XY ADJUSTABLE LASER FINDER UNIT

This is the perfect laser finder system for astronomical telescopes.
The installed XY adjusting mechanism will save you from making adjusting holder, and the release button is very effective to avoid the vibration when you push the button.

レーザーファインダー自体はもう珍しくありませんが、このタイプは、XY調整機構が装備されているので、調整台座を準備する必要がなく、システムが非常にシンプルにまとまります。さらにレリーズ(単純な押しボタンも付属、交換可)により、操作時の望遠鏡の振動を回避できます。

レーザーの使用には賛否があると思いますが、時と場所をわきまえて使えば良いと私は考えています。大勢の観客(特に子供)が居る時は、使用者は機材から目を離さないこと、またやむを得ず離れる際は、レーザーファインダーを(外して)携行すべきでしょう。(便利な道具は概して危険も伴います。安易に無条件に使用禁止にするのには私は反対です。突き詰めれば、ライターやストーブすら使えなくなります。)

第19回V腕杯アームレスリング大会(2019)に参加

今年の参加賞(去年はストラップ)

I attend the arm-wrestling tournament held in Kasai-City, Hyogo Prefecture yesterday, but I could get none of the  medals.  I knew Further effort must be resorted to get any medal at this high-leveled tournament.

恥をしのんで、予選の初戦(レフトハンド)で負けた試合の動画です。↑ 何度も再生して見ると、反省点が見えて来ます。^^;

昨日(12月8日)はV腕杯アームレスリング大会(於:兵庫県加西市)に行って来ました。

全国チャンピオンが多く参戦するハイレベルな大会で、今年も1勝すらできませんでしたが、得たところも多く、大いに刺激をもらい、また、楽しませてもらいました。

我が因幡(イナバ)アーム道場としては、仕事等の都合で参加できなかったBOSS(N川さん)を含む最強の2名他を除いた5名が参加したわけですが、T村君が一人、C級レフトハンドで銅メダルを取りました。(無差別級は午前中の予選で強い順にS,A,B,C,D,Nにクラス分けされるのですが、対戦の巡り合わせで、元来強い人が下のクラスに交じることもあり、侮れません。)

One of my team member got the Copper Medal. I had none.(LOL)

写真中央は銅メダルに喜ぶT村君。かかえているのは自分の息子じゃなく、今回は出場せず、応援に来てくれたOYさん(写真右)の長男さん。

当然、私はNクラスで本戦に入ったのですが、それでも歯が立ちませんでした。 今回は軽量級のSS級が65kg以下(去年までは60kg以下)になり、それでエントリーすることも出来たのですが、SS級は予選でのクラス分けがなく、さらに難関になるとの周りのアドバイスから、敢えて今年も無差別級に挑戦した次第です。

無差別級リスト

今回の参加申請は、米子のドラゴンアームの代表の山口さんのお世話になったためか、大会プログラムの選手リストの所属が因幡道場のメンバーを含めて、全てドラゴンアームとなっていました。これは、鳥取県選手同士が初戦から対戦しないように関係者が配慮してくださったのか、分かりません。 しかし、実際には、予選の初戦から我が因幡道場のY口君とT村君との対戦が組まれていました。

結果は、因幡道場(鳥取市)が銅一つ(T村君)、ドラゴンアーム(米子市)がハイクラスで金一つ(吉田さん)と銅一つ(浜田さん)で、あのハイレベルな大会で鳥取県勢がメダル3つを取ったのは善戦したと言えると思います。
山陰大会の無差別級レフトハンドで優勝していたN野さんは携帯用AEDを装着しての参加でしたが、病み上がりとは思えないほど善戦していました。
「アームで死ねば本望・・」と冗談めかして言っていたのは、多分、多くのアームレスラー同様、本心だろう。

予選トーナメント表(私が参加した組)

決勝を除く本選が終わって、午後4時からの決勝戦の前の空き時間に、(多分)地元の選手の方々と練習させてもらいました。
米子ドラゴンアームのK藤さんに初めて右でかろうじて勝たせていただき(K藤さんは疲れていた^^;)、日々の精進を認めてもらいました。
またチームV腕の大谷さん(アジアチャンピオン)が自分から声をかけてくださり、また胸(腕)を貸してくださいました。

さて、今回は、別便で行かれたN野さんを除く、私を含む4名が1台の車に同乗して参加しましたが、会場への行き帰りが、少なくとも私にとっては実に楽しき”珍道中”となりました。

以前にも書いたことがありましたが、我が道場の代表(メンバーで3番めに年長)のN川さんでも私より干支で2周りも年下、お父さんが私と同じ年だそうで、最年少は十代までいる当道場のメンバーはほとんどが自分の子や孫の世代。つまり私だけが突出した最高齢者なのです。
そんな中で今回初めて、出場メンバーの方から「松本さんも一緒に行きませんか?」と誘ってもらい、
「乗せて行ってもらえるんか?嬉しいなあ!」と言ったところ、すぐに「松本さん、車出せますか?」とのこと、
”話が違うなあ、結局は私が運転することになるのか?”と思いながら車を出すことを承諾しました。
当日(昨日12/8)の早朝6:30に約束通り、私はY口君を自宅近くで拾い、第一集合場所の郊外の大手電器店(中心市街地から車で10分以内)の駐車場に向かいました。
広い電器店駐車場に着いた時には駐車場は空っぽで、「車は何台集まるの?」とY口君に聞いたら、「1台だけ。Y根君がT村君を乗せて来る。N野さんは別便で現地に向かってる。」とのこと。
しばらく駐車場で待つと、Y根君がT村君を乗せて到着。すると、Y口君が、
松本さん、Y根君が運転するから、4人でこの1台に乗って行きましょう。松本さんの車はここに置いておいて。」
と言うではないか。^^;
なんだ、そういうことだったか?と、夕方まで自分の車を電器店の駐車場に放置することに躊躇を感じながらも、ありがたくY根君の車に乗り込ませていただいた。
当日は、人を乗せて苦手な遠乗り運転をする緊張感からか、午前2時から目が覚めたり寝たりで、4時には起床して準備万端整えたのに。

加西市の会場、加西勤労者体育センターには、受付開始の午前9時よりも15分以上早く無事に到着。試合の結果は上記の通りで、総参加者数150名以上の予選→本選→決勝戦→表彰式が終了したのは午後5時を回っていました。

あれこれ書いたけど、若い頃、同年代の友人たちと遊んだ経験がほとんどない私としては、同じ目的で仲間が一つ車内で移動するのはとても新鮮な体験でした。タバコ臭い車内の空気すらすがすがしく感じられ、久々に修学旅行にタイムスリップしたような、ワクワク感すらありました。
常に低めの音量で車内に流れでいたラップ等の若者向けミュージックはCD等じゃなく、Y根君の趣味で集めた音楽ファイルをスマホからBluetoothで車のスピーカーに飛ばしているとのこと。ラップの文句はもとより、ゲームのこと等、若者たちの会話は聞き取れない(理解できない)ことが多かったけど、とにかく楽しい一時だったことは違いありません。
さて、問題の帰路・・。皆が緊張感が緩み、帰路は車のナビを未セットのまま出発。往路同様、それぞれ歓談しながら、しかし、それぞれが心地よい疲労感もかかえて帰路に付いていたのですが、何と、高速から降りないといけない佐用インターをはるか通り越してしまったのです。落ち込んで無口になってしまったY根君でしたが、それは同乗した皆の連帯責任。「事故をしたと思えば何でも無いこと。先になれば、楽しい想い出になる。」と私はY根君を励ましました。^^;
鳥取市内に戻って来たのは、夜9時前だったか? Y口君オススメのラーメン店で私が皆にラーメンをご馳走。 その後、Y口君を皆で自宅に送り、最後に私は電器店の駐車場で降ろしてもらいました。早朝から夜まで放置した自分の車には、幸い忠告の貼り紙もなく、寛大な店長さんに感謝。
Y口君が、(Y根君の)車から降りる時に、私にこう言いました。
「松本さん、ごちそうさま!ありがとう!松本さんが死んだら、絶対に葬式にでるけえ!」・・だって。
見事な”落ち”でした。^^;
我が道場の皆さん、米子のドラゴンアームの皆さん、そしてもちろんV腕スタッフの皆さん、今回も大変お世話になりました。
今後ともよろしくお願いします!

追伸:「Y根君、次回からは少々遠回りでも、最初から車で拾ってね。高速料金や飯代くらい払うから。^^;」

First snow on the southern mountains / 初冠雪

 

7:17 AM from my bed-room window

今朝、寝室の窓から見た南東の山々。 昨日の初雪が残っています。

The first snow on the southern mountains seen from the window of my bed-room.

Tottori is scarcely categorized as a snow rich area in spite of its low latitude.
In other word, Tottori is the southern limit of the snow rich area of Japan.
But the total snowfall is gradually decreasing year after year for the global warming.