人類の至宝(補足2)

もう少し、逃げないでお付き合いください。 私は数学が理解できなくて悶絶し、一時は絶望した経験の持ち主です。 ただ、 それは自分に数学の適性が無かったからでも、馬鹿だったからでもないことに、ずっと後になって気付きました。  早い段階で気付いていれば、自分の人生はまた変わったものになっただろうと思っています。  私は、理解できない感覚を肌で知っているので、分からない方に理解させることへの確信を持っているのです。

過去2回のご説明は、やや性急で、準備運動が足りずに、筋を痛めてしまった方もあるやも知れません。 今日は、より基礎的な部分のおさらいをさせていただこうと思います。

2の2乗は4ですね。 指数を覚え始めの中学生に、「それでは3の2乗は何?」と尋ねると、大抵、 「3の2乗=6です。」と答えますが、3の2乗=3×3=9 が正解です。  初めての人にとっては、このように、累乗の意味を理解するだけでも、ちょっとしたハードルがあるのです。

それでは、(2の2乗)と(2の3乗)を掛け合わせたらどうなるでしょう?  (2×2)×(2×2×2)=2×2×2×2×2=2の5乗(32)になるのです。
これより、2^2 * 2^3=2^(2+3)=2^5 ( ^ は乗、* は× のこと)のように計算方法を定義することが出来るのです。

同様に、(2の5乗)÷(2の2乗)を考えてみましょう。
(2×2×2×2×2)÷(2×2)=(2×2×2×2×2)/(2×2)=2×2×2 より、
今度は 2^5 ÷ 2^2 = 2^(5-2)=2^3 ということで、 指数の計算の約束がどう決められるかが分かると思います。

この約束に従って、(2の2乗)÷(2の2乗)を計算してみましょう。 同じ数を同じ数で割るのですから、当然答えは1ですが、 ここでは、忠実にさきほどの指数計算の手順を踏んでみましょう。
2^2÷2^2=2^(2-2)=2^0=1 となるわけです。 これより、任意の実数 a の0乗が常に1になることが納得いただけた と思います。
これでも納得しない方があるかも知れないので、ダメ押しにもう一つ例を挙げます。
(2の3乗)に(2の0乗)を掛けると、2の(3+0)乗=(2の3乗)になります。(2の0乗)が1以外では、この計算方法の 約束が成り立ちませんね。

前置きが随分長くなりましたが、以上が e^iθに、θ=0を代入すると、e^iθ=e^0=1となる理由です。(i×0=0)

また、任意の複素数が、2つの実数、a,b と虚数 i を用いて、x軸を実軸、y軸を虚数軸として、ベクトル同様に、 a + bi と複素平面上に表すことができることは、各自でおさらいしていただく必要があります。(昔の教科書や、関連Webサイトを ご参照ください。)

メガネの度数(2)

快適なメガネの度数の決定に腐心する理由の主なものは、私たちの眼が二つあることです。  このことを説明するのに格好のお客さん(Aさん:20歳代)が今日見えたので、実例に即してお話してみます。

Aさんの裸眼視力は、右が0.15で、左が0.05、一般の方が見ると、かなり眼が悪い方だと思われるでしょう。  しかし、中等度以上の近視(普通の近視)であれば、裸眼視力は0.1以下が普通であり、特に珍しい眼ではなく、 また近視自体は病気ではなく、ある意味、身長のばらつきのように、標準の屈折状態から少し外れた眼だと理解しても 良いと思います。

問題は、この方の左右の矯正度数がどうなるかです。裸眼視力に左右差があっても、実際の眼の度数(屈折異常度) は大差がない場合もあります。

検査結果は、右=-2.00Dで、左=-4.25D (これに加えて少量の乱視もあった。)で、矯正視力は、左右共1.0くらい出ていました。(矯正視力 は個人差がある。)

このままの度数でメガネを作るとどうなるか。5分も掛ければ頭が痛くなり、眼も開けていられなくなるのが普通です。  レンズの歓迎されない副作用として、像の大きさが変わってしまうのです。近視用の凹レンズの場合は、度が強いほど 物が小さく見えるという副作用があるので、左眼の方が相対的に小さい像を見ていることになるのです。 脳は大きさの違 う左右の像をコンポジットして一つの画像として処理しないといけないのですが、重ねる像の大きさが違うと、脳は非常 なストレスを感じることになるわけです。

乱視の場合は、度数に方向性がありますので、向きによって倍率が異なるわけですが、左右で乱視の軸方向が異なる 場合、たとえば、正方形を見たとき、微妙に菱形に見え、その変形方向が左右で異なるわけですから、これを重ねて コンポジットするために、脳はかなりのストレスを強いられるわけです。

さて、結論として、どうするかですが、違和感がほぼ無くなるまで、左右の度を歩み寄らせるのです。通常は弱い 方の度を強めるわけにはいかないので、大抵は、強い方の度を弱めることになります。

因みに、初めてメガネを掛けるAさんには、右=-2.00D、左=-2.50Dを掛けていただくことにしました。  一般的には、頑張れば左右の差が2.0Dくらいまでは慣れると言われていますが、成人した方が初めて掛けるメガ ネとしては、左右差1.50Dでも十分辛いもので、敏感な方の場合は、上記のレベルまで慎重にしないといけないこともあるの です。こういうケースでは、数年をかけて段階的に矯正して行くことになります。
この処置によって、度の強い方の眼はぼけて見えているはずですが、両眼開放した状態では、全く問題がない( 快適)のが普通です。(右=-2.00、左=-3.00くらいにしたい ところですが、欲張ると大抵失敗するものです。^^; )
It’s the last straw that breakes the camel’s back.

蛇足: 幼児(小児)の場合はこの例にあらず。 先日、某病院眼科の処方で、右=+1.0D 左=+6.0D (6歳)というのがありましたが、 この子はメガネを掛けた瞬間から、ニコニコして快適そのもの。 子供の順応性、恐るべし。

人類の至宝(補足)

「人類の至宝」の反響がなくて、ちょっとがっかりしていたところで、少なくとも2名の方から明確な 反応があった。

最初の方は、60歳代後半の、地元で会社を経営している方で、何と、該当文をプリントアウトして、「教えてくれ・・。」と訪ねて 来られた。この方は、体系的に数学を学習されてはいないが、好奇心と研究心の旺盛さにはいつも脱帽し、見習わせていただいている。 さすがに息子さんを東大に入れた(すでに卒業された)だけのことはあると、いつも納得。

ただ、複素数も三角関数も未経験の段階では、オイラーの公式を理解するのは無理なので、定性的な話をさせていただいた。

最初の方への回答の要約:

「 私たちが日常生活で直接接している数は、実数といって、直線上の1点に対応させることが出来ます。ゼロを中心にして、左側がマイナス、 右側がプラスです。実数だけを扱っても、いろんな仕事は出来ますが、上の数直線とゼロ点で直交するもう一つの軸(虚軸) を加えて、二次元平面上の1点で表すように定義した数を導入すると、一挙に世界が広がるのですが、この数のことを”複素数”というのです。
直線をよく理解するためには、自分が直線の世界に閉じこめられていたのではダメで、平面の世界に視点を置く必要があるのです。
また、平面の世界を理解するためには、自分の視点を3次元の世界に置く必要があります。 ですから、あり得ない虚の数をもて 遊ぶのではなく、実の世界をより良く理解するために、視点をより高い次元に置いて眺めることが極めて有効なのです。
オイラーの等式の凄いところは、e やπ や i が不可思議なのではなく、それらが1体となって、マイナス1という単純な数になる ところが驚異であり、美しいと言われる理由なのです。」・・・ますます混乱しました??^^;

2人目の方は、私の友人(東大卒^^;)でした。自分のブログに私のHPの「人類の至宝」のことを書いてくれ、「やはり理解できない、今度 鳥取に帰った時に教えてくれ・・」と 言うので、以下のように返信を入れておいた。(その返事はまだ来ていない。)

「 ***さんに小生が教えるなんて? おこがましくて・・・、 でもおだてに乗りやすい小生。・・・・・
e^iθ は直接手で触れて見ることが出来ません。透明人間が泳いでいるようなもの。 だから水しぶきを見るのです。
まず、θ=0のとき、e^0 = 1、これは良いですよね。
厳密なことは置いておいて、θにゼロ以外の数値を代入すると、e^iθ は複素平面上の1点を占めると予想できますよね。  残念ながら、e^iθ の値は直接求められないので、その点がθの変化につれてどう動くかを考えるわけです。
そこで、その点の速度を求めるために、e^iθ をθで微分すると、ie^iθ となり、これはe^iθに直角ですよね。 つまり、位置ベクトルに対して常に直角方向に動くわけです。
さらにθで微分すると加速度が求まるわけですが、これが何と、-e^iθ で、原点に向かっているではないですか。  これはまさしく円運動です。
それで、e^iθ =cosθ+ isinθ となるのです。θ=π を右辺に代入すると、マイナス1になりますね。  また、試しに右辺を微分すると、
-sinθ+icosθ = i(cosθ+ isinθ )で、元の式と直交していますよね。
さらに微分すると、-cosθ-isinθ=-(cosθ+ isinθ )ですから、元の式と逆向き(原点向き)ですよね。
・・・・くどい説明で失礼いたしました。」

実業高校しか出ていない私が東大出の友人に講義するとは、何ともおこがましい。 それにしても***君は謙虚な人だ。 夏にはまた 一献交わす魚が出来た。^^;

我ながら、私は本当にしつこい人間のようだ。 だから最近は娘にも敬遠されて、よっぽど困った時以外は私に質問しなくなった。^^; ;;
でも、感動したことについては、一人でも多くの人とその喜びを共有したいと思うのだ。^^;  分からない時も孤独、分かってしまっても孤独、 人間の宿命か。
Der Mensch ist ewig einsam. (←30年前、ドイツ語にかぶれていた頃のお気に入りの言葉。 間違っていたらご指摘ください。^^;)

人類の至宝

少し前に、高2の娘が学校の数学で”虚数”の単元に入ったと言ったので、教科書を見てみた。 ところが、複素数平面や極形式、ド・モアブル の定理等の記載が全くないので、Webで調べてみたら、何と、2003年からの新課程で高校数学から消えていたことを知り、
愕然とした。

ベクトルでも、内積を教えるのに外積を教えない。ベクトル、複素数、三角関数、指数関数等は密接にからみ合い、それらをセットで 学習してこそ、その醍醐味が味わえるのに、誠に残念なことである。

e^iπ = -1 は、人類の至宝と言われる、オイラーの等式だ。

これは、e(自然対数の底;2.71828・・・)の iπ乗( i は i^2=-1で定義される虚数、πは円周率)=-1ということだ。

つまり、(2.71828・・・)の(i x 3.141592・・・)乗がマイナス1になるということ。
何で??
e^iθ をマクローリン展開すれば簡単に導くことが出来るのだが、f(θ)=e^iθ のグラフを描いてみれば、視覚的に 一目瞭然となる。

まず、e^iθ には i が含まれているので、複素平面上の1点に対応するはず。そしてf(0)=1 である。 θで微分してみると、f'(θ)=ie^iθ となり、絶対値は元のままで方向が位置ベクトルと直交していることが分かる。つまり、速度は大きさが 一定で位置ベクトルに常に直交しているということだ。

さらにその速度f'(θ)=ie^iθをθで微分してみると、加速度f”(θ)=-e^iθ となり、大きさは元のままで、向きが原点に 向かっている。 すなわち、これは半径1の円を描くことになるのだ。

つまり、e^iθ = cosθ + i sinθ (オイラーの公式)となり、θ に π を代入すれば、マイナス1になるのだ。  このオイラーの公式から、ド・モアブルは元より、三角関数のあらゆる公式も簡単に導出することが出来る。

一例を示そう。
e^i(α+β)=e^iα * e^iβ を オイラーの公式によって計算してみてください。
sin cos の加法定理が一挙に導けて、笑いが止まらないはずです。

EMSは60度の偏角のミラー2個を適当なねじれ角で組み合わせたものですが、そのねじれ角θを解析してみたら、 何と、cosθ=1/3 という単純な数字で表されることが分かった。当人は仰天、感動したのであるが、今日までそれに関する コメントを誰からもいただけないのは、非常に残念なことだ。

1立方センチの立方体

仕事台(今は小型旋盤の台)の下の本棚を整理していたら、小さい段ポールの箱に入った、 多数の木製の立方体が出て来た。 これは、8年ほど前に2年間ほど夜間だけ、某学習塾の非常勤講師をしていた 頃に使用したものだ。用事がなくなってからも、どうしても捨てることが出来ずに残していた物だった。

体積の概念が曖昧だった中学2年生の男の子のために、私は1cm角の木の棒をホームショップで探し、卓上の丸 鋸で、結構危険な思いをしながら1個ずつ切断して仕上げた。

これを1辺が2倍になるように、4個合わせて上から見ると、合体で出来た大きな正方形の面積が元の4倍になる ことが分かる。また、1辺に3個並ぶようにすると、9個で大きな正方形を形成することが分かる。これで、 面積比は相似比の2乗倍になることを男の子に納得させることが出来た。 私はさらにこれを立方体に発展させ、 体積比が相似比の3乗倍になることも教えた。

立方体でなくても、たとえば人間のような形でも、小さな立方体の集まりと考えることが出来る。 体重60kgの人 がたとえば6万個の1立方センチの立方体で近似させることが出来るとすると、同じ個数の1辺2cm(8cm3 )の立 方体で、2倍の相似比の人間を形成することが出来る。だから、完璧に相似のまま身長が2倍になると、体重は8倍に なるのだ。(この仮想の立方体の1辺は限りなく小さく想定できる。)

この男の子のお母さんが塾に月謝を払いに見えた時、お母さんの生活臭が痛々しく伝わり、私は何としてもこの子 の学力を上げてやろうと決意した。しかし、その思いがつのるばかりに、宿題をして来ない子にいつも笑顔で接する ことが出来なかったことから、次第に敬遠されてしまい、この子は結局塾をやめてしまった。今はすでに成人して いる勘定だが、あの頃の事をこの子はどう思っているのだろう。「妙に口うるさいオジサンだったなあ。」 と思っているのかな。

メガネの度数

ホームページに眼やメガネのことを書いているせいか、ときどきご質問をいただく。

先日、覚えのない女性名で分厚い封筒が届き、密かな期待を持って開封したら、メガネで苦労して来られた経緯が詳細 に綴られてあった。

比較的最近、関東地方から、大手のメガネチェーン店で何度メガネを作っても満足できなかった男性が鳥取市の当店までメガネを 作りに見え、 「初めて満足がいくメガネが出来た。」と大変喜んでいただいた。 どうも、全国的に相当な割合で自分の メガネ(の度数)に満足しておられない方がおられるようだ。 しかも、よくお聞きしてみると、私が当然だと考えている 検査や検討を、メガネの度数を選定する段階で十分に受けておられないようだ。 これは、メガネ店だけでなく、 医療機関でも同様の傾向だった。

実は、この傾向は、当方がネットで情報を発信する前から、店頭でも体験していたことだ。  半世紀に渡って鳥取市で眼科医療に貢献されたO先生はすでに故人になられて久しいが、生前にO先生の眼の度 を測らせていただいていたのは私だ。現在、千葉県在住の奥さんは、メガネを作る度に私の所まで帰って来られる。 奥さんも「あらゆるメガネ店、医療機関を歩いたが、満足できなかった。」という意味の事を言われた。

現在は、他覚的な検査手段が発達しているので、器械による検査だけで、比較的正確な度数を把握することは、 素人でも出来る。 そこに巨大資本を持つ他業種の起業家が目を付け、医療器具であるはずのメガネを“雑貨品”として 量販展開をする。もともと他業者だから、医療品を扱うというプライドも自覚もない。 有名芸能人を使って集中豪雨的 に、主に価格に訴求したテレビ宣伝を流し、消費者を洗脳する。 芸能人は金になればどんなコマーシャルにも出るが、 門外の業界の価値を判断する能力を彼らに期待するのも酷なのかも知れない。

さきほど説明したように、概ね正確な眼の度数を測定するのは、そう難しくない。 問題は、正確なメガネと快適な メガネが同値ではないこと(大抵は相反する)にある。 正確?で不適切なメガネが氾濫して行く(しかも加速している ようだ)のは、隠れた社会問題だとさえ思える。メガネは両刃の剣。効果と副作用が拮抗する投薬や食物と同じ。いくら栄養があっても、 未調理のままでは腹を壊すので要注意だ。

もちろん、眼の検査の最初の仕事は正確な度数を把握することだ。前言を覆すようだが、実はこれも厳密にはそう 簡単な事ではない。後で被検者の装用感を打診しながら、さじ加減をする時の最初の基準なのだから、正確でないといけ ない。問題は、その後、快適さと求める矯正視力との妥協点を、被検者と同じ目線でじっくりと決定することが大切で、これ には、検者の熟練と根気を要するのである。

モンゴルから来たO君

朝青龍が7場所連続優勝を始め、数々の記録を塗り替える快挙を遂げた。
また、琴欧州が大関昇進に王手をかけた。

琴欧州は、関取になった時、交通事故で働けなく なったお父さんに新車をプレゼントした。 引退が決まった佐渡ケ嶽親方(元横綱琴桜、鳥取県出身)は、 琴欧州のことを「わしらの時代の力士が大切にしていた心を持っている。」と激賞している。

さて、最近、相撲、モンゴル、鳥取、というキーワードにヒットした、ちょっとした体験をしたのでご紹介したい。

2か月ほど前、すこぶる巨漢の高校生が店に入って来た。やや日本語が不自由そうだったので、咄嗟の直感で韓国からの留学生 かと思い、「ハングゲソオショスムニカ?」(韓国から来られたの?)と片言の韓国語で対応したら、きょとんとして、「モンゴルです。」 とのことだった。

そのモンゴル青年は鳥取市の相撲の名門校である鳥取城北高校の相撲部3年生だった。同校相撲部は今年の岡山国体で優勝している。 (琴光喜関も、愛知県出身ながら同校に相撲留学していたので、鳥取のローカルニュースでは毎日取り組みが放映される。)

モンゴルから来た0君は、この年末年始の帰郷に、お父さんに双眼鏡を買って帰りたいということだった。  彼がお気に入りのNIKONの双眼鏡はちょっと予算オーバー、でもお父さんには出来るだけ良い物を買って帰りたい。 事情を知るや、私もこれは商売抜きで一肌脱ごうと思って破格のdiscountを提示したのだけども、それでも何度か来店し て迷っていた0君。

その後、偶然、友人(1年先輩)である同校の先生が久しぶりに見えた(教頭先生になっていた)ので、O君のことを話したら、 「O君はとっても良い子だ。僕も援助したい。」と私に1万円を託した。 ということで、本人負担は八千円ということになり、先日 O君は喜んでその双眼鏡を買って帰った。

その時、0君はモンゴルや家族のことを少し話してくれた。 軍人のお父さんの趣味はハンティング、広大な大草原で獲物を見つけるには 高性能な双眼鏡が威力を発揮する。 広大な国土に対し、モンゴルの人口はわずか280万人、そのうち160万人はO君と同じウランバートル に住んでいるとのこと。
「南の国境線付近の土(つち)を中国人が買い占めていて、政府は無策に傍観している。」と憤慨していた O君。
「土(つち)を買ってどうするんだ。 それって”LAND”のことじゃない?」 と聞いたら、そうだった。^^;

話してみると、3年間でつち^^;かった彼の日本語は、なかなかのものだった。 日本語と英語、そしてもちろんモンゴル語と 片言のロシア語を話すO君は日本の大学に進学するそうで、将来の夢は大統領になることだそうだ。 彼なら本当になるかも知れないと 思った。

Kさんの 吉祥天

(精緻な彫りの実感までは伝わりませんが、裸眼立体視のペアにしてみました。上が交差法、下が平行法用)

Kさんのことは去年、”親思う心にまさる親心”で紹介させていただいたが、 昨日、白内障手術(一月前)後のメガネの更新をさせていただいた。

依頼(注文)に見えたのが4日ほど前、「これが最後だと思う。」とまじめに言われた80歳のKさんの言葉を一 笑に付すことはできなかった。 通常3年から5年というメガネの買い換えサイクルから見ると、それはあり得ないこと ではないからだ。 それはこちら側も同じこと。 まさに一期一会の言葉の通りだ。

Kさんは父の代からのお客さんだ。当時から大型店は派手な宣伝をしていた中で、今よりも零細だった当店をひいきにし てくださったお客には、一種の判官贔屓の心意気があったのだろうと、自分もこの年齢になって、遅まきながらも 感謝の念が身に染みる。

Kさんが4日前にメガネを注文して帰られるときに、私はそれまで見せるのを躊躇していた、上記エッセイ(親思う心にまさる親心)を 思い切ってプリントアウトしてKさんに手渡した。

そして昨日、メガネを受け取りに見えたKさんは提げ袋に何やら大きな物を入れて来られた。
それが、この吉祥天の木像だった。
「眼を悪くしていた頃に彫ったものだから、出来は良くないのです・・・。」という、いつもの謙虚な言葉には当たらない、 見事な木像で、デジタル平面画像では1/10も再現できないのが歯痒く、せめて工夫して立体写真にしてみた。 これで1/8くらいは伝わるかな。
Kさんによると、「NHKドラマの”義経”でもよく登場する毘沙門天の奥さんが吉祥天です・・・」 ということだ。

そして、この”吉祥天”を頂戴してしまった。 「はい、ありがとう。」と手を出すのも躊躇を覚えたが、 ”命”をいただくのだなあ、と思いながら受け取った。

自分の分身を託しながら、自慢話をされることもなく、わずか15分ほど話しただけで、あっけないほどいさぎよく 踵を返して帰られたKさんの背中を、今度は私が万感の思いで見送った。 なぜか引き止めるきっかけを失っていた。

なんだかあのエッセイで催促したようで悪かったなあ、と思ったが、後でKさんの奥さんも読んで涙を流してくださ ったことを知った。

懸賞ゲット(2)

去年に引き続き、今年も地元の進学高校の文化祭のプログラムに 載っていた懸賞問題に挑戦した。去年と違うところは、去年は中学生だった娘が同校の トップクラスに入っていることだ。

高一の娘は少し前から文化祭の準備と本番でかなり疲弊していたこともあってか、 あまり問題に集中せず、私と違う答えを出した。もっと考えるように言ったが、自分が正しいと言い張るので、 「勝手にしろ!」と言って父が一人で応募した。

同予備校のサイトから応募のフォームに入ったら、最初に”生徒名”という欄があって、 ちょっと顔が赤らんだが、下の学年の欄に”その他”があったので、遠慮なく入らせていただいた。^^;   先日、同予備校より正解の通知が来て、まずは父親の権威失墜を免れた次第だ。

この問題は落とし穴に入りやすい。これは簡単、とぬか喜びして、1/24とか、1/12とかいった答えを すぐに出してしまった生徒が多いのではないだろうか。x≦-1/4、y≦-1/6 より、xy≧1/24とするのは早計である。   珍問奇問ではなく、関数の本当の理解を促す問題なので、高校生はぜひ解いてみるべき問題だと思う。    問題を作った方に敬意を表したい。

My American Friend and the War(WW2) / 友達と戦争

8月9日は、広島の3日後に長崎に原爆が落とされた日。  アメリカでは、「原爆によって戦争の終結を早め、戦争が長引けば予想された、より多くの人命の損失を回避した。」 と教えている らしい。

旧約聖書には、神によって焼き払われた二つの邪悪な都市、ソドムとゴモラの話がある。 まずは非白人であり、 異教徒とみなしていた国民への仕打ちには、もともとその行為を正当化させるだけの文化的土壌のようなものが、当時の 連合国の間、特にアメリカ人の中にはあったのではないだろうか。

今日のテレビのニュースで、長崎の浦上天守堂での追悼ミサの状況が放映されていた。 被爆したマリア像の首を、 教会関係者がうやうやしく祭壇に掲げていた。 恐らく、日本にもキリスト教が根付いていること、 ましてこれだけ大きな礼拝堂があることを、当時はおろか、今でも知っている旧連合国民はほとんどいないだろう。  無惨に被爆したマリア像の首の映像を、アメリカの人々にぜひ見てもらいたいものだ。

二十年前にアメリカの友人を訪ねた時、友人は自分の地元の親友も招いていて、3人でこんな会話になった。

Mr.K: 「(太平洋戦争で)何でお前らはPearl Harborだけ攻撃して帰ってしまったのかいな。 本土に上陸してアメリカ人 を皆*しにすりゃあ良かったのに。」

私: 「そんな余裕も準備もあった訳がないでしょう。」
牧師にあるまじき投げかけに少し驚いたが、むしろ、そんな型破りのMr.Kを私は気に入っていた。  試されているような気もしたが、しどろもどろにまるで見て来たかのように答弁する自分自身に可笑しささえ感じていた。

Mr.K: 「それに、南の島ばかり取って何になるだい。」

私: 「資源が無いので、まずは足場を固めないと・・・」

それからMr.Kは地元の親友と、「日本の兵隊が世界で一番強い・・」という意味のことを話して、互いに納得していた。

Mr.Kは親日家という言葉では表せないほど、日本や日本人に対する思い入れは尋常ではなかった。 それは時にはうっと うしくなるほどであり、結果的に疎遠になってしまった原因ともなり、やがて音信不通になり、最近、彼の死がほぼ確定的 になるに至って、今や贖罪の念が私自身に重くのしかかっている。

Mr.Kは現地のレストランで私を接待しても、決してテーブルにチップを置かなかった。 それについて私が尋ねると、 「こんな生産性のないやつらにやる金はない。日本人ならいくらでもやる。」と聞こえよがしに言っていた。

Mr.Kは職が安定しなかった父親のために高校を卒業するまでに11回も転校させられた。 「自分の名は父が闇品売買で 刑務所に入っていた時の父の務所仲間の名だ。」と、自分の生い立ちをさらりと打ち明けた。

Mr.Kは高校を卒業すると、空軍に入り、配属されたのが日本だった。 大学に進学する学費を稼ぐためであり、実際、 除隊後に高校教師になり、牧師にもなった。 日本にいた数年の間にMr.Kは初めて、親友と言える友に巡り会う。 その日本人 の親友は、なぜか英語が流暢で、友に日本語を教えなかった。その日本人青年も、食卓で日本語を話すと父に箸箱で頭を叩かれ て育ったという希有な生い立ちを持っていた。 暗い陰を持つ、数年年上の日本人青年をMr.Kは師と仰ぎ、最愛の友とし、 心酔して行った。 しかし、日本人の親友は、妻がポリオを患う等の不運の末、自殺してしまう。若い頃のMr.Kと日本人青年が 一緒に写った写真を私は彼から貰って、今でも持っている。

Mr.Kにまつわる話には、それだけで小説が何冊も書けそうなほどのドラマがあるが、脱線がエスカレートしそうなので、 じっと我慢して本題に戻る。 そんなMr.Kが送ってくれていた現地のテレビのドキュメント番組のビデオを思い出したのだ。

それは広島に投下された原爆に関する特集番組であった。 何と、それは延々と1時間以上も続いていた。 ニューメキシ コ州のロスアラモス、砂漠の真ん中に原爆製造のための都市が作られた。 科学者と技術者を家族ごとそこに隔離し、学校や 病院等の施設まで作った。 わずか3年足らずで原爆の実験に成功し、1か月も待たずに広島と長崎に投下されたのだ。

番組の中でインタビューに答えていた(オッペンハイマーは番組制作時にはすでに他界していたはずなので、古い記録 だろう)、当時の原爆製造プロジェクトのリーダーだった、晩年のオッペンハイマーの深い眉間の皺が彼自身の苦悩を物語っ ていた。 また、日本から送られたであろう被爆者のインタビューも、原音入りで長時間に渡って流されていて、被爆者が直 接描いた生々しい絵も同時に紹介されながらの英語への同時通訳が興味深かった。 聞き取れない部分が多かったが、広島に 投下された原爆についての特集が、これだけ詳しくアメリカで放映されたことに一番驚いた。日本でもこれだけ詳しいドキュメ ントが作られたことが何度あったろう。

原爆投下を正当化するのもアメリカ人なら、極めて中立に原爆を描写しようとするアメリカ人もいる。 また、Mr.Kの ようなアメリカ人も。 多様性が日本よりは許容されている国と言えるのだろうか。

ただ、偏見も愛着も極めて危うい両刃の剣。 人が二人いれば社会が生まれる。 家族、地区、都市、県、国、スケール は異なるが、原点は人。

私がMr.Kを訪問している時に、彼はこんな話を自慢げにした。   「黒人の貧しい生徒の父親が死んだので、私がタダで葬式を出してやった。 その時、同僚の黒人の女先生がMr.Kに言った。 『あなた、そんな地区に行ったら殺されるわよ!』」
ところが、滞在中に彼と一緒にテネシー州に小旅行に行った時、ホテルの部屋で、廊下を話しながら通る3人ほどの客の 声を聞きながら、「おい、聞いてみろ。3人のうち二人は黒人だ。アクセントの違いで分かるんだ。」と言っていた彼の様子か ら、Mr.Kの偏見フリーの限界を見た。

私がMr.Kを訪問した次の年の夏に、今度は彼が私を訪問した。 後になって分かったことだが、Mr.Kの妻は日本に固執する 夫に、いみじくもこう吐き捨てたそうだ。
「そんなにまでしてジャップと地べたに座りたいの?!」

私がMr.K宅に滞在中、彼の妻は一通り親切にしてくれたものの、顔は微笑んでも目が笑っていなかったので、何となく歓迎 されていないことは分かっていた。洗濯物は私のパンツまで家族と同じ洗濯機で洗っていたが、火力発電所を見学して帰った時、 私の白に近い薄茶色のズボンの裾が石炭の粉で汚れていて、彼女が漂白したら、まだらに脱色してしまったことがあった。 彼女が手放しで笑ったのはその時だけだった。^^;

私の所を訪問して帰国した、牧師のMr.Kは長年連れ添った奥さんと離婚した。