This is one of the phase of my experiment challenging my age.
年齢への挑戦、続けています。
Innovation of Astronomical Telescope
正立ミラーシステム(EMS)を開発した松本龍郎のサイト。 たった2回の反射で天体望遠鏡の像を正立像にします。
Tatsuro Matsumoto; Inventor of the EMS, Erecting Mirror System. EMS offers non reversed upright image with no additional undesirable abberations.
I think my web-diary is a bottle-mail to be thrown into the cyber ocean.
I believe there must be someone in the world who shares my feelings with. I do not intend to debate on anything with anyone.
I welcome the favorable e-mails only.
e-mail
FACEBOOK
You can see the older posts at the Internet Archives,too
Webの大海に流す瓶入りの手紙、そんな感じでWEB日記を書いています。共感いただけたらメールをください。
Debate をする気はないので、反論のメールは要りません。^^;
よろしければ、FACEBOOKもご覧ください。
古い投稿は、ネット・アーカイブでもみられます。
This is one of the phase of my experiment challenging my age.
年齢への挑戦、続けています。
I am very sorry that my medals are limited in the local events and won no official match medals. Even so, I cannot dispose the silver medal of the local event of Gaina-Matsuri and the Bronze Medal at the San-in Arm-wrestling tournament held in Tottori City just two weeks before my mother’s death.
I received the second shot of the Corona Vaccine on 30th of July.
Happily,there were no vaccine side reactions at all, and my evening workout was as intense as usual.
7/30に無事、2回目のコロナワクチン接種を終えました。
副反応は接種部位の違和感を含めて一切なく、毎日の激しい自重筋トレも継続できました。
もっとも、副反応は若い方ほど顕著らしいので、自慢になりませんけどね。^^;
内村航平選手のまさかの早期敗退を払拭するように、日本体操界の次世代を
担う橋本大輝さんが快挙を成し遂げた。
若い一時期に体操に没頭していた私としては、こうした場面を見るごとに、本当に血が騒ぐ。
五輪体操はローマ五輪(1960)から見て来たけど、この60年の体操の技の進歩は本当に信じられないほどだ。
私が体操に没頭していた高校時代は、1967~1970年なので、レジェンドとして憧れた選手はそれ以前に活躍された方々で、小野喬さんや遠藤幸雄さんだった。 高2の時だったか、米子市の体育館で遠藤幸雄さんの指導会があって、私が代表して遠藤さんの前で床の規定演技をしたこと、散会後に鞍馬の指導をしてもらったことが忘れられない。
遠藤さんに、まず旋回して見ろと言われ、通常の右旋回を何回も回っているところを、遠藤さんはじっと真ん前で見つめ、「悪い所が分かったぞ!」と言われ、指導の金言は以下の通りだった。「腰が引けている。足先は低くて良いから、腰を前に出す練習をしなさい。」
1960年代までは、まだ精神主義が闊歩していた時代だったと思う。高1だったか、顧問の先生が高3で部長だった先輩に、これを読め、と渡したのは、小野喬選手の自伝本だった。それを部長は、お前も読め、と私に又貸しした。^^;
詳細は記憶しないが、器具インフラの乏しい環境からスタートされた努力の結晶が綴られていて、大いに感動したのでした。
ただ、今振り返ると、そのことで、過度にストイックに走ってしまったことは、自分にとって正解だったかどうか、疑問に思ってる。
もっと冷静、科学的なスタンスは無かったか?と思えど、時すでに遅し。
当時の体操は、日本とソビエト連邦がしのぎを削っていて、中国はまだ台頭していなかった。
1960年のローマ五輪での個人総合の王者はソビエトのシャハリンで、日本の小野喬さんは銀メダル(種目別の鉄棒、跳馬で金)だった。(団体は金)
そして、1964年の東京五輪で遠藤幸雄さんがそのシャハリンに雪辱して見事個人総合の金メダルを奪取した!
現在の体操の技は、当時と比べると、まさにSFの領域で、当時は想像だにしなかったような技が当然のように行われている。
昔の体操との違いをごくざっくりと言うと、静止系、力技系よりも振動系の離れ業の進歩が著しい。 だから、選手の体型も変わって来た。多分、器具や補装具の進化(特化)も相乗的に加担して来たに違いない。 具体的には、昔の体操選手の方が筋肉が発達していたように思う。ソビエトのシャハリン選手などはその典型で、上水平時の三角筋の筋繊維の浮き上がりは圧巻だった。
多分、一般の方が当時の体操の演技の録画を見たら、技のしょぼさに失笑するかも知れないけど、私は、昔の体操も大好きで、敬意と感動しか湧いて来ない。
次のメキシコ五輪(1968)では、若き加藤澤男選手が優勝候補のボローニン(ソビエト)を下す番狂わせで快挙を遂げた。
優勝を確信していたボローニンが、鞍馬の旋回でひっかかってしまい、泣き崩れたシーンが目に焼き付いている。当時の共産圏の選手の国を背負う重圧には悲壮感さえあった。
次のミュンヘン五輪では、加藤澤男が二連覇、さらに監物永三、中山彰規と、金、銀、銅を独占したのが、日本体操の1960年代の黄金期のピークだった。
当方、現在はメガネ専門店なのですが、父の代に時計も並行して扱っていたなごりで、今でも腕時計の電池交換は、責任上続けています。
ただ、電池交換に関する、お客様との意識の齟齬に当惑することも少なくなく、以下のような説明文を用意しています。
**********************************
腕時計の電池交換について
電池交換は交換後の時計の(機能)余命を保証するものではございません。
当方では、お持込になった時計の古い電池の電圧を測定し、電圧があまり下がっていない場合は、時計自体の不調の可能性が高いと判断し、電池交換をお断りしておりますが、古い電池が放電していた場合は、一応時計は正常と予想して新しい電池と交換し、さらに針が始動することを確認してお渡ししています。
ただし、(工場出荷後)数年以上未清掃(分解掃除)、未注油でご使用の時計は、いつ停止しても不思議はありません。(数日後あるいは当日でも停止することもあり得ます。予測もできません。)
発信装置が電子化される以前(50年以上前)は、腕時計は貴重品であり、精密機械として、定期的なメンテ(理想的には毎年の分解掃除)が必要なことが広く一般に認知されていました。 ところが、腕時計が電池で駆動するようになり、平均単価も急激に下がった結果、精密機械という認識が忘れられ、懐中電灯のように電池交換だけで継続使用されるのが一般的になって来ました。 それは、腕時計の単価と修理技術者の工賃のアンバランスが生じ、修理代で新品が買えてしまうという、やむを得ない事情もございます。
ただ、2回も3回も電池交換のみで使用している腕時計は、工場出荷時から少なくとも4~6年は経過しており、いつ停止してもおかしくないことは、ご認識いただく必要がございます。 電池で強引に動かしている状態なのです。(発信部が電子化されても、アナログウォッチは精密機械には違いありません。腕時計は、ミクロのゴミでも簡単に停止してしまう、極めてデリケートなメカなのです。)
メガネのマツモト
松本龍郎
フロントレバーは、去年ご紹介したバックレバー(背面水平懸垂)とはけた違いにハードルが高いです。今回は、フロントレバーからマッスルアップに繋げる練習です。
自分の趣味を他人に押し付けるのは良くないですが、このディップススタンド、コロナ下で自宅トレするのに好適ですよ。
これも、10年前までは軽々と出来ていたこと、もうすぐ取り戻します。
(良い子はマネをしないように!^^;)
本当は、旧市庁舎が取り壊される前に、屋上の縁で倒立したいんだけどな。
家族に迷惑をかけるので諦めた。^^;
↑22歳頃。
一般の方から見れば、限りなく”キ*ガイ”に見えるでしょうが、私の目から見れば、年を取ってロコモに陥る方が耐え難いことに見えるのです。
4/10にゴムなしで出来たのですが、動画なしだと疑われるので、まだフォームが汚いですが、タイムラグがあまり開かないうちにUPしておくことにしました。
言い訳がましいけど、非固定の鉄棒、やりにくいです。
ロコモティブシンドロームとか、フレイルとか、高齢化社会の問題になっていますが、それは、高齢者になってからの生活態度というよりも、若い頃からの(筋トレ無縁の)生活習慣のツケが回ったものだと思っています。
15年ほど前に、21年生きた猫を自宅で看取ったけど、椅子の私の膝に飛び乗れなくなったのは、最後の1年以内だったと記憶します。サバンナのシマウマなら、走るのが遅くなったらライオンに食われるわけで、最後まで普通に動けるのが生き物の正常な姿ではないのか?
人間の場合、知識が邪魔して、中高年になると身体能力の低下を抗しきれない加齢現象として受け入れてしまう人が多いのではないだろうか? 私は、それは違うということを、これから身をもって証明するつもりです。
I am going to write about my first Muscle-UP without the rubber tube today.
The video will follow when the form would be more perfect.
I have been involved in Calisthenics for nearly a year, and trapped in the thrill of myself to be able to do what I could not do yesterday.
今日、マッスルアップが初めてゴムチューブなしで出来たので、備忘録として記録しておきたい。
自転車の標準的なゴムチューブ2本で出来たのが、2か月ほど前だったか? その後すぐにその1本が切れて、代わりに極細のゴムチューブに代えて(つまり1.5本)練習していたのが、前回(3/23)ご紹介したYOUTUBEで、実はその翌日にその細いゴムチューブが切れてからは、標準チューブ1本で練習していました。
そして今日、初めてチューブの助けを借りずに、何度かマッスルアップを成功させることが出来ました。
昨日できなかった事が今日は出来る!というカリステニクスの醍醐味にすっかりはまってしまいました。
面白いですよ。あなたも始めませんか?
(フォームが綺麗になったら、また動画をUPするつもりです。)
My biggest concern is Calisthenics, not Astronomy,
since the COVID-19 period had begun.
I will show you today, how I am practicing “Muscle-Up”.
コロナ自粛が始まって以来、カリステニクス(自重トレーニング)にすっかりはまってしまいました。 十代で体操を辞めて以来、ボディビルやアームレスリングに没頭して来ましたが、奇しくもコロナがきっかけで始めたカリステニクス、これが一番自分がやりたかったことだと気付きました。
屋内でマッスルアップの練習をする方法をご紹介します。非固定の鉄棒なので、キッピング(反動)はあまり使えません。(階下の家族から苦情が出る^^;)
51年前の自分を、80歳までの10年計画で越えようと思っています。無理だと言われるほど闘志が湧く。