49th Day’s Sermon (四十九日法要)

Twenty-five relatives gathered in the temple yesterday to hold the Buddhist sermon of “49th Day” for my father.

Buddihism believes the dead will be judged by his or her righteousness to go to Heaven, or land in the Hell, on the very day of 49 days after the death.

I know my father had met many heartless peolple through his life, but He must have forgiven them in the discipline period of the 49 days after his death to pass the final test to go to Heaven. I wish he had done so.

昨日、25名の親族が集まって、父の四十九日法要を済ませました。 人の最後(というか死後の最初の)の仕事は、「親族を再び引き寄せること・・」かなあ、と感じました。

LX80Mount and NEXUS, proved to be compatible!! / LX80マウントでNEXUS+SkySafari3(-Pro/Plus)が使えます!!

NEXUS has also proved to be compatible with the LX80 Mount!!(The cords of the serial cable of the older version of the NEXUS, one year ago shoul be swapped to act as a correct serial cable, though.)

Here is an instruction movie by my friend.

先日のSkyFi に引き続き、NEXUSもLX80マウントで使えることをT さんが検証してくださいました。ただ、私が購入した1年前のNEXUSに添付されていたケーブルは、コネクターの結線が間違っていたそうで、それを修正する必要はありました。(多分、あの頃のNEXUSに添付されていたシリアルケーブルは同じだと思います。 ただ、エンコーダ用(PushTo)だけで使っている方は全く関係ありません。)

(2月23日追記)上記動画を T さんが”YouTube” に投稿してくださいました。 お陰で再生しやすくなりました。 また、iPhone等のスマホやタブレットからも見られるようになりました。 T さんに合掌!!(2月24日追記:WIFI環境がない所だと再生しにくいので、さらに対策を考えていただいています。)

LX80Mount and SkyFi, proved to be compatible!! / LX80マウントでSkyFi+SkySafari3(-Pro/Plus)が使えます!!

Now, it is finally proved that LX80 Mount is perfectly compatible with the SkyFi and SkySafari!!! It is unbelievable that I am the first to clearly anounce the fact in all the Astronomy Manias in all over the world.

結果的には当然のことを確認しただけなのですが、世界広しと言うのに、どうしてこの私が最初に検証することになったのでしょう??^^; 架台メーカーも、世界中の代理店さんも、誰もはっきりした回答をくれませんでした。

メーカーさん等が”周辺機器も含めて自社の純正品を売りたい”という、営業戦略上の事情も分かりますが、情報の開示にあまりにも”消極的”を越えて意図的に閉鎖的だった(ミード本社は問い合わせメールにすら返信しなかった)ことは大いに批判に値すると思いました。 それに引き換え、献身的に協力してくださったデジタル技師のTさんとAさんには深く感謝し、またこのご両名には、天文を愛好する世界中の仲間より惜しみない喝采を送っていただきたいと思います。

ここに、私が初めて断言します。「LX80でSkyFiが動きます!!」  Tさんが以下の動画を準備してくださっていますので、ご参照ください。

また、引き続いてNEXUSも検証していただく予定で、これも間違いなく動くはずですので、ご期待ください。

Memory of my Dad (6) (父の想い出(6))

This photo was taken on New Year’s day when my father was 19 years old. The right guy is his friend of the same age.
My father was dominated by his strict father (my grand-pa) through his childhood and youth.
Father was one of the typical victim of the feudalistic family system of before the war.
Father, who was the sixth son, was treated just as a foot man only to serve the Banu.

松本家の確かな系図は、池田光仲候が岡山から鳥取に国替えになった時に、同行した 御用商人の松本治郎平に始まるようです。 町人でしたが、名字帯刀を許されていました。 口頭の伝承では、先祖は角倉了以の12人の子の誰かということですが、これは残念ながら証拠がありません。 ただ、先祖が了以を尊敬していたことだけは確かのようです。(余談ですが、角倉と鴻池が京都で財宝比べをすることになり、鴻池が当時の至極の財宝を台車に満載して京の町を練り歩いたのに対し、角倉は自分の12人の子供を車に乗せて回った・・という話も伝わっています。^^;)

以下、池田光仲候について、Wikipediaからの勝手な抜粋です。
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寛永9年(1632年)父・忠雄が死去し、わずか3歳で家督を継ぐこととなった。幼少のため山陽道の要所岡山を治め難いとされたが、徳川家康の曾孫ということもあり改易とはならず、光仲は因幡・伯耆を有する鳥取藩32万石に、従兄で鳥取藩主となっていた池田光政が岡山藩31万5,000石へ国替えとなった。この際に、叔父の池田輝澄(播磨国山崎藩主)、輝興(播磨国赤穂藩主)、さらに光政が後見人として充てられた。幼少のために江戸藩邸に在住し、領国経営は荒尾氏を筆頭とする家老を中心とした側近に委ねられた。光仲が領国に初入国したのは慶安元年(1648年)、藩主となって16年を経てからである。
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永代供養になっている松本家の墓が高野山にもありますが、上の記述の荒尾家老の 墓石と並んでいます。

以上は、何も先祖の自慢ではなく、父が厳格に封建的な家族制度の元で育ったということをお知らせしたいために引用したものです。  ”家”を存続することが、何よりも優先され、それを護持するためには、個人の命や幸せは 取るに足らないものとされていました。 だから、家の都合により、子供は養子として物のように た易くやり取りされていました。 父は養子には出されませんでしたが、独立を求めた父に対し、 祖父も長兄も冷たく、反対を押し切って家を出た父には何の援助も与えられせんでした。

長兄よりも人当たりが良く有能だった父は、まさに長兄が頼朝なら、義経のような存在だったに違いありません。 父の長兄は「どうせすぐにケツを割って戻って来るだろう・・・」と、敢えて 冷たくしたのでしょうが、明日の食べ物にも困った父の困窮、家族を飢えさせることを怖れた戦慄は半端ではありませんでした。

四十九日は、仏教では仏になるか地獄に行くかの審判が下される日だそうですが、それが 近付いています。 父が長兄や祖父を許し、和解していれば、多分仏になるのだろうし、 そうでなければ地獄行きかも知れません。^^; 「地獄にでもどこでも行ってやろうじゃないか・・・」というのが生前の父のスタンスでしたが、49日の修行でどう変わったかが問題です。^^;

Memory of my Dad (5) (父の想い出(5))

The top photo: My grandfather.
The center photo: My grandmother and her six of seven children, followed by another three afterward. The oldest son was out of the frame because he was in a bad mood. I also notice grandfather was out of the frame, too. My father, sixth son, is in the third from right.
The bottom photo: My father in his 21 years’.

従姉の証言によると、祖父は一人用の高脚膳で家族とは別メニューの食事をし、祖母は 祖父の食事が終わるまで側で給仕したそうです。 便所も祖父だけの畳敷きのが家族用とは全く違う場所にあり、家族は 見るのは良いが、使うのはご法度だったそうです。^^;

上の写真が祖父、中央の写真は、祖母と6人の子供たち。 ただ、この時、長男はご機嫌斜めで写真に入っていません。 右から3人目の一番幼いのが六男の父です。 祖母に抱かれているのは幼くして他界した父の妹、両端の男の子が右から四男と五男で、 それぞれフィリピン(ミンダナオ)と大陸で戦死しました。 下の写真は21歳頃の父。(・・・つづく)