今日は表題の幼稚園の創立50周年の式典(午前中)と祝賀会(午後)に出席するため店を閉じた。 この園には、奇しくも私と娘の親子2世代で現園長の三谷先生のお世話になった。記念すべきこの式典に 招かれたのだから、臨時休業もなんのそのだ。
この幼稚園は、昭和29年に鳥取福音ルーテル教会会堂が建築された時、地域の要望を 受けた宣教師コーレ・ビュー師が、会堂を用いて「鳥取ルーテル園」を開設したのに始まる。 開設当時は日本は 戦後の復興期で貧しく、さらに鳥取大火で鳥取市内は壊滅的な被害を被っており、ノルウェーの教会からの 暖かい支援に支えられて幼稚園は今日に至っている。
式典では、Christianで Gospel Singer の森祐理さん のコンサート、同じく祝賀会でもミニコンサートが開かれ、信仰に裏付けられた美しい歌声と 霊的なお話に惹き込まれた。 特に祝賀会で歌われたAmazing Graceでは 頬をつたうものを抑えられなかった。
最後に50周年記念誌に掲載していただいた拙文をご紹介する。もろびとこぞりて
「モーロビト コゾリテー シュワーキマーセリー ♪・・・・ 」
当時は意味も分からず歌っていた。 多分、先生の説明を聞いていたはずなのだが、その歌詞を 「諸人挙りて、主は来ませり。」と理解するまで長い年月を要した。
末っ子の長男だった私にとって、幼稚園は最初の試練だった。 我が強く先生を独占したいのだが喧嘩は 強くなく、絵だけは上手だったようだが、総じて晩稲で、目立たず大人しくしていたと思う。胸をときめかせた 三谷先生の紙芝居の他、葛藤に悶絶していたことも鮮明に覚えている。
当時は現在のような立派な園舎はなく、礼拝堂が園舎を兼ねていた。お昼寝の時間になると、狭い屋根裏部 屋のような所に上がっていたが、すぐに寝付く園友の傍ら、自分はなかなか寝付けなかった。多分そこは教会の 十字架の尖塔部の中だったのではないだろうか。
中庭も含め、結構ワイルドな遊びも許されていたように記憶する。うろ覚えだが礼拝堂内の片隅に椅子が 大量に積み上げられたような所があり、トンネル状の抜け穴で園友たちが入って遊ぶ中、狭い所が怖い私は 入るのが厭だった。園庭には木登りに好都合な大きな木があったが、私は高い所も怖かった。
気が付くと、一人娘がまたお世話になっていた。三谷先生に親子二世代がお世話になった次第だ。時に 娘も同じ葛藤を経験する様子を見ながら、親も学ばせていただいた気がする。
”もろびとこぞりて”の例えではないが、幼稚園とは、種類の分からない種に水を撒くようなものか なと思った。先生はずっと後の発芽を見届けることなく園児を送り出さないといけない。二世代目の入園 で初めて、親となった園児がどんな芽を出し、どんな木に成長したのかを見ていただけるのかも知れない。 いや、親として子供を園に送り出すことで、真の意味での幼稚園のレッスンが完結するのだろう。