遅れ”のことであるが、やはり“タイムラグ”の方がよりピンと来る。

 タイムラグというのは、どんな場合でももどかしいものであるが、人間が絡むと特に歯痒く、深刻になる。悪意は瞬時で伝 わるのだろうが、善意はなかなか伝わらないか、逆に誤解さえされ得るし、一旦誤解されたら、その誤解を解くには時には何十年 もかかるか、一生解けない。

 科学的な成果にしても、その時代の水準を超えて画期的な物であればあるほど、認められるのは後世を待つことになり、 数百年後にやっと認められるようなケースが希でないことを科学史が証明している。

 タイムラグということを、今の自分にからめて言うと、たとえば、1.新製品の構想と、2.その実験、試作、検証と、 3.Webでの公開と、4.一般への認知、までにはそれぞれの段階でタイムラグがあり、そのもどかしさはいつまでも埋まることは ない。

  ただただ、新たな成長の節目の到来の予感に、一人武者震いするしかない今日この頃…。   自分が常に進化しているということを主張し続けて、じっと時が来るのを待つしかないようだ。

Crystal of Snow / 雪の結晶

地区の問題に振り回されて過酷な?^^;毎日ながら、今日は高2の娘が英検準1級の二次に好成績で合格。 我が家にとって、久しぶりの明るいニュース。 目標に向けて精進するは楽しいばかりで はなく、むしろ苦しいこと多く、勝利の美酒を味わうも一瞬で、すぐに次のハードルが立ちはだかる。 しかし、そのかけがえのない美酒の味を早い段階で教えたことは、私の子育てへの加点かな?と思えども、 「今回はDadの世話にはなっていない。」と娘の正直な感想。

娘が高校に入ってから家庭教師を首になったのは父の計算外。お父ちゃん自身の学習motivationを削いだ要因 としては、地区の問題を上回る。^^;

ゲレンデのリフトで隣の娘の手袋に、
On the glove of my daughter in the Ski lift by my side,
希有に大きな雪の結晶。
Unusually large Crystal of Snow

その美しさとはかなさに、避けられない別れの宿命に、
The beauty and fragility threatened  me with the fate of farewell
おののきながらもまどろんで、
And dozing in the silence

超速 preview (プレビュー)した自分自身の臨終の、
To dream to see myself in the deathbed,
走馬燈の一コマに、
Watching a revolving lantern of my whole life,
再び現る雪の結晶。
To see the Crystal of Snow Again.

あれから7年、意外に早かった、来るべき別れのリハーサル、先輩方はいずれ戻ってくれると慰めてくれるが・・・^^;。

故足利先生に黙祷

 今日の地方紙で、恩師の足利先生が一昨日(2月4日)に亡くなっておられたことを知った。享年97歳だった。 ショックではあったが、実は 2005年の10月に先生と最後の握手を交わしていた時に、別れを覚悟していた。

 2005年の10月16日に、初老の紳士が来店された。「入院中の父親のメガネだが、レンズを読書用の度数に交換してもらいたい。」 と言われ、メガネを見るなり、足利先生のメガネだと直感し、お尋ねしたらやはりそうだった。足利先生は胃癌に罹患され、手術は 成功したものの、術後に脳梗塞が発症したとの息子さんの説明だった。

 私は万感の思いでメガネを仕上げると、病室の足利先生に届けた。先生は私を認識されたようで、堅い握手をして分かれた。 後で支払いに見えた息子さんに、今回は代金は頂かないことをお伝えすると、かなり遠慮されたが、今までの足利先生との 付き合いから、私の見舞いの気持ちであることを説明して理解していただいた。 足利先生は、メガネをお届けした日 に退院され、老人養護施設に入られた。 私は息子さんに名刺を渡したが、息子さんは自分の連絡先を語られることはなかった。

 その後、足利先生からの音信はなく、施設宛に出した年賀状も返信が来なかったので、こちらのことは、もう認識しておられなかったのかも知れない。  足利先生の最後のメガネを、私は写真に撮っていた。 大切な片身になった。

60度を折る ”サバイバル数学”

数学嫌いだった私が数学好きになって行ったのは、それが物を作ることや、物を理解する上で必要だったからです。  未だに、数学が得意だとは言える段階ではないのですが、自分に必要な数学は自然に身に付いて来たと思うし、 実用との接点を体感する醍醐味を知れたことを幸せに思っています。“survival mathematics”というのは私の造語か、 すでにどなたかが使っておられるのか知りませんが、私にとっての数学は、まさしくサバイバル数学なのです。

ですから、数学を勉強することに苦痛を感じている中高生を見ると、大変歯痒く、ついおせっかいをしてしまいた くなるのです。

古い話になりますが、20年以上前に自宅屋上にドームを製作した時には、幾何学的な基礎知識が大いに役立 ちました。正方形の観測室の土台の直角出しには(3:4:5)を利用しましたし、観測室の火打梁の設置には正方形から正八 角形を作図する方法が功を奏しました。

今日は、極めてシンプルで役に立つ”技”をお伝えしたいと思います。この手の分野に詳しい方は、すでにご存知かも分か りませんが、唸ってくださる方もおられるかと思います。便利だと思われたら、覚えておいて活用してください。  ただ、いきなり答えを言ってしまってはつまらないので、一応、各自でトライしていただきたいと思います。
分からなくても、24時間くらいは、我慢して解答をクリックしないでください。

問題: 長方形の紙を2回だけ折って60度を作ってください。 ただし、布団たたみのような3つ折りは禁止です。(3つ折りでは正確に折れません。)  また、折ってから開いても結構です。折れ線が2本までOKということです。

解答

解答では証明を省いています。証明は簡単ですので、各自でやってみてください。

数学関連日記
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