Две жизни Ясобуро Хачия” Фестиваль Радонеж 2015 / 蜂谷弥三郎さんとクラウディアさんのドキュメント

Я хотел бы поделиться документальный фильм о Клавдии и Ясабуро, с российскими посетителями этого сайта.

I would like to share the documentary about Craudia and Yasaburo, with Russian visitors of this site.

ロシアで制作放映された、蜂谷弥三郎さんとクラウディアさんのドキュメンタリー(ロシア語)がyoutubeにUPされていることを(友人より)知りましたので、主に(最近急増した)ロシアの訪問者の方々のためにリンクを掲載させていただきたいと思います。すでに当事者3人共天国に召されましたが、久しぶりに感慨に浸りました。

(クラウディアさんのことは、2003年11月19日の日記にも記載しています。)

最愛の日本人の夫に、50年以上も独身を貫いて一人娘を育てて待ち続けていた日本人の妻がいたことを知ったクラウディアは断腸の決断をします。

「他人の不幸の上に自分の幸せは築けない。弥三郎にとって大切な人は、私にとっても大切な人。私は夫との37年間の想い出で生きて行ける。」

心臓を患っていた蜂谷さんの日本の奥さん(久子さん)は、蜂谷さんと10年ほど暮らした後の2007年に蜂谷さんの胸の中で息を引き取りました。クラウディアさんはその7年後の2014年に亡くなられています。

蜂谷さんは晩年、認知症を患われていました。通っておられたデイサービスセンターの介護士に、たまたま当店のお客さんがいたため、それを知りました。私はその方に蜂谷さん宛ての手紙を託しましたが、蜂谷さんは無反応だったそうで、返事はもらえませんでした。もっと早くコンタクトを取らなかった自分を大変後悔しました。

クラウディアさんの胸の底は想像の域を出ないわけですが、互いの病気や老いの末路を予測され、彼女が下した英断は、ある意味、功を奏したのかも知れないと、ふと思うことがあります。 37年間の、夫との甘美な想い出をスポイルしないための潔い英断だったのではないか、とも思えるのです。

蜂谷さんは、二人の妻の最後を見届けた後、2015年6月10日に96年の生涯を閉じられました。

Local Armwrestling Tournament / アームレスリング大会(於パレットとっとり)

Commemorative Photo with Mr.Yamaguchi,the winner of the Expert Class

(試合後にエキスパートクラス(右腕)の優勝者の Yamaguchi さん(左)と記念写真を撮らせていてだきました。対戦はしていません(雲の上の人です^^;)。レフェリー役は師匠の Nishikawa さん。)

Match venue 受付準備中の会場

Local armwestling tournament, open category, was held last night in Tottori City. Most of the competitiors seemed to be near local, but several experts came all the way from Sakaiminato City,far west of Tottori Prefecture.(Tottori-City is located far east.)
I entered in the Beginner’s Section, but “Beginner” really didn’t mean a beginner to the letter. Most of them were actually advanced persons and very strong. I could only get two wins, each one win on right and left respectively, on the consolation match. I was a bit dissapointed with the result, but at the same time I told myself it was a small one step of my Armwrestling carrier.

After party was held at the snack bar,”South Orange”, in charter, and I was very happy to join the local members and to be introduced to the experts. Armwrestling table was also brought in the bar and we enjoyed practice matches over a glass of beer.
Not only they were so strong but also they were so nice. There was a common value of a kind of “Investigator” in all of us, and found all of us are very serious in improving ourselves.
 昨晩、地元のアームレスリング大会(於:パレット鳥取)に参加しました。全国大会につながるような組織的な大会ではなく、目下の師匠の Nishikawaさんが県下のアームレスラーを招集した練習会的な大会で、事前の申し込み用紙や公募のポスターすら準備なしでしたが、実にアットホーム的な競技会でした。
参加者は約40名くらいがエキスパートクラス(約10名)とビギナーズクラス(約30名)(両クラス共体重無差別級)に分かれて闘ったわけですが、ビギナーといっても文字通りの意味ではなく、予想通り、ほとんど皆かなりの経験者であり、アドバンスドと呼ぶべきランクの人たちで、その強いこと、強いこと。^^; トーナメント構成の不運(左右共、初戦の相手が結果的に優勝者)もあって、本戦は期待に反して左右とも初戦敗退、敗者復活戦の初戦で左右を1勝ずつ出来たに留まりました。^^; 何とも無念で屈辱的な結果となりましたが、まあ、大会での初の1勝を左右共勝ち得たということで、最初の小さい一歩を踏み出したのだと、自分に言い聞かせています。
 ただ、より大きな収穫は、試合後に、近くのスナックバーを貸し切り(かつアーム台持ち込み^^)で催された打ち上げパーティに参加できたことです。観戦に来てくれていたジムのパートナー(パワーリフター)の Kuramitsu 君も紹介(とアームへの勧誘?^^;)を兼ねて同伴しました。
県下の主立ったアームレスラーの方々と交流でき、自分の顔を覚えていただいたということで、これも大きな最初の一歩だと思っています。境港市からわざわざ参加してくれたエキスパートの方々の中に、事前にブログだけを拝見していた方(コアさん)と知り合えたのも大きな収穫でした。 コアさんはブログから、文章がうまい方だと思っていましたが、最近ブログにUPされた子猫ちゃん騒動でも分かるように、実に心が優しく、気配りの効く素敵な方でした。
アームレスラーというと、ネット上では、その雰囲気からか(門外漢からは)粗野で乱暴なイメージを持たれている節が否定できませんが、実際には、皆真剣に自分を磨いている、いわば真摯な求道者である、ということがこの世界の門をくぐってみると分かります。 予想通り、私が出場者の中で断トツの最高齢者(64)(次の年長者でも49歳^^;)でしたが、求道者は、年齢も職業も何も関係なく、共通の価値観での一体感が持てることが分かりました。
10月12日追記:
(右腕をUP頂き、光栄です。コアさんの前腕も、お怪我による長いブランクにもかかわらず、さすがにアームレスラーのそれだと感じさせられました。^^写真や動画で見たよりも逞しかったですよ。^^)

Armwrestling 160928

I could join an armwestling group in Tottori City about a month ago at last.
As I had quoted here, I had very few chance to play match with armwrestlers, and I had been seeking for an appropriate group to join. So, I am very happy with myself being in the environment of armwersting in the end.
It was a kind of culture shock to find some advanced armwrestlers with less mustle were so strong. There seems to be special knacks and the  specilal direction of the power to be trained. I am watching through many videos in the Internet to study the essence of armwerstlings. It is very fun.
 念じ続けると道は開けるもので、一月ほど前に、車で15分ほどの所でアームの練習をしているグループを知り、仲間に入れてもらいました。 しかも、そこはかなりの強者が集まる所でした。
どの競技でもそうですが、初心者は経験者にはかないません。アームはそれが特に極端です。 体格で自分に勝る相手に負けるのは納得行くのですが、外見では到底納得が行かない結果を見るのが、 アームの不思議であり、また、(一般には)未知の理論が隠れている部分で、ある種の醍醐味でもあるわけです。 自分のポテンシャルを信じて、しばらくこれに没頭することになりそうです。^^;

…Was blind, but now I see.

The phrase of the title is my motto I have been keeping through my business since I had started making EMS or Binoscopes nearly thirty years ago.
On the other hand, I found a lot of advanced manias being so confident in their beliefs that they would not admit new facts that proved againt their estimations.
In that sense, I can say that those who call themselves “Novice” are faster to learn the knacks of the binoscope maintenance.
So, I would like to say that “Dispose your pride, and you will be happier by seeing the reality”.
 Amazing Grace の一節の”…Was blind, but now I see.” というのが、ずっと私の物作りのモットーでした。 それまで頑固に固執していた信念が粉々に打ち砕かれるような経験の連続でした。昨日まで「これが最高!」と確信していたことについて、今日はもっと合理的な解が見付かり、自ら顔が赤くなるような経験が、数日レベルで連なって今日に至っています。
EMS-BINOを注文される方には、超マニアから初心者を標榜される方まで、キャリアの幅は広範囲に渡りますが、意外にも、納品に当たって当方の意思との何らかの齟齬を生じる確率は、圧倒的に古参マニアの方に多いようです。 それはなぜか?ということですが、やはり、マニアの方それぞれのご経験から来る、先入観や思い込みの強さにその根っこがあるように思えてなりません。
 そして、長い時間をかけて誤解を解いても、自らが間違っていたことを、「不快な経験」と解釈されるのか、そのことをいち早くスルーされるため、当人にとっても未消化で栄養にならなず、当方にとっても実に消化不良で胃に悪い後味しか残らないことが多いのです。 こちらに相談される前に、すでに濃厚な自己診断をしてから来られると、ご指導もなかなか届かないのです。 ただ単に自説の追認を求めるのと、”真摯に相談する”というのは異なります。
 自分の限られた現役余命を考えると、client の方との相性というものも考慮して受注を限定して行かないといけないな、と考えるこの頃です。 不快な思い出は増やしたくないので・・・。

Hand and arm support(Parallel bars) 平行棒の手支持と腕支持振動

Let me extend my biggest appload to Mr. Kohei Uchimura who won both of the gold medals for individual and for the team.

As I was once a gymnast, I would be often asked about gymnastics. Today, I will explain the two kinds of swings of the paralles bars.  One is hand support swing, and the other arm support swing.  Both are rather difficult for the beginners , but I can say the arm support swing is more painful for the beginers.

今朝は、リオ五輪で個人総合と団体の両方で金メダルを掴んだ内村航平選手が列島を興奮のルツボにしたようです。

体操の経験があることから、こうした話題がある時には、よく知人から体操競技のことを尋ねられます。 その中からごく一部をご紹介したいと思います。

床や跳馬を除くと、スウィング(振り)というのが体操競技では極めて重要な基本であり、(現在はどうか知りませんが)私がやっていた頃(50年前^^;)は、大方どこの学校の体操部であっても、新入部員は最初は嫌というほどスウィングばかり延々とやらされたはずです。 そして、資質に恵まれた者が多く集まっているはずにもかかわらず、新入部員は悲惨なほどスウィングが出来ないものなのです。 まして、一般人はただ支持するだけでも苦痛なもので、体操競技を観る方には、その大変さを一度でも体験しておいていただくと、より正当な感動を得られるのに・・といつも思うわけです。^^;

平行棒のスウィングには腕支持と手支持の二種類あります。 手支持の振動は、初心者は前振りの恐怖心が強く、最初は大きく脇を開けることができず、手前にだけ振って、前後の振りが非対称になり勝ちです。 しかし、身体的に強烈なカルチャーショックを受けるのは、圧倒的に腕支持振動の方でしょう。

私の頃は、スポーツ全般に、根性!根性!と、精神主義が闊歩していた時代。 ひたすら延々と腕支持振動の練習をやらされました。 私はバック転も車輪もできないズブの素人で高校から体操を始めたので、早く追い付きたくて、上級生の指導に徹頭徹尾従っていました。 平行棒は棒上で手を放して再び持つ技が多く、向う脛をバーにしたたか打つのは日常でしたが、何と言っても辛かったのは、最初の腕支持振動の練習でした。 まだ上腕三頭筋が発達しておらず、バーは容赦なく上腕骨に食い込み、広背筋も不十分で腕で体重を支え続けながら体を振動させるのは、一種の”業”でありました。 最後には上腕の内側の皮膚が剥け、出血が始まります。 すると、先輩に、「バーに血が付くから、傷口に炭マ(炭酸マグネシウム)を摺り込んどけえ!」と一喝され、すぐにそのようにしました。今から思えば、実に非科学的な指導なわけですが、体操競技が、基礎的な運動でさえ、いかに至難なものであるかをお伝えしたく、私の経験をお話した次第です。

実績のない体操部でしたので、ウレタンマットを買ってもらえたのは、私が高三の時に一人、他校のチームに合流して鳥取県チームとして国体に出場した後(引退後)でした。 (それまでは、大技は文字通りいつも命がけの気持ちで練習したものです。)

Knack of understanding of my website / 当サイトの見方

I am afraid that it might sound intrusive, but I would like to give you a good knack to understand better the contents of my website.
The point is, Do not try to exploit only the narrow sensed direct answer to your question, but try to understand the fundamental theory by chronologically investigating all the related articles in my website. The keyword search in my website will help you quite a lot.
Here is a good example. Assume that you want the answer of “540/12”, but it will be nothing that you only get the answer of “45”.
In such a stance, you will have to look up the answer when you come accross another question of “637/49”, and such repetition will follow.
To acquire the mechanism of division is more important and useful, and if it seems to be difficult even reviewing addition and subtraction would work quite a lot.  Never leave anytying ambiguous. Even though it sounds bothresome, we will be happier to reach the clear understandings of the fundamental principle.
また説教がましいことを言って嫌われそうですが、当サイトをよりよくご理解いただくためのコツをお話したいと思います。
「ピンポイントの答を探すのではなく、関連事項を時系列に検索、精読いただくことで、根本的な理解を目指していただきたい。」ということです。
たとえば、当面 637÷49の答が欲しかったとしても、13という答だけを探すのではなく、割り算の原理を理解してください、ということです。
そして、割り算がよく分からなければ、足し算や引き算に戻って復習する姿勢を持っていただきたいということです。 最初は面倒くさいかも分かりませんが、それが結局は真の理解に至る近道であり、根本が理解できた 方が、何倍も楽しいですよ。

PARADOX / パラドックス

My motto is “Truth is paradoxical.”.

The theory that seemed to be perfect often proved to be wrong afterward, and that seemed to be suspicious often proves to be true in the end.

The common sense is not always true, or often times in the wrong.

For example, it is true that the lack of calcium will make our bone weaker, but taking excessive calcium will not necessarily increase our bone density.
The excessive calcium in our blood will cause the avalanche to eliminate the excessive calcium to restore the normal balance and end up still more lack of the calcium in the initial condition.

According to the evolution of the primitive creatures, the first sea lives had no spine because the primitive sea water was full of calcium and there was no need for them to store the calcium in their body.
It is very paradoxical that they earned their spine in the river because there is scarce calcium in fresh water and they had to store it in their body.
Full of calcium and no spine, and scarce calcium and spine. Isn’t it so paradoxical?

By the way, look at the standard medical care of these days.
If your blood pressure is higher than the normal, the doctor is very likely to administer the anti-hypertensive drugs at once.
If your blood contains too much fat, the doctor will do in the same way.
The higher numeric value should be decreased in their manual.
And they never doubt decreasing the value to the normal stage is the “cure”.

Is our body so simple?

上の稚拙な英文をお読みいただき、いくらかでも共感いただけましたら幸いです。 私は時々こんなことを考えています。 随分前に書いた文章ですが、忘れてしまわないうちに記録しておきました。

私の言動が時に唐突に、また偏屈に見えようと、全て”逆説に真理あり”の信念から来るもので、その意味では一貫しているのです。^^; 製品開発に対するポリシーも同じです。

EMS/EMS-BINOユーザーさん訪問記(2015年11月21~22日)/ Visiting EMS users

今回の旅行の当初の目的は、数ヶ月前に嫁入りしたFS102-BINO(EM200赤道儀仕様)が兵庫県のマニアの方の共同観測所(峰山観測所)に設置された姿を見せてもらうことでした。代表者のOOSUGIさんが招待してくださったわけですが、私の希望から、そこから車で1時間半ほどの星尋荘天文台(OGAWAさん邸)もコースに含めていただき、姫路からはもっぱらOOSUGI さんの車で案内していただくという、気軽で贅沢な旅を楽しませていただきました。
I have made a two day trip in Hhogo prefecuture to visit four private observatory sites of my clients.

さらに、やはり兵庫県内在住で”のっぽ君1号(15cmF8-BINO)、同2号(15cmF5-BINO)のユーザーのYAMAMOTOさんにも合流いただき、帰路の朝にはYAMAMOTO邸も見学させていただき、大変濃い旅をさせていただいたわけです。

時系列に今回の楽しい旅の内容を記録に留めておきたいと思います。
まずは、11月21日の午前10時半頃、OOSUGIさんとYAMAMOTOさんに姫路駅で拾っていただき、車で1時間ほどの山間部にあるOOSUGIさんたちの峰山観測所に向かいました。FS102-BINOは、通常は赤道義から回転装置ごと外して、密閉保管箱に丁寧に保管してくださっていて、当店の片隅で埃を被っていた頃よりもずっと綺麗に管理されていて感激しました。

The group’s ovservatory headed by Mr. Osugi. The main scope is the FS102-BINO on EM-200(Takahashi) equatorial mount which was taken over from me several months ago.

ここは短時間で切り上げ、次に向かったのは星尋荘天文台(OGAWA邸)です。実は、そこでは、OGAWAさんとの久しぶりの再会の他にも、一つの大きな目的がありました。それは、以前にそこに里子に出していた猫のクーと再会することでした。クーとは6年ぶりの再会でした。普段、自由気ままに広いOGAWA邸の敷地や近隣地域を走り回っているクーでしたが、名前を呼ぶと、ニャーと言いながら擦り寄ってくれました。犬と比べれば淡白な反応ではありましたが、OGAWAさんによると、まだ私を覚えてくれていたようで、感激しました。

Another important purpose of this trip is to see Coo, I parted with six years ago. Yes, Mr. Ogawa is the step-keeper of him. I was very happy to see Coo who seemed to remember me in spite of the long term of no see.

星尋荘と3キロほどしか離れていないところに、EMSユーザーの方(OKAMURAさん)の観測所(龍星庵)があり、訪問させていただけるとのことで、私を含めて4名でOKAMURAさんの観測所を先に見学させていただきました。 それはそれは、立派なスライドルーフの観測所で、2つの大型赤道義が巧妙に設置されており、機材も優秀かつ華麗な物ばかりで圧倒されました。OKAMURAさんはお医者さまで、開業しておられる岡村医院の屋上の一角に観測室を備えておられ、お人柄から、自然に星仲間が出入りされるようになり、環が広がっているそうです。

Dr. Okamura’s sliding roof was full of fabulous telescopes as you see. He is a user of my EMS-UL for the single use.

その後、また星尋荘に戻り、あいにくうす曇りの天候ながら、ドームの主砲の40㎝ニュートン赤道義や、別に併設されたスライドルーフ観測室をじっくりと見学させていただき、20時過ぎまで下の談話室で歓談させていただきました。

Mr. Ogawa keeps a 4-meter dome,40cm Newtonian on equatorial, and a slinding roof respectively.

15cmF8-BINO; from New York to Ono-City, Japan

普段は観測棟には入らないクーですが、帰り際には、真っ暗の中を見送りに出てくれ、横腹をすりすりしてくれました。
OGAWAさんは、何度も当サイトにリポートを投稿してくださっていますが、実は、行き場を失いかけていたクー(猫)を引き取ってくださったのが、このOGAWAさんなのです。

玉の輿に乗ったクー

OGAWAさんの過去のご投稿:
ISS観望記
ニューヨークより

翌朝(22日)は、またOOSUGIさんに姫路のホテルで拾っていただき、YAMAMOTOさん邸に寄り、のっぽ君1、2号機と再会しました。出来立ての15cmF5-BINO(version-10)はYAMAMOTOさんの手によって、真鍮ウェイトやハンドル部品が鏡のようにピカピカに研磨され、先日お引渡しした時点よりもさらに洗練されていましたが、初期の15cmF8-BINO(のっぽ君1号)も大変よく管理され、現役をしっかり果たしていて感動しました。

Mr. Yamamoto is the owner of the old 15cm-F8-BINO and the new 15cmF5-BINO.

2006,1/23;22:22, by Mr. Yamamoto (North Sky above his House)

そこでしばらく歓談、写真撮影をさせていただいてから、また3人で鳥取のメガネのマツモト(当店)に向かいました。(車で送っていただいた。^^;)

実は、この旅はそれで終わりではなく、もう一つの大きな目的がありました。それは、私からしますと、CAPRI102ED-BINOの納品であり、OOSUGIさんからしますと、その引取りでした。
当方には正午過ぎに付き、最終的な追加工やご説明、また歓談をしている内に時間は瞬く間に過ぎ、OOSUGI さんと YAMAMOTO さんは16時少し前に CAPRI102-ED-BINO と共に帰路に付かれました。

Mr.Osugi and Mr. Yamamoto kindly drove me home and Mr. Osugi took his finished CAPRI-102ED-BINO home in his car. (I went there by train and I could not bring it with me.)
最後に、この楽しい旅をずっとご案内くださたOOSUGIさんとYAMAMOTOさん、そして快く迎えてくださったOGAWAさんとOKAMURAさんに、改めて心よりお礼申し上げます。

 

 

Holocaust Bombings /(原爆投下の目的)

Last week, US media reported the death of Theodore Van Kirk, the last surviving crewman of the Enola Gay, who passed away aged 93. A funeral was reportedly scheduled for August 5 in his hometown of Northumberland, Pennsylvania, which would coincide with the Hiroshima anniversary in Japan.

An American B-29 bomber named Enola Gay dropped an atomic bomb on Hiroshima on August 6, 1945, in one of the final chapters of World War ll. It had killed an estimated 140,000 by December that year.

Three days later, the port city of Nagasaki was also bombed, killing an estimated 70,000 people.

Most of the Americans must have taught that the twin A-bomb attacks brought a speedier end to the war by forcing Japan’s surrender and preventing many more casualties in a planned land invasion.

But the later neutral investigations have been revealing the true purposes of the twin A- bombings as the following.

1: Experiment of the two kinds of A-bombs.
2: To hold a dominant position over Soviet Union after the War.

The reality is that the US did not want to end World War ll until it drops two kinds of A- bombs on Japan. And the main purposes were to observe the effects on the city infrastructures and especially on the human bodies. US did not have other choice less than two A-bombs, because they had developed two kinds, one is Uranium and the other, Plutonium.

Japan had already sent the sign to surrender months before the bombings, at least through Soviet Union. It was one day before the Potsdam Declaration,7/26, that Truman had ordered to drop the A- bombs on Japan.

And the way and time and place were carefully chosen to make the definite success on the unprecedented experiment on human bodies.

To see the pure effect of the A-bomb, Hiroshima was left from air raids until then. The bomber once pretended to go through the sky of Hiroshima and then abruptly turned back and finally dropped the A-bomb. It was just the timing of the air-raid alarm being called off for the first contact of the bomber. Many of the citizens were just got out of the steamy bomb shelters onto the roads, many of them might be shirtless out door.

Anyway it was at 8:15 on the morning of August 6, week day, that many citizens were busy on their way to the offices or schools.
It is not end of the story. Three parachutes were released in advance of exploding the bomb to attract as many eyes of innocent citizens staying outdoor. So, the strategy was a great success in gathering a great numbers of materials afterward for the A-bomb studies.

エノラゲイの最後の乗組員が先週亡くなったそうで、葬儀はまさに日本時間の8月6日に執り行われたそうです。  アメリカでは、彼はいわゆる War Hero であり、ネット上の写真では、棺をアメリカ国旗が覆っていました。

アメリカでは、「原爆投下が戦争の終結を早め、双方の犠牲を最小限に留めた・・・」と教えて来たようですが、 その後の中立的な検証の結果では、そうではなかったことがほぼ確実になりつつあるようです。

トルーマンが日本への原爆投下命令を出したのは、ポツダム宣言が発布された日の前日でしたし、ソ連の参戦が 確実となった段階で、すでに日本の降伏は明らかであり、戦争の終結のために原爆を投下することは必須ではありませんでした。

そして、何よりも問題なのは、原爆の投下が無通告で、かつ一般民衆への配慮が皆無、というか、どう見ても、故意に 生体実験をしたとしか思えない方法で履行されたことにあります。

当日の朝、B-29は、一旦広島の上空を何もしないで通過し、その段階で市内の警戒警報は解除されていました。 蒸し暑い防空壕から外に出た多くの市民は、シャツを脱ぎ、深呼吸をしていたことでしょう。 ところが、B-29はいきなり コースを変え、引き返して原爆を投下したのです。 さらにご丁寧なことに、3つのパラシュート降下物を事前に投下し、 戸外にいた多くの市民の視線を惹き付けていたそうです。 まさに、一体でも多い検体サンプル(やデータ)を採取 するために、周到な手段が講じられたということです。 爆発時刻は朝の8時15分、多くの大人は通勤中で、子供たちは学校に向かっていた時刻です。

さらに日本政府に降伏の決定と表明の時間的猶予を与えることなく、わずか3日後に長崎にも投下しています。 このことからも、ウラン235と プルトニウム239の2種類の原爆を実験することが当時のアメリカの最大の優先事項であったことが明らかです。

あれから69年の年月が経過し、被爆体験生存者が減る一方、重い口を開き始めた新たな証言者も増えて来ました。 そして、当時の日本の指導者層も、戦争の末期に当たり、自国民の命を守るよりも、自分たちのかくまいを優先していたことが明らかになりつつあるようです。 上層部は新型爆弾の投下を予測しながら、国民に事前に警鐘を鳴らすことをせず、爆撃機の飛来時にすら的確な警報は出されませんでした。

死者に鞭を打たないのが、日本人の美徳でもあるようですが、大方の責任当事者がすでに他界している今こそ、冷静な目線での当時の総括を急ぐべき時ではないでしょうか。 さもないと、世界のどこかで、また同じことを繰り返すことでしょう。

”友達”と”戦争”

The Blue Bird of Happiness /(幸せの青い鳥)

There seems to be a fairly good number of people who are not pleased with their eye-glasses.

Some portion of them have unhappy eyes of extreme anisomyopia with the dominant eye of unhappy choice, or other factors for which it is very difficult to prescript comfortable glasses; but what I am goning to tell now is about those who have no such extreme factors on their eyes but still, who are not pleased with their glasses even after buying so many glasses at as many optometlists or opticians, just as if they have been bar-hopping in search of the imaginary Blue Bird.

…..To be continued.

今日、これからお話することは、メガネに悩んでいる方にとって、極めて重要なことだと思います。 話をすっきりと組み立てるために、例外を最初から省き、敢えて断定的な言い方をしますことを、事前にお断りしておきます。
確かに、不幸にして、メガネでの矯正に無理があるような極端な不同視(左右の極端な度数差がある眼)等を持つ方も一定数ありますが、今回は、眼自体には著しい屈折上の欠陥はないにもかかわらず、 当人もしくはメガネの作り手側の不適切な判断が不幸を産んでしまっているケースが、あまりにも多いということをお伝えしたいと思います。

昨今の大手の全国チェーン店の、有名芸能人を使用した集中豪雨的なテレビ広告には視聴者の大半はすっかり洗脳されるようで、(ベッキー、いい加減にしろ!^^;) 当店のような零細個人商店には対抗するすべもなく、来客数は 減少の一途を辿っていますが、代わりに、「あらゆる医療機関やメガネ店を渡り歩いたが、満足できるメガネには一つも行き当たらなかった・・。」 と、当店の噂を最後の砦のように、辿り着かれるお客さんが時たま見え、私はその度に俄然張り切って腕を揮うわけです。

最近、外国人の方のメガネを作りましたが、出来上がったメガネを掛けていただいてすぐに、
「私は母国時代より今日まで20個くらいのメガネを作りましたが、こんなに最初から快適なメガネは初めてで、 本当に感動しました。 『新しいメガネには、しばらく慣らす期間が必要なもの』と理解していましたが、それが間違いだったことを初めて知りました。」
というコメントをいただき、眼鏡屋冥利に尽きる思いをしたところです。

眼は左右2つあるので、単純ではありませんが、ここで長々と専門的なことを書いても読み飛ばされると思うので省きます。
要するに、「良く見えるメガネと、掛けて快適なメガネは別だ。」ということです。 完全矯正値の9割の度数にしておけとか、8割にしておけとかいった 単純なものではありませんが、大事なのは、メガネを掛ける方の虚飾のない本音のニーズがどこにあるのか、ということを、本人がまず冷静に自問する ことが大切で、次にメガネ作りに関与するプロも、お客(患者)を決して無意識にでも誘導することなく、本音を的確に引き出して感じ取ることが大切なのです。

遠近両用(特に累進多焦点レンズ)を例に挙げますと、遠方視力と近方視力の両方を同時に欲張らないのが、度数選定のコツです。 自分のライフスタイルで、どちらを優先すべきかを冷静に考え、常に遠近の度数差が最小限になるように配慮することが大切です。 検者側は、被検者(お客/患者)を誘導するのではなく、本音を見抜かないと いけません。 検眼椅子に座らせられて視力表を見せられる異常心理下でば、どうしても、よりよく見える方の度数を選び勝ちです。 被検者が検者に流される だけでなく、検者も被検者によく流されます。 しかし、メガネが出来てから、「あなたがこの度数(強い方)が良いとおっしゃったでしょう?」 などと言うようでは、メガネ屋(眼科医)失格です。^^;

「”メガネ”がもともと嫌いだ。」という方が結構います。 実は、メガネもそうした方を嫌います。^^; 顔にかかる水を嫌う間は、良いスウィマーになれないのと同じです。しかし、今日の話の主旨は、顔にかかる水に慣れろ、というのではありません。

メガネが嫌いなら、嫌いな人に適した処方がありますよ、ということを言いたいわけです。 「わしゃあ、メガネを外すとほっとする。」と言う人が意外に多いのです。 「じゃあ、なぜメガネを掛けるのですか?」と問うと、 「掛けんと見えませんがなあー。」と返ります。

私がメガネが嫌いそうなお客さんによくする説明にこんなのがあります。 「ご飯が美味しい濃い味だったら、決して一生主食として食べ続けられませんよ。ほとんど味がないところが良いところなんです。 メガネも 一緒です。 完璧に見えなくても、生活に困らず、掛けていることを忘れて、そのまま顔を洗おうとしてしまったり、掛けているメガネを探すくらいの 方が良いのです。」

メガネが嫌いな人は、多分、次のように考えているのだろうと思うふしがあります。 「大嫌いなメガネを掛けてやるのだから、掛けた瞬間から、ばっちり見えないといけない。 裸眼と大差ない見え方なら、嫌いなメガネを掛ける 価値が無い。」 しかし、実際はそうではありません。 そうではないということを、テストレンズを仕組んだサンプル眼鏡を交えてじっくりと説明すると、 大方の人は理解してくれます。 外したくなるメガネよりも、掛けたくなるメガネの方が良いメガネだということ。 そしてそんなメガネが 可能だということを。

・・・つづく。

7月28日追記

何個メガネを作っても満足できない人には、二つのケースがあります。 一つは、不幸にしてろくでない眼鏡屋や眼科医としか出会えなかった人で、一定の割合でそうした例が あるようですが、これは業界の現状を考えれば不思議はありません。^^; しかし、今回のテーマはその場合ではなく、自分が空想した(あり得ない)理想のメガネを捜し続けている人、つまり、実在しない幸せの青い鳥を 求めて流浪している方に引導を渡すことです。

メガネレンズは、顔に装着するという事情から、むやみに複雑に重い光学系を構成するわけには行かないので、常に単レンズであり、諸収差の残存には最初から妥協する前提で成り立っているものです。 まず、メガネ装用者は、この点を肝に銘じておく必要があります。 ただ、幸いにして、左右の球面度数(非乱視の度数とご理解ください)が同じで、乱視の度数も軸も左右でほぼ等しい方は、 像の歪曲や変形、視線の移動によるプリズム効果等が左右で相対的に打ち消しあうために、簡素な単レンズ系であるメガネレンズでも、よほどの特異体質でない限り、慣れないようなことはまずないでしょう。

しかし、左右の度数差、乱視軸の不同等がある方と、遠近両用(とくに累進焦点メガネ)装用者は、メガネでの矯正に限界がある(つまり妥協すべき部分がある)ことを知らないと、いわゆる”青い鳥探求者”となり、多大な時間とお金を無駄にすることになるでしょう。

左右の度数差が極端な人は、例外を除き、屈折異常度の強い方の度数を、弱い方に歩み寄らせる形で、左右差を最小限にすることが、快適なメガネを実現するために必要です。 特に、度の強い方が利き目でない方は幸せで、その眼は相当ぼけていても、両眼視にはほとんど支障はありません。 逆に、左右差のまま完全矯正すると、メガネをかけた瞬間は良くても、時間が経つにつれて頭が痛くなったり するものです。 乱視の場合も、同じような考え方で妥協点を探ります。 多少の軸の左右差であれば、極力左右の乱視レンズの軸方向を一致させます。 その操作が不都合なほどに左右で方向がかけ離れている場合は、 時には乱視の矯正を諦める方が好結果につながることもあります。

累進レンズ(遠近両用)に対する、(幸せのために^^;)取るべき態度ですが、まず、累進レンズは、レンズメーカーが宣伝するように、「どの距離でも理想的にはっきり見えるメガネ」では決してないということです。 使い道具は全てそうですが、汎用器(複数の機能を持つ道具)は、単独の機能に着目すると、専用器に適うはずがないということです。

爪切りや鋏やナイフや栓抜き等が一体になった道具がありますが、それぞれの機能では、専用の道具にかなわないものの、キャンプ地や山での遭難時等では、それが命を 救うことすらあるでしょう。 汎用器は、汎用性そのものが目的な場合に携行してこそ、意義があるわけです。 自宅のキチンなら、それぞれの道具をきちんと整理して 置いておくのが正解でしょう。

累進焦点メガネもそれと同じで、遠用と近用(さらには中距離用)のメガネを頻繁に着脱交換するのが現実的でない場合に、ありがた味が出るわけです。 累進レンズ不適合の性格の方が異口同音に言われることに、「このメガネはぼける部分があります。」というのがあります。
一方、すんなりと累進レンズを使いこなす方は、 もともと不満がないので、こうしたネガティブな感想は全く出ないわけですが、多分、次のように理解しているはずです。 「このメガネは、(距離に応じて)はっきり見える部分がある。」 つまり、累進レンズをネガティブに見れば、遠方を基準にすると、近用部は遠方がぼける度数帯を構成し、 読書距離を基準にすると、遠用部は近くがぼける度数帯を構成し、同じメガネの枠内にそれぞれが邪魔な領域を占めることになるわけです。 一方、ポジティブに見れば、メガネの枠内のどこかには、必ず目標の距離に対応した領域が存在し、そこで見る限りはっきり見えるわけですから、「このメガネはよく見える部分が ある。」と言えるわけです。
「ぼける部分がある。」というのと、「はっきり見える部分がある。」というのは、ほぼ同じことを言っているようですが、 装用者の姿勢(捉えかた)で、評価は正反対に分かれるわけです。

・・・つづく。