人類の至宝

少し前に、高2の娘が学校の数学で”虚数”の単元に入ったと言ったので、教科書を見てみた。 ところが、複素数平面や極形式、ド・モアブル の定理等の記載が全くないので、Webで調べてみたら、何と、2003年からの新課程で高校数学から消えていたことを知り、
愕然とした。

ベクトルでも、内積を教えるのに外積を教えない。ベクトル、複素数、三角関数、指数関数等は密接にからみ合い、それらをセットで 学習してこそ、その醍醐味が味わえるのに、誠に残念なことである。

e^iπ = -1 は、人類の至宝と言われる、オイラーの等式だ。

これは、e(自然対数の底;2.71828・・・)の iπ乗( i は i^2=-1で定義される虚数、πは円周率)=-1ということだ。

つまり、(2.71828・・・)の(i x 3.141592・・・)乗がマイナス1になるということ。
何で??
e^iθ をマクローリン展開すれば簡単に導くことが出来るのだが、f(θ)=e^iθ のグラフを描いてみれば、視覚的に 一目瞭然となる。

まず、e^iθ には i が含まれているので、複素平面上の1点に対応するはず。そしてf(0)=1 である。 θで微分してみると、f'(θ)=ie^iθ となり、絶対値は元のままで方向が位置ベクトルと直交していることが分かる。つまり、速度は大きさが 一定で位置ベクトルに常に直交しているということだ。

さらにその速度f'(θ)=ie^iθをθで微分してみると、加速度f”(θ)=-e^iθ となり、大きさは元のままで、向きが原点に 向かっている。 すなわち、これは半径1の円を描くことになるのだ。

つまり、e^iθ = cosθ + i sinθ (オイラーの公式)となり、θ に π を代入すれば、マイナス1になるのだ。  このオイラーの公式から、ド・モアブルは元より、三角関数のあらゆる公式も簡単に導出することが出来る。

一例を示そう。
e^i(α+β)=e^iα * e^iβ を オイラーの公式によって計算してみてください。
sin cos の加法定理が一挙に導けて、笑いが止まらないはずです。

EMSは60度の偏角のミラー2個を適当なねじれ角で組み合わせたものですが、そのねじれ角θを解析してみたら、 何と、cosθ=1/3 という単純な数字で表されることが分かった。当人は仰天、感動したのであるが、今日までそれに関する コメントを誰からもいただけないのは、非常に残念なことだ。

1立方センチの立方体

仕事台(今は小型旋盤の台)の下の本棚を整理していたら、小さい段ポールの箱に入った、 多数の木製の立方体が出て来た。 これは、8年ほど前に2年間ほど夜間だけ、某学習塾の非常勤講師をしていた 頃に使用したものだ。用事がなくなってからも、どうしても捨てることが出来ずに残していた物だった。

体積の概念が曖昧だった中学2年生の男の子のために、私は1cm角の木の棒をホームショップで探し、卓上の丸 鋸で、結構危険な思いをしながら1個ずつ切断して仕上げた。

これを1辺が2倍になるように、4個合わせて上から見ると、合体で出来た大きな正方形の面積が元の4倍になる ことが分かる。また、1辺に3個並ぶようにすると、9個で大きな正方形を形成することが分かる。これで、 面積比は相似比の2乗倍になることを男の子に納得させることが出来た。 私はさらにこれを立方体に発展させ、 体積比が相似比の3乗倍になることも教えた。

立方体でなくても、たとえば人間のような形でも、小さな立方体の集まりと考えることが出来る。 体重60kgの人 がたとえば6万個の1立方センチの立方体で近似させることが出来るとすると、同じ個数の1辺2cm(8cm3 )の立 方体で、2倍の相似比の人間を形成することが出来る。だから、完璧に相似のまま身長が2倍になると、体重は8倍に なるのだ。(この仮想の立方体の1辺は限りなく小さく想定できる。)

この男の子のお母さんが塾に月謝を払いに見えた時、お母さんの生活臭が痛々しく伝わり、私は何としてもこの子 の学力を上げてやろうと決意した。しかし、その思いがつのるばかりに、宿題をして来ない子にいつも笑顔で接する ことが出来なかったことから、次第に敬遠されてしまい、この子は結局塾をやめてしまった。今はすでに成人して いる勘定だが、あの頃の事をこの子はどう思っているのだろう。「妙に口うるさいオジサンだったなあ。」 と思っているのかな。

メガネの度数

ホームページに眼やメガネのことを書いているせいか、ときどきご質問をいただく。

先日、覚えのない女性名で分厚い封筒が届き、密かな期待を持って開封したら、メガネで苦労して来られた経緯が詳細 に綴られてあった。

比較的最近、関東地方から、大手のメガネチェーン店で何度メガネを作っても満足できなかった男性が鳥取市の当店までメガネを 作りに見え、 「初めて満足がいくメガネが出来た。」と大変喜んでいただいた。 どうも、全国的に相当な割合で自分の メガネ(の度数)に満足しておられない方がおられるようだ。 しかも、よくお聞きしてみると、私が当然だと考えている 検査や検討を、メガネの度数を選定する段階で十分に受けておられないようだ。 これは、メガネ店だけでなく、 医療機関でも同様の傾向だった。

実は、この傾向は、当方がネットで情報を発信する前から、店頭でも体験していたことだ。  半世紀に渡って鳥取市で眼科医療に貢献されたO先生はすでに故人になられて久しいが、生前にO先生の眼の度 を測らせていただいていたのは私だ。現在、千葉県在住の奥さんは、メガネを作る度に私の所まで帰って来られる。 奥さんも「あらゆるメガネ店、医療機関を歩いたが、満足できなかった。」という意味の事を言われた。

現在は、他覚的な検査手段が発達しているので、器械による検査だけで、比較的正確な度数を把握することは、 素人でも出来る。 そこに巨大資本を持つ他業種の起業家が目を付け、医療器具であるはずのメガネを“雑貨品”として 量販展開をする。もともと他業者だから、医療品を扱うというプライドも自覚もない。 有名芸能人を使って集中豪雨的 に、主に価格に訴求したテレビ宣伝を流し、消費者を洗脳する。 芸能人は金になればどんなコマーシャルにも出るが、 門外の業界の価値を判断する能力を彼らに期待するのも酷なのかも知れない。

さきほど説明したように、概ね正確な眼の度数を測定するのは、そう難しくない。 問題は、正確なメガネと快適な メガネが同値ではないこと(大抵は相反する)にある。 正確?で不適切なメガネが氾濫して行く(しかも加速している ようだ)のは、隠れた社会問題だとさえ思える。メガネは両刃の剣。効果と副作用が拮抗する投薬や食物と同じ。いくら栄養があっても、 未調理のままでは腹を壊すので要注意だ。

もちろん、眼の検査の最初の仕事は正確な度数を把握することだ。前言を覆すようだが、実はこれも厳密にはそう 簡単な事ではない。後で被検者の装用感を打診しながら、さじ加減をする時の最初の基準なのだから、正確でないといけ ない。問題は、その後、快適さと求める矯正視力との妥協点を、被検者と同じ目線でじっくりと決定することが大切で、これ には、検者の熟練と根気を要するのである。

(他筆)わたしが初めて世の中と出会ったとき

今日は女友達のRKさんが書いた文章をご紹介します。  1年ほど前にメールに添付していただいたこの文章に、私はいたく感動し、ご自身でサイトを立ち上げて公開されることをお 勧めしたのですが、「私は自分自身のために文章を書いています。」とのことでした。
しかし、どうしても皆さんにも読んでいただきたいと思い、この度、ご本人の許可を いただいて匿名で掲載させていただくことにしました。
後でお聞きしたのですが、この文章は、末期癌のお友達に送られた ものだそうです。
友達が末期であることを知って狼狽したRKさんを、そのお友達は静かに慰められたのだそうで、この 文章はそれに対するRKさんの万感の思いを込めた返信であり、その意味でこれはそのお友達の文章でもある と言っておられます。

 

わたしが初めて世の中と出会ったとき; by Ms.RK(2002/02/13)

小学校三年から高校を卒業するまで、私は岡山市下出石(しもいずし)町で暮らしました。子ども時代を過ご した町ですから、わたしには暮らした、というより、育った、というほうが実感に近いかもしれません。 旭川右岸に長細く上出石・中出石・下出石と並ぶ町で、旭川の中洲を利用した後楽園が川をはさんですぐ目の前に 見える川べりの町です。町内は竹屋さん、氷・薪屋さん、八百屋さん、お菓子屋さん、時計屋さん、薬屋さん、肉屋 さん、種物屋さん、お米屋さん、こんにゃく屋さん、お化粧品店、電気屋さん、瀬戸物屋さん、雑貨店、履物屋さん、 ふとん店、文房具屋さん、と通りに面して小さな商店が並び、裏道にはお勤めをしている家が並んでいました。 旭川の土手や河原は子どもたちの格好の遊び場所で、土手の石垣をよじ登ったり、どんこや糸なまずなどの小さな 魚を川ですくったり、彼岸花を摘んだり、水切りと呼ばれた石投げをしたり、本当に毎日時を忘れて遊びまわ りました。水切りというのは、平たい石を川面を掠めるように投げ、水面を3段とびのように次々と跳ねて飛ばす 遊びです。小学生低学年の頃は、上級生の男の子が遠くまで10回以上もジャンプさせて飛ばすのをただただ尊敬と 憧れの眼差しで見ていました。また、たとえどんこのようなちいさな魚でも、息をひそめてそうっと近づき、 さっと手づかみでつかまえるのは、子どもにとっては大抵の技術ではなく、私はひたすら取り逃がしては、次々と バケツに魚をすくいあげる男の子を尊敬の眼差しで見ながら、その子のバケツ持ちをしていました。

私たちのテリトリーは、上は町と後楽園とを結ぶ橋である鶴見橋のたもとから、下は後楽園の裏門と城跡と を結ぶ月見橋あたりまででした。現在、烏城は鉄筋コンクリートで再建されていますが、当時は戦災で焼け残った 月見櫓だけが残っていました。そのかなり広いテリトリーの中間あたりに岡山神社がありました。今は土手下にき れいに舗装された道が走っていますが、当時は土手まで全部神社の敷地になっていて土手に立つ大きな木 (今度岡山に帰ることがあったら何の木なのか、木の種類を調べておこうと思います。)は注連縄がかかった 御神木でした。神社が道路用地を市に提供したため、神社の敷地から離れて、ぽつんと土手の上に取り残されて立 つその木には、この前帰省の折に見たときには注連縄はなく、御神木の役目をはずされてしまったのかどうか、 これも今度尋ねてみたいと思っています。

さて、この岡山神社の敷地全体も私たちのテリトリーの一つでした。レンガを組み合わせて作った仕掛けで雀 を生け捕りにしたり、花崗岩で作られた実物大の馬にまたがって遊んでは神主さんに見つかって怒られたり、 夕方になるとこうもりの群れが飛び回り雰囲気十分のそれはそれはエキサイティングな遊び場だったのです。 ここでも、私は雀を捕まえることはできず、生け捕りに成功するのは決まって神社のすぐ近くにある家のかなり年上 の男の子でした。一度だけ私のしかけたわなに雀が掛かったことがありましたが、獲物は生け捕りではなく、 レンガに首をはさまれて死んでいて、そのことがあってからは、私は雀の生け捕りから足を洗いました。

そしてまた、岡山神社は我が家の躾の場所でもありました。ちょっとしたウソ言ったり、母のお財布から小銭を 掠めたことが見つかったり(これは主に弟がやっていました)、けんか両成敗で怒られては、「神様にちゃんとおこ とわり(お詫び)」をしてきなさい、と言って神社へ行くことを命じられました。親に叱られて家を閉め出されると、 大体この辺をぶらぶらして、馬にまたがってみたり(叱られたときにまたがってみても、なぜがちっとも楽しくあり ませんでした)したものです。もちろん、ちゃんと鈴とお賽銭箱のあるご神前で「ごめんなさい、もう悪いことは しません」とおことわりもしました。何十回となく頭を下げておことわりをした割には、私はあまりよい子には育た なかったようで、もしかしたら、私には高級官僚の素養が備わっていたのかもしれません。この事実に早く気がつい ていれば、もう少し一生懸命勉強してその道をめざしたのですが、残念ながら今となってはもう遅すぎるようです。

春、夏、秋・・・どういう暦にしたがって開かれていたのかは分かりませんが、神社でおまつりがあり、 夜店がたくさん並びました。金魚すくい、ヨーヨー吊り、りんごあめ、お面、風船、射的、今はもうあまり見かけなく なりましたが、柔らかいあめを吹いてガラス細工のように動物などを形作り、きれいに色をつけて売る人があ りました。買ったことはありませんが、白い玉から魔法のように次々と作品を作り出すその慣れた手際のあざや かさにただただ見とれて、いくら眺めていても飽きませんでした。アセチレンガスのにおいでなんとなく気分が 悪くなるのが潮時で、私はしぶしぶその場を離れたものです。いろいろな色のプラスチック(薄い下敷きのような板) を使ったきれいなケースにニッキや薄荷が入ったお菓子なども、その色の鮮やかさがいやが上にもお祭りの楽しさ を盛り上げていたように思います。それから、これは今も同じですが、イカやとうもろこしを焼くこげたお醤油のに おいが漂ってお祭りの雰囲気はいやがうえにも盛り上がっていました。

家の向かいの文房具屋さんのおばさんは、書道の腕前をいかして家の一室を習字教室にして家計の足しにし ていました。その書道教室にしばし入門していた私は、お祭りのころは、行燈にしたてる作品を練習しました。 社務所付近に飾られる行燈は、町内の子どもたちのミニ展覧会で、○の●ちゃん(山田のミドリちゃんという具合) はいつも上手いね、とか、△君の絵は今度はとても面白いね(発音どおりに表記すれば、「△君なー(△くんのは) 、こんだーぼっこうおもしれーのー」)など、近所の大人たちは町内の子どもたちの作品について品評会をしてい ました。当時はこんな言葉はありませんでしたが、こういう大人たちの評価、子供たちへの関心は、立派な 「地域の教育力」といえるのではないでしょうか。

さて、行燈にするお習字の作品をちゃんと練習した御褒美の意味もこめて、私たち兄弟は何がしかのお小 遣いをもらってお祭りに出かけました。そこで、私が遊ぶのは、きまって金魚すくい。それからヨーヨー吊り でした。口を真っ赤にしてりんご飴を食べる気にはなれず、食べ物関係はもっぱら眺めるだけ。射的なども見物人 で楽しみました。それからもうひとつというか、もう一人、いつも気にして探してみるのはひとりのお乞食さんで した。

その人は小児麻痺にかかったということで、手足と言葉が不自由でした。 「私は○才のときに小児麻痺にかかりました。」に始まって、歩くことも話すことも、 もちろん働くこともできないので、みなさんからのお慈悲にすがって生きるほかはありません、 といったようなことが書かれた札を莚の前におき、小銭を受ける真鍮の鉢を置き、そして自分はひたすらじっと 座っていました。時折お金が投げ入れられると、「ウー ウー」と言いながら頭を下げるのは、きっと「ありがとう ございました」と言っているのだろうと容易に想像がつきました。そして、私はお小遣いの残りをときどきこの鉢に 寄付して?いました。

お祭りのたびにその気の毒なお乞食さんはいました。あるときはお賽銭箱のすぐ近くに、あるときは鳥居 のすぐ横に。私はその気の毒な人は岡山神社からそう遠くないところに住んでいるのだろうな、と思いましたが、 いったいどのような暮らしを毎日しているのかについてまでは、想像をめぐらすことができるほど大人ではあり ませんでした。

あるとき、隣の中出石町に住む従姉妹(父は、この従姉妹たちの父親である伯父と共同で農機具の販売を始め、 私が小学校三年になったとき、下出石で独立した会社を始めたのです)から誘われたのだと思いますが、よその町の お祭りに寄りました。(寄るというのは寄せてもらう、つまり参加するという意味です)そして、私のテリトリーを 遠く外れた、学区の反対側のはずれの広瀬町の神社まで、「だんじり」(=山車)を引いていきました。あまり通った ことのない道、しかも夜の道をどんどん遠くへ歩いていくことは、それだけでとてもエキサイティングでした。 見たことのない街角の光景が次々と目の前に広がる様は、自分の世界が広がっていくようで、それは本当に胸がどき どきするような体験でした。

やっとだんじりがお祭りの開かれている神社に到着したときは、再び引き返して家に戻ったのが9時過ぎだった でしょうから、そんなに長時間たったわけではないはずだのに、私には地の果てまでたどり着いたような心地がし ました。

そこには岡山神社と同じような「おまつり」の光景がありました。岡山神社とは、参道のようす、境内の様子 なとが少しずつ違いますから、ちょうど、他所の家に遊びにいったとき、その家の階段、廊下、勝手口などのつくり がいちいちものめずらしいのと同じように、私は並んでいる屋台も含めて境内をものめずらしそうにじっくりと観察 したのです。

すると、どういうことでしょう。こんなに遠く離れた広瀬町のお祭りに、あのお乞食さんがいるのです。 私は跳び上がるほど驚きました。どうして岡山神社の近くに住むはずの、足の不自由なあの人が、ここにいるんだろう ? 第一、あの人はどうして、今日この神社でお祭りが開かれることを知っているのだろう。

私にとって、自分の世界が倍ほどにも広がったかに思えたエキサイティングなお祭りの経験は、そのお乞食 さんと出合うことによってさらに5倍ほど広がりました。そして、私の頭には、どうしてあの人があそこにいたのか、 という謎が住みつくようになりました。

次の岡山神社のお祭りの日、私は家を出るのをすこし遅らせました。出かけるのが遅ければ、帰りがちょっ と遅くなっても叱られないで大目に見てもらえるのではないか、という子どもなりの計算があったからです。頭に 住みついている不思議マークと一緒に、岡山神社に着いてみると、やはりその日もあのお乞食さんはいました。 茣蓙に座り、お鉢を置き、説明書きを前に広げていつもと同じように物乞いをしていました。

いつものように、ヨーヨー吊りをしたり、あめ作りを眺めたりしているうちに、だんだん人出が減ってくると、 まだ人がいるのに、ポツリポツリと屋台が店じまいを始めました。そうなると人は潮が引くようにいなくなり、 お祭りのにぎやかな様相は一変してみるみる跳ねた舞台のようになってきました。

私は何か用があるようなふりをしてその辺をうろうろしながら、お乞食さんの様子を窺っていました。 すると、ヨーヨーの店を片付け終わったおばさんが、そのお乞食さんのところへやってきて、鉢にたまったお金 を勘定し始めたのです。そして、なにやら手帳のようなものに書き込んで、説明がきや真鍮の鉢を片付け、 お乞食さんの世話を始めました。

そうです、そのお乞食さんの世話をして、彼をつれてきていたのはヨーヨー吊りのおばさんだったのです。 年の関係からみて、親子ではない(当時の私の子どもの目にそう映っただけかもしれないのですが)ないようでした。 お姉さんと弟のように思われました。

あのおばさんは、弟の世話があるから結婚していないんだろうなととても気の毒に思えました。 まだまだ戦後の貧しさの残っている時代です。行政は道を作ったり、学校を建てたりで精一杯で、きっとまだまだ 障害のある人の福祉にまでは今のような予算が出せていなかったのではないかと思います。おばさんは仕事のあいだ、 弟を自分の目の届くところに置くために自分の近くに座らせ、同じことならば、と彼に物乞いをさせていた のでしょう。

とにかく、そのお乞食さんの秘密がわかったとき、私は生きていくことがどういうことなのか少し分かった 気がしました。世の中の秘密を見たような気がしました。そして、ちょっぴりだけ大人になれたような気がしました。 漢字を覚えても、計算ができるようになっても感じることのなかった、「私は昨日までの私とは違う」という思いが 湧いてきました。そう、私はあのとき確かに「世の中」と出合ったのです。

何かつらいことがあると、お金を数えていたおばさんの姿を思い出します。弟を連れて縁日めぐりをして食べ ているおばさん。これは、あとでまた知ったのですが、手帳に書き付けてあったのは、何日にはどこで縁日がある のかという予定でした。わたしが、いつもヨーヨー吊りをするのを知って覚えてくれていたのでしょうか?  いつだったか、私が吊っていると、そっと水からゴムの輪を水槽のふちに引き上げて、紙のこよりを濡らさなくて も吊れるようにしてくれました。驚いておばさんの顔を見上げると、「それはオマケで吊っていいよ」というふうに 黙って目で合図してくれました。

「私は○才のとき小児麻痺にかかり・・・云々」の文言は、おばさんが自分で書いたのでしょうか?それとも善意 を頼んで、あるいはいくらかのお金を払って、他の人に書いてもらったのでしょうか?  それはかなづかいや助詞の使い方などにところどころ間違いのある文章でしたが、整った字で書かれていました。

お祭りのあれやこれやの詳細、紙芝居の絵のように次々と展開する一こま一こまの場面とともにあのおばさんと お乞食さんを思い出すとき、もう二度と手が届かない昔に過ぎ去った子ども時代へのたまらない懐かしさと、 「一生懸命生きなくてはおばさんに申し訳ない」という思いが心のそこから湧いてくるのです。

懸賞ゲット

広告の掲載に応じていた、地元の進学高校の学校祭のプログラムを月初めに受け取った。

”メガネのマツモト”が掲載してあるのを確認した後、各社の広告を辿ってみたところ、一番最後に某学習塾の 広告があり、懸賞問題が掲載されていた。
2変数関数の最大値を問う問題で、「高校の範囲を超えているのでは?」 と思いながら挑戦したみたところ、確かに、高校のレベルで解ける。 年齢制限もなさそうなので、応募してみたところ、 3人の正解者の一人に認定された。

懸賞はわずか千円分の図書券だったが、原始時代レベルから独学で積み上げて来た 私にとっては金額以上の意義があり、今日受け渡し場所で懸賞をいただいて来た。

 

日本人「十万分の一の肖像」

今日、知らない方から大きな封筒が届いた。確かに宛名、住所は私に間違いない。
表に、「写真在中」と「折り曲げ厳禁」 のスタンプが押してある。首をかしげながら開封してみた。
写真と添付文書を見て、直ちに事情を理解した。

添付文書

日本人「十万分の一の肖像」

1999年5月から始まった私の自分探しの旅も2001年2月に最後の1200人目の人を東京で無事に撮影して 終了となりました。 その後、膨大な量の現像、プリント作業を2002年の夏までかかって写真を仕上げました。 撮影を快く受けていただいたみなさんに出来上がったプリントをお送りすると言っていましたが、やっと 準備が整い発送する事になりました。

多分写真を写された事さえ覚えていない人もいるかと思いますが、私が感謝の気持ちを込めて焼いたプリントです、 どうぞご笑納ください。

この写真が写真集というまとまった形になるのか今の私には判りませんが、みなさんの お陰でとても素晴らしい経験ができました。

本当にありがとうございました。

河野公俊

東京都***********

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写真家の河野さんは、上記の通り、全国を単身で行脚して1200人のポートレートを撮影されました。 原画は階調が豊かで非常に美しい写真ですが、デジタルに忠実に再現できませんでした。

数年前の写真に感慨がこみ上げました。

現像、プリントにも相当の歳月を費やされましたね。1200人それぞれの人生、想い、また、その編集に携わった 河野さんの情熱に思いを馳せると、胸が苦しくさえなります。

河野さん、ご苦労様でした。 写真集が一日も早く発行できますように、お祈りしています。

斜位テスト

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斜位については、去年の1月2日(斜位矯正)にもコメントしておりますが、  今回はそのチェック法につきましてご説明します。

原理は極めて簡単で、上のチャート(拡大表示する)を赤、緑のフィルターメガネで見れば良いのです。  フィルターメガネは、お近くの文具店でカラーセロファンを購入して、ボール紙等で作ったメガネ枠に貼り付けて ください。右眼に赤、左眼に緑を貼りますが、それぞれの補色がほぼ消えて見えるまで枚数を重ねます。   これを装用して数メートル(部屋の都合で適当で良し)離れて見て、赤いクロスが緑のリングの中心に見えていたら合格です。 赤いクロスが左にずれていたら外斜位、右にずれていたら内斜位です。一般的傾向として、強度の近視の方は外斜位が多く、遠視の方は内 斜位が多いようです。   両眼をつむって開けた瞬間にずれていれば、斜位の傾向がありますが、直ぐに中心に戻り、日常も疲労感がないのであれば、悲観することは ありません。

手作りフィルターでは完璧な検査にならないかも分かりませんが、テストの原理は理解していただけると思います。   単純に言いますと、赤いクロスが中心からずれていたら、プリズムを使用してセンターに戻してあげれば良いのですが、水平方向、特に外向きの 斜位の場合は自己補正が介入しやすいので、簡単には行きません。

他人を調べるもっと簡単で大雑把なテストは、被検者に検者の右手の人差し指の爪を見させ、検者は左手で被検者の右眼を覆い、その 手を外します。
顕著な外斜位があると検者の手で覆われた眼は勝手に楽な眼位を取るので、検者が手を外した瞬間に眼球が外からくるっと回って目標に向くのが 観察できます。
斜位には、上下、内、外の他に、回転斜位もあり、それ用のチャートがありますが、回転斜位だけはプリズムでは補正できません。

双眼望遠鏡の光軸や眼位との兼ね合いについての議論が掲示板等で時々見られますが、解答は私のHPや服部さんのHPで繰り返し ご説明している通りです。機械的な誤差よりも眼の癖の方がはるかに大きく、機械的精度剛性だけを追求するのは無意味です。   大切なのは、眼の癖を介入させないテクニックを覚え、合理的な調整装置の使用法を理解することです。その方法につきましても、 私やBINO自作経験者のHPで詳しく説明していますが、そう難しいものではありません。

また、やや完璧な光軸を逸脱した双眼望遠鏡を覗くことの影響につきましても、心配無用であることは、眼の生理を含めた総合的な 理解から断言できます。眼への影響は、常時装用する掛けメガネの方がはるかに大きいですが、視線は常にメガネレンズの光軸を外れて動き回り、 特に左右で度数差がある場合(特に遠近両用)は、常に左右の眼が異なるプリズム量を通して物を見ることになりますが、それでもメガネと して成り立っている事は周知の通りです。仮に眼に悪影響をきたすほどの光軸ずれが双眼望遠鏡にあれば、とても長時間覗き続けられるものでは ありません。

EMSの種明かし

それでは、お約束通り、EMSの種明かしをさせていただきます。

まず、EMSの光路は、立方体を3つ直列に繋いで出来る正四角柱の1側面の一つの頂角 から同じ側面の対角に至る最短路です。 ただし、経路は他の3面を通るものとします。(1図: 赤い線が光路、青い線がそれぞれの反射点での反射面の法線)

EMSを手前から見た時、視線に垂直な平面に投影した第1反射光線(2つの反射点を結ぶ直線)の傾斜角を α とすると、tanα =1/√2(白銀比)ですので、規格 紙の対角線の傾きと同じです。このαは、x-y調整ノブの配置の位置角にも重要な意味を持ちます。

さらに、β=2α こそ、EMSのユニット間のねじれ角で、cosβ=1/3 というシンプルな数字で表されます。

α、β の2つの角度がEMSを決定する重要な要素ですが、これらの角度は、B5,A4等の規格紙から完璧に再現できます。

Red- Green Test

RG rays in the eye
Red-Green chart

私たちの眼は、生体として、光学器械が真似の出来ない 生理的な機能を備えていることは事実ですが、純粋に光学的に評価しますと、 高級品ではないことを認めざるを得ません。

眼科での眼底写真の撮影等のために、散瞳剤(瞳を広げる薬)を点眼されて、しばらく苦労された経験がおありの 方も多いと思いますが、私たちの眼は、絞り開放では、まったく使い物にならないほどの甚大な 球面収差を持っています。

また、色収差も甚だしく、この性質を利用すると、眼の微妙なピントのずれを比較的客観的に 検知することが出来るのです。

上のレッドグリーン指標でご自身の眼を試してみてください。(まずは単眼で検査した方が分かりやすいでしょう。)黒い二重線が赤のバックと緑のバックで比べて、 どちらがはっきりと見えるでしょう。輝度やコントラストの差に幻惑されないように、線(隙間)のシャープネスだけに着目します。 両方とも大きくぼかしてしまうと、区別が出来なくなります。

また、特に初めての方は、ピントの前後をセットにして、レッドとグリーンのシャープネスが逆転する様子を見ないと分かりにくいかも知れません。 近視のメガネを掛けている方は、メガネを外し、遠点(はっきり見える一番遠い距離)付近でチャートに微妙に近付いたり離れたりして見ると レッドとグリーンの見え方(シャープネス)が逆転するのが分かるでしょう。

読書距離で見て、明らかにグリーンの方がはっきり見えたら、老視の赤信号^^;です。 (近視の方は、メガネを掛けて見てください。)
指標を拡大して3m以上離れて見た時に 赤い方がはっきり見えたら近視です。 また、読書距離で両方ともはっきり見える方でも、距離を近付けて行きますと、調節限界付近 からグリーンの方がレッドよりもはっきり見えるようになります。
また、3m以上離れて見てグリーンの方が極端にはっきり見える方は、近視のメガネの度が強すぎるか、遠視である可能性があります。
横線(縦線)だけがはっきり見えたら、乱視の疑いがあります。

波長の長いレッドは波長の短いグリーンよりも焦点距離が長いので、それぞれの結像位置が微妙に異なることが、この検査を 成り立たせている理由です。(左の図は、弱度近視の状態です。)

眼の屈折に関与する角膜、房水、水晶体、硝子体の組み合わせは、残念ながら色収差の軽減に対する(神様の^^;)配慮は全く見られません。 もっとも、明るい所では縮瞳(瞳が小さくなること)して極めて小口径であり、散瞳するのは暗い時で、眼の視力も落ち、色盲になっている(低照度下で活躍する旱状体視細胞は色盲) ので、アポは必要なしとのことなのでしょう。

マリオット氏盲点

双眼視の効果は議論する余地がないほどのものと思っていましたので、あまり具体的にコメントした 記憶がありません。 しかし、双眼視の効果が大分認識されるようになった昨今でも、やはり認識に温度差が あるようなので、今日は敢えてコメントしてみることにしました。

今回はその中でも、意外に知られていない単眼の視野についてご説明します。  上の写真は右眼で、見掛け視界60度のアイピースで見た地上風景です。視野中心から右に約 15度の所に浮かぶ黒い楕円は何でしょう? 黒い風船ではありません。あなたが右眼単眼でアイピースを覗いている時、 ほぼこの黒楕円の範囲は何も見えていないのです。

この盲点のことを”マリオット氏盲点”と言うのです。横幅で5度、縦幅で6度以上あるでしょう。これは、眼底の視神経乳頭 に当たる部分で、網膜の視細胞の一つを、眼底のお椀の表面に配置した光ファイバー1本の端面に例えると、全てのファイバーを束ねて お椀(眼球)の外に取り出す穴だと考えることが出来ます。

上の画像は、60度の視野を想定していますので、実際の角度をシミュレートするには ずっと大きな画像が必要で、例えば55cmくらい離れたモニター上では、盲点の領域(画像の黒楕円)は2インチのバレル径くらいの面積に相当することになります。   この盲点は、かなりの面積で、20mも離れれば、自動車が1台すっぽり入りそうな大きさです。

描画ソフトを使うと、自分の盲点を正確に描画することが出来ます。モニターの中央より少し左寄りに固視点になるような目印を 描き、左目を遮蔽し、右眼でその固視点から眼を離さないようにしながら、カーソルを少し揺らしながら固視点から右の方に 移動させて行きます。カーソルが消えた時点で直線を引き始め、カーソルが出始めたら引き終えます。その作業を異なる高さで 繰り返すと、自分の眼の盲点の領域が作図出来るわけです。(50cmも離れますと、盲点はモニターの右端に近い方に来るでしょう。)  説明のために黒い楕円で示しましたが、盲点というのはそこに視細胞そのものが無い所ですから、黒い点とも、白い点とも 認識されるわけではありません。上の画像では、アンテナの背景の空に溶け込んでいて、盲点は本人にはほとんど認識できません。  また、認識できないが故に”盲点”であるとも言えるのです。
潜在的に見る能力がある部分を遮蔽されて初めて黒点として認識 できる訳です。この事は、単なる理科的な興味だけではなく、私たちの認識の仕方の原点を鋭くえぐる、深い示唆に富んだ現象だと 思われませんか。 老人が、「わしゃ大分ボケてしまったわい。」と嘆いている間は惚けていず、「わしゃボケとらんわい!」と怒りだしたら ボケているのと似ていますね。^^;

左眼だと、ちょうど対称的な位置に盲点が来ます。両眼視で初めて盲点が無くなる訳ですね。うまく出来ているものです。

双眼視によるコンポジット効果で眼の解像度や視野の明るさが飛躍的に増すことを議論する以前の決定的な問題として、 この盲点があるのです。