祝 東京五輪 体操個人総合 金メダル、橋本大輝選手

 内村航平選手のまさかの早期敗退を払拭するように、日本体操界の次世代を
担う橋本大輝さんが快挙を成し遂げた。

 若い一時期に体操に没頭していた私としては、こうした場面を見るごとに、本当に血が騒ぐ。
五輪体操はローマ五輪(1960)から見て来たけど、この60年の体操の技の進歩は本当に信じられないほどだ。
 私が体操に没頭していた高校時代は、1967~1970年なので、レジェンドとして憧れた選手はそれ以前に活躍された方々で、小野喬さんや遠藤幸雄さんだった。 高2の時だったか、米子市の体育館で遠藤幸雄さんの指導会があって、私が代表して遠藤さんの前で床の規定演技をしたこと、散会後に鞍馬の指導をしてもらったことが忘れられない。
 遠藤さんに、まず旋回して見ろと言われ、通常の右旋回を何回も回っているところを、遠藤さんはじっと真ん前で見つめ、「悪い所が分かったぞ!」と言われ、指導の金言は以下の通りだった。「腰が引けている。足先は低くて良いから、腰を前に出す練習をしなさい。」

 1960年代までは、まだ精神主義が闊歩していた時代だったと思う。高1だったか、顧問の先生が高3で部長だった先輩に、これを読め、と渡したのは、小野喬選手の自伝本だった。それを部長は、お前も読め、と私に又貸しした。^^;
 詳細は記憶しないが、器具インフラの乏しい環境からスタートされた努力の結晶が綴られていて、大いに感動したのでした。
ただ、今振り返ると、そのことで、過度にストイックに走ってしまったことは、自分にとって正解だったかどうか、疑問に思ってる。
 もっと冷静、科学的なスタンスは無かったか?と思えど、時すでに遅し。

 当時の体操は、日本とソビエト連邦がしのぎを削っていて、中国はまだ台頭していなかった。
 1960年のローマ五輪での個人総合の王者はソビエトのシャハリンで、日本の小野喬さんは銀メダル(種目別の鉄棒、跳馬で金)だった。(団体は金)
 そして、1964年の東京五輪で遠藤幸雄さんがそのシャハリンに雪辱して見事個人総合の金メダルを奪取した!
 現在の体操の技は、当時と比べると、まさにSFの領域で、当時は想像だにしなかったような技が当然のように行われている。
 昔の体操との違いをごくざっくりと言うと、静止系、力技系よりも振動系の離れ業の進歩が著しい。 だから、選手の体型も変わって来た。多分、器具や補装具の進化(特化)も相乗的に加担して来たに違いない。 具体的には、昔の体操選手の方が筋肉が発達していたように思う。ソビエトのシャハリン選手などはその典型で、上水平時の三角筋の筋繊維の浮き上がりは圧巻だった。
 多分、一般の方が当時の体操の演技の録画を見たら、技のしょぼさに失笑するかも知れないけど、私は、昔の体操も大好きで、敬意と感動しか湧いて来ない。

 次のメキシコ五輪(1968)では、若き加藤澤男選手が優勝候補のボローニン(ソビエト)を下す番狂わせで快挙を遂げた。
 優勝を確信していたボローニンが、鞍馬の旋回でひっかかってしまい、泣き崩れたシーンが目に焼き付いている。当時の共産圏の選手の国を背負う重圧には悲壮感さえあった。
 次のミュンヘン五輪では、加藤澤男が二連覇、さらに監物永三、中山彰規と、金、銀、銅を独占したのが、日本体操の1960年代の黄金期のピークだった。